【精神科、隔離病棟】
こんばんは、ひょんな事から何時もの常連さん達とのチャットの中で体験告白を書く事をお約束したのでこれからお書きします。
また、この体験談を読むにあたり最初にSM体験談とは違う事を明記しておきます
以前、私は学生時代にいじめにあっていたと書いたと思いますが…その後日談みたいな体験告白になります。
高校をなんとか卒業し社会人になりましたが…20歳になってもまだ学生の頃の何人かの男性達から手を切れずに性欲の捌け口にされ続けていました。
仕事中(当時は製造業の事務員をしていました)にも関わらず彼等からの電話で呼び出されては性欲の捌け口にされていました。
そんな私にも社内に私が好きど言ってくれる男性が現れました。
もちろん、彼は私が社外の男性達の性欲の捌け口にされている女だなんて知りません。
私の過去を知らない素敵な男性でした。
この時、私の心と身体が別な方向に歩き始めたのだと思います。
心は私の過去知らない男性との夢の様な交際を楽しみ。
身体はあの男性達とのセックスを求めいけないと思いつつも交際中の彼を裏切り呼び出されると尻尾を振る犬猫の様に出向いてしまうのです。
当然、ですが交際中の彼氏とのセックスもありました。しかし、そのセックスは快楽を知りすぎた私の身体には満足出来るものではありませんでした。
そして、そんな生活の中で私は思い悩み…(不眠症からくるノイローゼだったと後から私は思いました)気付いたらワケわからなくなりました。
夜は自分からあの男性達と連絡を取りセックス。朝帰りをしては会社を休み両親に向けては暴力(家庭内暴力や暴言)、ベッドに就くと自分が裏切った会社の彼氏の事を考え悔いてしまい眠れず。精神が狂って来たのだと思います。
そして、発症は…カラオケボックスでした。
彼等とコート1枚だけでカラオケボックスに行きセックス。そして面白がった彼等は他のお客さんも呼んで私とセックスをさせました。繰り返しているウチに騒ぎが大きくなってしまいました。私は頭がトビ、セックスに夢中に…気が付いたら部屋に1人でお店の物を壊していました。何故か楽しくて物を投げたり居なくなった彼等に対し暴言したりしていました。(後日、知りましたがお店から警察署に頭の狂った女が部屋を占拠していると通報があったそうです)
そして警官に取り抑えられ…
なんか、書いていて自分が惨めです。
すみません。
この辺のいきさつは且つ上げさせてください。
兎に角、こうなるともう何を言っても聞き入れられず焦れて実力行使しようと思うと回りから力ずくで数名の力で押さえ込まれ…到着した場所は精神科の病院でした。
そして、押さえ込まれて居るところに注射器が… 注射を打たれると意識が無くなりました。(この時も私は自分のコートしか身に纏って無かったと思います。記憶、定かではありませんが…みなさんから質問されると思うので)
そして、気が付くと壁に囲まれた部屋のベッドに紙オムツを付けられ手足を固定されてました。
声をあげて助けを求めても誰もこないの、部屋のドアが開く事がないの(この時は恥ずかしいけど尿や便をオムツの中で出すしかなかったです)
そして何時間、経ったのか白い制服の男性(看護師)が私の紙オムツを見に来たのでしょう。
でも今の私にはその男性にすがるしかなく、手足をほどいてとかここから出してとかお願いしましたが聞いて頂けませんでした。
この部屋での生活は何日、続いたかわかりません。
カレンダーもなく時計もありませんでした。
壁に囲まれたこの部屋には私を張り付けているベッドしかありません
だからわかるのは何となく昼間と夜の違い後は看護師さんが食事を運んでくるのでおおよそ朝とか昼とか夕方の時間なのかなと解るくらいです
だから、この部屋では私の紙オムツの交換と食事の時しか看護師さんの出入りがありませんでした。
①磔での食事
時間になると看護師さん達が病食を運んできます
でも、私の腕の拘束は取られる事なく看護師さん達が食事を採らせてくれます。ですが、最初の頃は反抗的だったので看護師さんの手で口許に差し出される食物に顔を背けさせますが看護師さんもそんな私の口に食物を押し込んできます。
しかし、私も間近にある看護師さんの顔に向け口に押し込まれた食物を吐き出すの
囚われの身の私の細やかな抵抗…バトルですよね
でも、そんな抵抗も何時までも続く物ではありませんでした
手強い根気強い看護師さんには負けてました
②紙オムツの交換
看護師さんが時折、鉄扉の鍵を開けて入ってきます。腰を上げさせられての交換です。
紙オムツの交換の場合も最初の数日は反抗的に唾を吐き掛けたり暴言を吐いたりしていましたが結局、日にちを重ねると彼等(看護師さん達)のご機嫌(女の武器を使う)をとるしかこの状況を変えるしかないと悟り媚びる様にする(看護師さん達は待っていた様です)しかありませんでした。おとなしくオモチャになるしかありませんでした。
表には…公にならない事、いくら私が言ったところでキチガイの言葉は信じて貰えないと思います。
あの病院の中で私は入院中一部の男性達の性処理に使われていました。ただし大半の看護師さん達はこんな私にも誠意ある看護をして頂いた事も添えておきます。
あくまでもこれは患者(キチガイ相手)にその立場を利用した一部の男性達が私に行った時の私の体験談と受けとめてくださいね。
多分、ベッドに磔にされてた期間は2~3週間だと思われます。
そして、私に病回復が見られたのでしょうか次に写されたのは鉄格子と壁、部屋の中に目隠しのない和式トイレがある独房みたいな部屋に移されました。
病衣は渡されましたが下着なしだったと思います(記憶定かじゃ無くてごめんなさい)
やはり、独房見たいな部屋には窓ガラスもなく。前の患者が傷付けたであろう凸凹のある壁と鉄格子に鍵の掛けられた鉄扉、ただ救いは鉄格子を挟んだ廊下の反対側には窓ガラスあり景色が見えた事です。
ここでの生活では食事は時間になると看護師さんが鉄格子の隙間から入れる。医師が時折、鉄格子の向こう側に来て私を観察(診察)するくらいでここから出されるまで鉄扉が開く事は無かったです。
私はこの部屋で憤る思いを壁にぶつけたり独り言を言ったり…と普段は気付かない会話が出来る幸せを感じたものでした(少しあの時の気持ちを思い出しました)
勿論、独房の中は私の自由空間、
ただ違うのはアリの観察箱を連想すると良いと思いますが…医師や看護師達が鉄格子の向こう側にいる時は全てを見られていると云う事です。
私のトイレもオナも観察されてました。
そんな生活は1~2カ月だったと思われます。
そして、病回復が認められ一般病棟に移されて行きました。
精神科の一般病棟に移り両親との面会もやっと許されました。
精神科に入院し3~4カ月振りに会った両親の顔はとても疲れていたいた様に見えたのを憶えてます。
私の記憶の中に思い違いや間違いがあるかも知れません。
また、この私の体験談を読み皆さんの私に対する見方が変わるのではないかと不安ではございますが…ここでペンを折る事にします
文才や表現力の乏しい文章に最後まで読んで頂きありがとうございました。
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