母は毎晩泣かされています。耳を塞ぎたくなりますが、たとえ悲鳴であっても母の声を聞いていないと心が落ち着きません。
特に土曜日日曜日は、私がお休みなので朝から母の泣き声に悩まされています。辛い週末です。
姿を見なくても、何をされているのかが分かります。厳しい調教から発せられる音で分かります。
肉体を打つ鞭の音。蝋燭の熱さに泣き叫ぶ声。生理現象に呻く浣腸責め。そしてとどめはバイブレーターを股間に埋め込まれての責めに乱れた女の叫びです。
これらが日々のルーティンになっています。夜は庭先の松の木に後ろ手に縛られた状態で吊るされるのが慣わしとなっています。
雨風に晒されていても2時間は下されることはないのです。外部に声が漏れないようにと、吊し責めにされる時には厳しい猿轡が噛まされているのです。
その姿は余りにも惨めで悲しい女の姿です。母と言うよりも、一人の女としての姿として見ていた私でした。特に、厳しく噛まされた手拭いの猿轡が母の唇を引き裂いていました。
私に見られている恥ずかしさからか、ずっと目を閉じている姿に悲壮感が漂っていました。肩から股間へと伝わって行く雨の雫を邪魔をするものもなく滑り落ちていました。
義父の手によって、女の恥毛は綺麗に剃り落とされていたのでした。
母がどれほどの悪行をなしたのでしょう。何の意味があって、義父はここまで母を辱め痛めつけるのでしょうか。言葉さえも封じられた母、無言の悲しみの声が聞こえて来る様でした。
いつの日だったか、台風の最中。縛られ吊るされていた母でした。暴風雨に肌を打ち付けられて、松の木の枝に結ばれた縄と共に大きく身体が揺さぶられていたのでした。
余りの酷さに、義父の前に跪いて、母を下ろして下さい。許して上げて下さいと懇願した私でした。それならお前が身代わりになるのかと迫って来た義父なのでした。
私は恐怖に返す言葉もなく、弱々しく頭を横に振ってしまいました。母を助けることも出来なかった情け無さに一晩中泣き明かした夜でした。私も何れはこうなるんだと覚悟を決めた嵐の夜でした。
逃げ出せるものなら母と二人してそうしたいのですが、逃げ出すことは不可能なんです。今日迄の母の責めの調教記録をビデオに全て収めてある義父なのです。私達が怪しい動きをすれば、録画撮影した母の醜態をネットで拡散すると脅されているのです。
その様な訳でして、義父から解放されるとの無い私達母娘なのです。
※元投稿はこちら >>