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2024/02/10 19:22:13 (obg0Ze2c)
小5のときに両親を事故で亡くした私は、両親がカトリックだったこともあって、修道院に預けられました。
私は男の子だったこともあり、面倒をみてくれるシスターの部屋からは裏口からしか出入りを許されず、表立ったところへの侵入は許されておりませんでした。
従って、修道院に男の子がいるということは知られておらず、修道女ですら限られた人しか私の存在を知りませんでした。
学校は、修道院が経営する短大付属小学校へ通学していました。

私は、シスターにとても可愛がられ、シスターと一緒にお風呂に入り、就寝時はシスターに抱っこされて寝ていました。
支所の頃は、ペットのように可愛がられていましたが、私が中学生になると、可愛がられ方が変わってきました。
思春期に入り、陰毛が生えてきても一緒にお風呂に入るシスターに、いつものように体を洗われるのですが、陰茎の荒い方がしつこくなりました。
中学生が、陰茎の皮附剥くように洗われれば、勃起してしまいます。
私は、勃起の意味も分からず、陰茎を洗われてビクビクしていました。

中一の私は、裸のシスターと裸で寝ることも珍しくなく、当時13歳の私と40歳のシスターは母子でもおかしくない年齢差、でも、裸で寝るとその雰囲気は異様でした。
まだ精通してない陰茎を握られ、目の前にはシスターの乳房、興奮します。
そして、中一の秋頃、お風呂で陰茎を洗われているとき、内股がザワザワしてきて、
「ああ、ああ、なんか変・・・」
私の勃起した陰茎は、精液をダラダラと漏らしました。
私が精通した瞬間でした。

それからというもの、毎晩お風呂で陰茎を洗われたのですが、扱くのではなく、亀頭を念入りに洗われて、最後扱かれて射精していました。
シスターは、扱いてしまうとあっけなく射精してしまう男の整理を理解してて、亀頭だけの刺激だと、快感だけを享受して、なかなか射精に至れないことを知っていました。
仮性包茎の皮を剥かれ、恥垢を洗うという名分のもと、少年がウケていたのは亀頭責めでした。
亀頭を席巻まみれでヌルヌルと洗われ、快感に身悶えする中学生、勃起も射精の意味も分からず、でも、シスターにされている気持ちいい仕打ちは、イケナイことだとは薄々感じていました。
イケナイことをシスターと共有している、そんな興奮もありました。

やがて、陰茎洗いはステップアップして、陰茎を石鹸まみれの手ぬぐいで洗われるようになり、そのざらつく刺激に苦悶しました。
お風呂の椅子に座った私を後ろから抱き抱えるようにして亀頭を洗われるから、逃げることもできず、されるがままに悶えました。
お風呂で射精したにもかかわらず、お風呂から上がっても、私の勃起は治まらず、シスターに、
「発情しすぎのイケナイおチンチンね。」
と言われ、ベッドに仰向けにされた私は、シスターのお世話をしてる若い修道女二人に私の両手を押さえつけさせました。

私の両足の上に乗ったシスターは、
「発情しすぎたおチンチンは、お仕置きが必要ですね。」
と言うと、切ったストッキング片の両端を持って、テンションを架けながら勃起した私の亀頭に被せると、亀頭がストッキングにめり込ませた状態で、ストッキングを左右に動かしました。
亀頭に強烈な刺激が走り、仰け反りながら、
「ああ~~ああ~~ああ~~ああ~~ああ~~」
と悶絶させられました。

快感と苦痛が入り混じる初めて味わう刺激で、腰がガクガク痙攣して、ハアハアと息が荒くなっていきました。
気持ち良すぎて発狂する、そんな刺激でした。
「どう?ピュッピュしたい?」
シスターは射精をピュッピュと言ってました。
頷くとシスターはストッキングを外し、中学生の陰茎とは思えぬくらい真っ赤に充血してあまりの果敢に震える陰茎を扱きました。
お風呂でsy精してるにもかかわらず、ドっピュー――っと大量に射精しました。

しかも、射精してしまった陰茎を、シスターは扱き続けるのです。
射精後の陰茎は超敏感、私はヒィーヒィーと発狂させられました。
若い修道女は、生唾を飲んでその光景を見ていました。
私の陰茎は萎えることを許されず、三度四度と射精を繰り返しては、扱かれ続けました。
やがて勃起しなくなり、
「やっとおりこうさんなおチンチンになったわね。」
と言って、許してくれました。

少年にとっては強烈なマゾ体験、勃起させると、あの恥辱の超快感を味わえると体が覚えてしまい、私はシスターに見せつけるように勃起させ、連日ストッキングで発狂しました。
そんな私は、中三になってすぐ、シスターの世話をしている若い修道女で童貞を卒業しました。
毎晩、シスターと寝ているベッドで修道女と生セックス、連日ストッキングで鍛えられた私の陰茎は、中学生とは思えぬ持久力を発揮しました。
毎晩イキ狂う修道女の子宮に、ドクドク射精していました。
そして、修道女は夏の頃、修道院から姿を消しました。

そうやって、私は中三時代、何人かの若い修道女と連日中出しセックスをしたのですが、決まってその修道女は、やがて修道院から居なくなりました。
中学を卒業した私は、修道院を出ました。
そして、系列のカトリック系私立共学高校の理事長のお宅へ預けられました。
修道院が経営する短大付属学校は、中学校までが共学で、高校は女子高でした。
だから、高校へは系列共学高校の理事長の家から通いました。
理事超は50代熟女、教育ママみたいなメガネをかけてて、毎晩陰茎を弄ばれました。
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2
投稿者:タヌポン ◆ROzDuwlLHY   moon0018
2024/02/10 20:11:46    (UqtR3/ML)
まるで、イタリアの有名ポルノ監督のような内容。

しかし、なかなか面白いストーリーです。
今も持っているその有名監督のDVD 、持っております。そういえば・・・昔にシスターの格好した日本のAV女優さんが居まして。たしか清元 かよ?加代?さんでしたか。個人的に好きで持っていました。

3
投稿者:(無名)
2024/02/10 21:03:11    (ijxqfo9W)
この先、どうなったのだろうって思います。
修道院のその後も知りたいものです。
4
投稿者:(無名)
2024/02/11 12:48:41    (h62Ih7e4)
続きますか?
5
投稿者:マゾ夫 ◆GEz7lZl5wc
2024/02/11 19:20:39    (BZT559Vi)
ご要望にお応えします。

長さ20㎝くらいの十字架を勃起した尿道にジワジワ挿されて、キリスト像の目に跪き、十字架を挿された陰茎を揺らしながら、全裸でお祈りを捧げるのが日課でした。
その十字架を抜かれた後、閉経した理事長の子宮に何発も射精させられていました。
毎日尿道に十字架を挿され、理事長とセックスしていた私は、熟女の喜ぶセックスマシンになっていきました。
高校を出た私は、大学進学で上京する直前、全てを聞きました。
両親が事故死した時の賠償金の半分は、修道院に預けられ、それで私は高校まで卒業したのです。
もちろん、私一人を小5から高3まで育てても高額のお釣りがくる金額を預けられていました。

そして、私が中3の時に修道院で中出しした何人かの若い修道女は、私の子を身籠り、神の子として出産、賠償金の一部で育てられているそうです。
生まれたのが何人で、どこに住んでるかは教えてもらえませんでした。
私は、残りの賠償金が入った通帳を受け取り、上京しました。
大学では、女子大生と初めて男女の恋愛を経験し、愛情を持ったセックスも経験しました。
そのまま東京に就職しましたが、卒業するときに女子大生とお別れした後、女子大生よりも、理事長のような熟女とのセックスの方が、気持ちいいことをに気付いてしまいました。

私は、23市の若さで、自治体が運営する婚活パーティー、今でいう街コンに参加しました。
そこで、女優の山本みどりさんに似た一回り年上の女性に恋をしました。
なぜ、これほど美しい女性が、35歳まで独身だったのか、不思議でした。
言い寄る若い私に戸惑いながら、
「私、32歳まで、SMクラブで女王様をしてたの。サディスティックな性癖で、男性がみんな逃げだしちゃうの。だから、私突き合うなら、覚悟してね。」
と言われました。

私の脳裏に、修道院でのストッキングによる亀頭責め、射精後の扱き、そして理事長に尿道へ十字架を挿された毎日が過りました。
私は、山本みどりさんに似た元女王様の責めを被験しました。
案の定、ローションまみれの垢すりミトンを右手にはめた元女王様に、亀頭責めを受けました。
垢すりミトンによる亀頭責めは、ストッキングの比ではなく、大の字にハリツケにされた意味を理解するほど強烈な刺激で、
「あああ~~~あああ~~~あっ、あっ、あっ、あっ、ああああああああああああああ・・・」」
私は絶叫し、ついに白目を剥いて気絶してしまいました。

そして、射精させられた後は、扱きではなく、射精後の敏感な亀頭を垢すりミトンで擦られ、
「ヒイィィィィィィィィィィィィィィィィィ」
と暴れましたが縛られてどうにもならず、その後二度三度と射精させられ、垢すりミトンで射精後の亀頭責めを受けました。
そして、後日は尿道責め、十字架で拡張はされていた尿道に、メタリカンボールという金属製の球が連なった棒をじわじわと入れられ、
「おや、このサイズを初めて入れられる人は初めてね。普通は痛がるんだけど。もしかして、尿道は調教済みなのかしら・・・」

メタリカンボールを尿道にズコズコ抜き差しされ、私は仰け反りながらマゾ発狂、メタリカンボールを挿されたまま、ドロドロと射精して、元女王様を喜ばせたのです。
その後、初体験のアナル調教、私はエネマグラという前立腺の責め具でタラタラとトコロテンするまで調教され、見事、マゾ夫となりました。
私25歳、元女王様37歳で結婚、私は、尿道にメタリカンボール、アナルにエネマグラを挿されてマゾ発狂しながら、トコロテンをタラタラタラタラ垂れ流すマゾ夫として生きてきました。

妻は、39歳で女児を出産、私たちは東京郊外に家を建てました。
居間と客間、子供部屋、そして夫婦の寝室とその奥には調教部屋が設けられています。
調教部屋には、ハリツケ台、拘束椅子、それに様々な責め具が用意されています。
平日は、一回り年上の熟した女体を味わい、週末はハリツケ台に大の字にされ、拘束椅子で大股開かされ、亀頭を、尿道を、アナルを犯されて、恥辱の快楽に酔い痴れてきました。
現在結婚30年、私は55歳、妻は67歳、この年になっても妻は美貌を保ち、私は亀頭を苛まれ、ガバガバになった私の尿道やアナルを責められて、恥辱の射精をしています。

先日、長年行ってなかった故里にある父の本家の墓を参りました。
両親が眠るその墓には、もう、何十年も来たことがありませんでした。
線香と生花を手向け、私は修道院に行ってみました。
懐かしい修道院は、三十数年前は木造の白い建物でしたが、今は鉄筋コンクリート造で茶色っぽい建物になっていました。
私の性癖を形成したあのシスターは、ご存命なのでしょうか・・・
そして、三年間暮らした高校の理事長宅は無くなってて、そこには幹線道路が通ってました。

その日はホテルに一泊し、翌日帰京して、67歳の妻に、私が中学時代に受けたストッキングによる亀頭責めと、連続射精扱き責めの経験を話しました。
そして、長年しまってあった尿道に挿してた十字架を出して、高校時代の話をしました。
すると妻は、十字架を消毒すると、私の尿道に深々と挿し込みました。
55歳になって、若い頃より勃起力が衰えた陰茎は、十字架の重みでダランと横になり、ユラユラと揺れました。
従事かが刺さった陰茎を揺らしながら、跪いてお祈りを捧げました。
「へえ・・・高校生でそんなことさせられてたんだ・・・どうりで、マゾになるわけね。」

その後、妻にストッキングで懐かしい亀頭責めを受け、ああああ、ああああ、と悶絶させられた後、徹底的に扱かれ、連続射精扱きで、55歳のペニスは3回射精したのです。
その後、興奮した67歳の妻に、コックリングとボールリングで強制勃起させられ、騎乗位で腰を振られました。、
「あなた、ずいぶん凄い生い立ちだったのね。中学生でストッキングで亀頭責めなんて、そりゃあ発狂するわね。勃起したら発情したイケナイおチンチンかあ・・・もの凄いサディスト・・・」

妻が、遠くを見るような目で言いました。
「12歳年下の夫と上手くいくか最初は心配だったけど、私の性癖をすべて受け入れられるハードマゾに巡り合えて、幸せだった。30年もおチンポ苛めさせてくれて、ありがとう・・・」
私は、妻の言葉を聞いえ、自分が相当に特別な生い立ちで、特別な妻に特別な被虐生活をしてることを改めて自覚して、それを文章にしてみようと思いました。
私のような稀有な生い立ちのお話を、最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。
6
投稿者:(無名)
2024/02/12 13:55:26    (TCUuShp1)
素晴らしいお話ですね。
時間にして半世紀近い壮大な経験談でした。
こんな経験は、想像では書けるものではありませんね。
もしフィクションだったら、秀逸です。
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