拷問女子を読まれた方からのご返信に驚いています。
まさか、当時、読まれていた方が居られたとは、十数年の時間を超えて。
本当に辛く厳しい拷問でした。何度となく死んでしまいたいとも思いました。
こうして生きていられたことに感謝の気持ちで一杯です。奇跡に近いものです。
拷問者の男達にしてみれば、私の存在は商品なのです。私の体への拷問は収入源なのです。
拷問ビデオを作成して、裏社会のルートを利用しての販売で収益を上げていたのです。
死に至らしめる事はありませんでした。死なれては商売にならないからです。
男四人、女一人で構成された拷問集団でした。
女性の受け持ちは、私の身体のケアをする立場の者でした。
女性が拷問に加わることは一切ありませんでした。
飽くまでも私を監視監禁することによって、賃金を得ているといった立場の者でした。
過去に看護士の経験資格を有していた為に雇われた者であると、本人自らの言葉で聞かされていました。
拷問で傷付いた体の治療に当たってくれていました。優しさを持っている女性でした。
拷問は昼夜を問わず、男達の気の赴くまま、不眠不休で行われたこともありました。
辛い縛り方は元より、鞭、蝋燭は当たり前。浣腸と嘔吐責めに苦しめられました。
逆さ吊り水責め。三角木馬。電流通し。有刺鉄線での緊縛にも悲鳴を上げました。乳首クリトリスへの刺針。
一度、逃亡に失敗して捕らえられた時には、見せしめということで、髪の毛を刈られる罰を受けました。
ビデオカメラが回る中で、仕上げはバリカンでの丸刈りにされました。
さらに、二度とその様な気を起こさないようにと、体の大部分に刺青を施されました。
誰にも見せられない、見られたくない卑猥な絵柄を掘り込まれました。決して人前で肌を晒すことは出来ません。
大の字に縛り付けられて、プロの彫り師によって仕上げられました。
刺針の痛みで泣きわめく私の口には厳重な猿轡が噛まされました。日を空けずに短期間で完成に至りました。
それらビデオ企画は、「刺青に許しを乞う女奴隷」といったドキュメント映像として販売されたのでした。
当時大変な売れ行きであったと、男達が喜んでいるのを耳にした私でした。
ご質問にありました、現在もそれ等の行為を希望するのかとの問いには、なんとも答えられません。
拷問から解放された後には、フラッシュバックにも襲われましたが、現在では安定しています。
お心遣いありがとうございます。現在は穏やかに過ごしています。
思い出したくもない辛い経験でしたが、懐かしさも相俟って投稿させて頂きました。
ありきたりな幸せであるからこそ、筆を執ってみたくなりました。
拙い文章で失礼致しました。
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