「お尻が良いです」
と彼女は答えた。
躾に厳しかった彼女の母親は、子供の頃にはよく、お仕置きと称して、お尻を叩いたり、お灸を据えたりしていたらしい。
今どき、体罰なんて、古風な母親だと思った。
実は彼女は災害孤児。
多感な時期に両親と死別して、親戚に引き取られたものの、養父母も被災していて、荒んだ家庭環境に馴染めず、一人で家を逃げ出したと言う。
たまたま被災地でボランティアをしていたのが、彼女を養っていた夫婦。
家出していた彼女を拾った二人は、親戚を説得して、コチラで仕事や住む場所を提供していた。
バイトをしている時に、芸能事務所にスカウトされて、アイドルを目指そうとして、随分と嫌な仕事もしてきたと言う。
結局お金も稼げなくて、アイドルになる夢は諦めたものの、養母が出版社に売り込んで、読モの仕事を始めた。
孤児というプロフィールも、本名さえ隠して生きてきた彼女にとって、社会に自分の存在を示す事が生き甲斐だったと言う。
しばらくして、養父母の特殊な性生活に気づいた彼女は、心の中に潜んでいた欲望に気づいた。
男女交際禁止の世界で、まともな恋愛もして来なかった彼女の中に、愛されたいという感情が募ったと言う。
養父母のプレイを覗き見していた彼女は、満たされない欲望をオナニーで解消していた。
覗き見していた事が養父母にバレた時は、叱られると思ったらしいが、二人とも覗き見されている方が、興奮すると言って、成人してからは、仕事の傍らで、プレイの手伝いをするようになったらしい。
養父母以外のカップルのお手伝いをして、正業よりも稼げるようになった彼女は21歳になると、自分で参加費を支払って、プレイヤーとしてサークルに参加するようになった。
M女として参加すれば、一人を相手にしただけで、参加費の元は回収できる。
興味本意で始めたSMが、彼女の生活に欠かせない物になり、女性は無償のサークルでは、最大10人を相手にセックスしていたらしい。
平凡な家庭に生まれ育った私には、想像も出来ない壮絶な人生を送ってきた彼女に、ある意味で尊敬する気持ちも生まれた。
だから私は、彼女が私に突き出してきたお尻を、チカラ一杯叩いてあげた。
亡くなったお母さんを想っていたのか、彼女は泣きながら悶えて喘いでいた。
叩いている私の口の中に、堪えていた涙の塩辛い味が広がった。
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