芳江さん、初めまして「邪鬼」と申します。
よろしくお願いします。
沢山の方からのお誘い良かったですね。
私も一応、貴女が望んでいる年齢の許容範囲に入っている者です。貴女の書き込みは全て拝見しました。ご主人と離別してまでご自身の想いを遂げるとは凄い決意ですね。そもそも、別れたくはない大切な人と、、敢えて引き裂かれ行くシチュエーションを想い描いているのだと受け止めました。まるで映画にでもなりそうですね。
色々とお話ししたいのですが、私は一点に絞り込んでお話しさせていただきます。
私事ですが、現在は独り身です。数年前に連れ合いを亡くしています。家内が亡くなる五年程前から家内に対しての奴隷調整を初めました。
嫌がる家内を無理矢理縛り上げてはセックスしていました。道具を使った行為は余りしませんでした。慎ましやかで美しく、賢くて良く出来た家内でした。その頃には、ただ縛ってセックスすることに飽きが来ていた時でした。私と家内共通の友人がいました。家内は彼のことを余り良く思っていませんでした。ある日、いつものように縛り上げた家内を布団の上に転がして、指で虐めていました。暫くして、その友人が訪れて来ました。
彼を家に迎え入れた私なのでした。
これは打ち合わせ通りのことでした。
勿論、家内には内緒の行動でした。家内は私との行為を最初から快く思っていませんでした。
理解してくれるには程遠いものがありました。
こそんな家内の素っ気ない態度に腹立たしさを抱いていた私なのでした。
そうして私の観ている前で、彼に家内を犯させたのでした。2時間あまりも家内の体を貪り尽くした彼なのでした。終了後、家内の縄を解くこともなく、鬼と化した私は、家内を友人に託したのでした。友人が乗って来たワゴン車に縛り上げたままの家内を放り込み。彼に一言、「頼んだぞ。」と。そして車は出て行きました。行く先は彼の家でした。厳しい拷問調教が家内を待っていたのでした。彼に奴隷調整を依頼した私なのでした。
彼はそうした依頼を各方面から受けていた、謂わばプロ的存在の者でした。その後、日々家内の調教風景を動画で送って来ました。自分で依頼しておきながら、家内の姿を観るに忍びないものがありました。
手首が鬱血するほどの強烈な縛り。くびり出された乳房。逆さ吊り、蝋燭、浣腸、等々。最初の頃は音声も出して聞いていたのでしたが、その後は家内の叫び声が余りにも惨めで可哀想で、辛くて耐えられずに音声を落として動画だけを観るのが精一杯でした。
「嫌、、 許してー もうダメ、、かんにんしてー お願い家に帰してー アナタ助けて、、、」
こうした家内の叫び声を聞いて、正直言って後悔しました。特に耳に残って離れなかった言葉は、「アナタ助けて、、。」の断末魔に近い叫び声でした。
中略
彼の下に預けてから、半月くらい経った頃だったでしょうか。隙を見て、彼の家から逃げ出して来た家内なのでした。逃亡出来た経緯は、話すと長くなりますので省かせて頂きます。全裸緊縛で連れて行かれた身であったのに、衣服を身に着けていました。一緒に奴隷調整されて居た女性の物を拝借して来たのでした。彼からの慌てふためいた電話が入って来ました。彼の不始末を詫びる言葉を耳にしていた時でした。
不意に玄関が開いて、家内が入って来たのでした。
タクシーを拾って、乗り付けて来たのでした。
待たせて置いたタクシーに料金を支払って、戻って来た私の顔を、鬼のような形相で睨みつけてきた家内でした。
中略
床に組み敷いた家内の背中に馬乗りになって、後ろ手に縛り上げたのでした。やっと事で逃げて来たのであろう家内を縛り上げ、一言の会話もないままに猿轡を噛ませて彼の到着を待ったのでした。
「申し訳ない、つい油断してしまって、、」
深々の頭を下げて来た彼なのでした。
その彼に家内の手首を縛った後ろ手の縄張りを渡したのでした。二度の私からの裏切り行為に、大粒の涙を流してその場に崩れ落ちた家内でした。二人して家内を抱き抱えてワンボックス車の中へと。暴れ無いようにと脚を縛った縄尻を後ろ手首に連結する逆海老縛りに固定したのでした。
「二度と逃げ出したりしないでしっかりと調整を受けて帰って来るんだぞ、、」
私の言葉に、抗う気力も無くした家内は、がっくりとこうべを垂れていました。しかし、上目遣いに見上げて来た家内の目の奥からは、憎しみに燃えた炎の視線が私へ向けられいました。
中略
それから凡そ五ヶ月後の事。
彼に付き添われて我が家の門を潜って来た家内の姿がそこにありました。立派な奴隷になって帰って来てくれたのでした。
彼に肩を抱き抱えられて玄関先に立って居ました。調教時の顔とは異なり、穏やかな表情を見せていました。何かを習得したような自信に溢れていました。冬の寒い昼下がり、家内のロングコート脱が彼の手によって取り去られたのでした。
全裸の白い肌に縄が亀甲に掛かっていました。
股間の縦割れにも縄しっかりと食い込んでいました。その縄の間から僅かに肉の芽が覗けていました。そしてラビアにはピアスが嵌め込まれてありました。両方の乳首にもピアスが光っていました。局部の脇から内腿にかけては、刺青が施されていました。刺青迄は頼んではいなかったのに
、彼に大切な女房を好き勝手にされてしまいました。悔しさが込み上げて来ました。
家内の後ろ手から延びた縄尻を私に手渡して来た彼でした。
「完璧なマゾ奴隷に仕上げてあるから。何でも言う事を聞くぞ、、人間便器としても使えるからな、、5ヶ月間、俺が天塩にかけて仕込んだんだから。満足して貰えると思うけど、、」
そう言い置いて引き上げて行った彼なのでした。
こうして、私と家内との主人と奴隷の主従関係が生まれたのでした。主人と奴隷女の生活が始まりました。
然し、楽しい生活は長くは続きませんでした。
突然倒れた家内でした。脳溢血で倒れたのでした。五十代の若さでの呆気ない最期でした。
今迄にそんな兆候など、全くありませんでした。
医師の言葉によると、ここ最近に大分身体的に無理をしたのではないのかとの診断でした。
通夜の席、彼が深く頭を下げて詫びて来ました。
彼曰く、過酷極まる責めと調教の連続で、夜を徹して責め嬲った。酷い時には、三日三晩にわたり不眠不休で責め抜いた。俺が殺したようなものだと嘆いていました。そうした調教を依頼したのは私です。誰他人を恨む筋合いではありません。
弔問客が帰った後も、私と彼との二人して、家内の棺に寄り添って朝を迎えたものでした。
何で貴女にこんな話しをしたのかと言いますと、
貴女の文面から察し、想像して、家内が受けた責め調教より、もっと過酷な責め拷問を望んでいる貴女であると思えたからです。非常に心配になります。ましてや家内と変わらぬ年齢です。
この話しを聞いても、それでもまだ拷問を受ける気持ちに変わりがないようでしたら。どうしてもと言うのであれば、これ以上の野暮は言いません。出来たら私の所に来て貰えませんでしょうか
。奴隷奉公女として迎え入れましょう。
但し、完璧な奴隷女になる迄の期間は、彼の下での調教となります。亡くなった家内と同様にして
、彼の厳しい拷問調教に耐えて来てもらいます。
半年間は、彼の拷問部屋で泣きながら暮らして貰いますよ。良いですね、承知しますね。
これに異論が無ければ、貴女の身体はこの先の将来に亘って、私が引き受けましょう。
西東京都在住。私邸に調教蔵有り。六十六歳。
薄毛(坊主頭)体毛無し。
生活には困らない貯蓄有り。
愛車(4WD)。喫煙 飲酒 有り。
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