hiroさん
お便りありがとうございます。
50年前といいますと昭和60代初頭ですね。バブル期に突入して行く頃でしょうか。
僕は昭和62年の生まれです。その後間もなく年号が平成に変わって行きました。
親が子供を拘束(縛る)するといった行為は、現在では虐待に当たります。
然し、当時では躾といった教育の一環であったのですね。何か、古き良き時代を感じます。
母と私の場合も、躾という意味もあったのでしょうが、母親は半ばその行為を楽しんでいる様にも感じ取れました。
実際に、母親からの折檻を受けたいが為に、態と悪態をついて、母親を怒らせるといった暴挙に出る私なのでした。
一本が二本と日に日に紐が増して行ったのを覚えています。縛りも日を追う毎に厳しくなって行く有り様でした。
勿論それは僕にとってはこの上ない喜びでした。
最初は軽く両手を体の前で縛るだけであったものが、後ろ手縛りにされる様になり、遂には足迄も縛られるごとに。
果ては念願であった猿轡まで槌まされた時には、子供心に、このままずっと時間が止まってくれたらいいのに、などと思った程でした。
夢に描いていた母親からの猿轡に、噛まされた手拭いをグっと噛み締めて、そっと目を閉じて、母親が放つ体臭を感じ得ていたものでした。
この幼少期の稀有な体験を抱きつつ、燻り続けて大人になって行った私。現在の妻との結婚。そして義母との運命的な同居(婿入り)。
第二の母親の存在です。亡き実母の再来だと思っています。
母親からは得る事の出来なかったパンティの猿轡を今しっかりと噛み締めて義母に体を預けて毎日を送っています。
「義母との捕り物ごっこ」のエピソードは色々とあります。この後、発信して行きたいと思っています。
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