早速のお便りありがとうございます。
大変にお恥ずかしいのですが、lDとかには全く無知な女です。
所謂、機械音痴な私です、ご容赦ください。
「黄色」といったものが意味するものとはどんな通信手段なのでしょうか?
私が理解しているものは、単純なメールでのお話しをする程度です。
先ずはこの件に付いてご報告させて頂きます。
七槌様 sho様 ゆう様 初めまして、宜しくお願い致します。
私は四十半ばの女です。人様と接するお仕事をしておりますので、体型には気をつけています。
中肉中背、色白で長い黒髪を有しております。
若い頃には劇団員の仕事をしていました。願わくば女優への夢も抱いていました。、などと。
お世辞も加わっていると思いますが、三十代に見られることも、しばしばあります。
柔軟な身体ですので、縛り易いかと思われます。実際、後ろ手合掌縛りに固められて
半日程放置されたこともあります。三重四重の厳しい猿轡を噛まされて、
両乳首に十文字に針を打ち込まれ、激しい痛みに失神しました。
直後に気付け薬を嗅がせられて正気に戻されて、次に針が襲って来た所はクリトリスなのでした。
人間、一度失神すると、二度目の失神には至れず、鋭い痛みに耐えるほかありません。
乳首同様にして十文字針が股間の柔肉につき立てられたのです。
どれほどの涙の量だったのか、溢れ出た涙で猿轡がぐしょぐしょになったことを覚えています。
この拷問は、旦那様の要求を拒否したが為に行われた躾けだったのでした。
それでも拒否し続けた私。次の拷問で屈服したのでした。
指の爪と肉の間に差し込まれてきた針の痛さは尋常ではありませんでした。
筆舌に尽くし難いとは、この痛みのことを言うのでしょう。
左右の指すべてに刺すと言って来た旦那様の言葉に、猿轡の内から必死の願いを込めて哀願しました。
猿轡が無かったら、どれ程の絶叫であったことでしょう。
その私の声を抑える為に重ねられた猿轡だった事を身をもって知らされた私のでした。
猿轡だけを解かれて、合掌縛りの縄尻を旦那様に持たれてトイレに向かうのでした。
洋式トイレを跨ぐ旦那様。トイレの扉は開け放ったまま。旦那様と向かい合うようにしてトイレの前できちんと正座して
待つ私。旦那様の排便が済み、便器に凭れるようにしてお尻を突き出す旦那様。
「さぁ頼んだよ。綺麗にしておくれ、、」
「はい 承知致しております」
こうした言葉の遣り取りも欠かさない旦那様なのでした。
私が、言葉を間違えるような事があれば、さらなる厳しいお仕置きが待っているのでした。
旦那様は決してスカトロを好んでいたのでは
旦那様ではありません。
人間の最も醜い糞便といった物を口にさせるといった喜びに浸っていた旦那様だったのです。
私も汚いなどとは思いませんでした。旦那様が喜んでくれるのであればとの思いで舌を這わせました。
と同時に、人間としてここまで堕ちることが出来た自分に満足感さえ抱いていました。
後ろ手に縛られた状態で、男性のお尻の割れ目に顔を突っ込んで肛門の汚れに舌を這わす。
こんな姿を別れた夫と子供(女の子)が見たら、なんと情け無く、ふしだらな女に映ることでしょう。
そうです、私は一度離婚をしている女です。子供の親権を夫に持って行かれたという事は、私の方に非が有ったのでした。
そうです、旦那様の甘い言葉に誘われて、飲めないお酒を勧められて、気づいたら旦那様の家の中。
既に、全裸にされて厳しい縄掛けが施されていたのでした。言葉は猿轡で封じられて、無抵抗の状態で犯されたのでした。
恥ずかしい縄掛け、色々な格好に縛り上げられてあらゆる角度から写真に収められたのでした。
その写真が旦那様の手許に在る限り、私は逃げ出すことも許されません。
大人しく旦那様に従う他なかったのでした。
結果、好きな人が出来たという理由で夫に離婚を申し出た私なのでした。旦那様の命令に従っての事でした。
別れ際、娘の泣いていた顔が思い出されて堪りません。
この想いを忘れ去りたいが為にも、何方か様の最下位の奴隷となって、鞭打たれ、熱蝋の滴りの下で悶え狂いたいのです。
そして肉壺に肥後芋茎を押し込まれた状態で、貴男様への口奉仕をさせて頂けましたら、至福の限りで御座います。
最後に、都営当時の旦那様のお年は75歳のご老体でしたが、精力は人並み外れていました。
一晩に四度も五度も昇華させてくださいました。眠れぬまま朝を迎えたことも少なくありません。
その様な事情をお汲み取り頂きまして、体力有るご高齢の方を望んでいる私です。
勝手を申しまして恐縮に存じます。
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