2025/08/23 09:51:22
(GL49pu2D)
高校生で、祖父に処女を奪われ、大学生で祖父の子供を宿しました。
図らずも二度の中絶を行いました。
一人では怖くて、母の付き添いのもと産婦人科医の門を潜ったのでした。
相手は大学の同級生と言うことで母を納得させたのでした。
休日には欠かさず祖父の家へと足を運びました。
炊事洗濯はもとより、畑仕事も手伝わされました。悲しい事に全裸での作業でした。
人里離れた山間部の奥地ゆえ、隣り近所は
無いに等しい僻地です。誰一人として訪ねて来る者もいません。
作業後、土塗れの身体を井炉端の水を浴びて汚れを落として家に戻ります。
上がり口の板敷の上で正座をして、祖父を待ちます。
戻って来た祖父からの縄を受けるのでした。幸せです、心からそう思いました。全てを祖父に身を預ける幸福感に酔い痴れました。
その幸福感もセックスといった祖父からの行為があっから、肉奴隷へと堕とされて行ったのでした。
私が望んでいたものは身体への緊縛そのものでした。セックス等は考えてもいない事だったのでした。無論、妊娠も予想外の事でした。
然し、これは受け身側の女性にとっては防ぎ様のないことです。膣内に精液を放たれれば、それは限りなく妊娠に近づきます。
当初はセックスは避けていたのでしたが、祖父の我慢にも限界が達してしまいました。
一度堤防を破った濁流は、激しさを増して私の体に雪崩れ込んで来たのでした。祖父は狂った様に襲いかかって来たのでした。
連日連夜、あらゆる体勢に縛りつけられて祖父の肉布団になったのでした。
その疲れが抜け切れぬままでの大学での授業。講義もそこそこに祖父の元に帰宅。
すぐさま縛り上げられて、セックスの嵐。疲れているので今日は休ませてと許しを乞うものなら、、。
納屋に連れ込まれ、立ったままで柱に縛り付けられ、眠れぬ一夜を過ごしたものでした。
翌朝、柱から解放されたのも束の間、母屋で寝かせてもらえるのかと思いきや、畑仕事に連れ出されました。
余りにも悔しく惨めで涙が止めどなく頬を伝いました。
休日が訪れる度に、祖父の家へと赴き、そんな日々の繰り返し。私の体と心は祖父によって洗脳されていったのでした。
現在では、祖父への口でのお勤めを欠かしません。飲精は祖父への奴隷であることの誓いの証です。
それともうひとつ、飲尿も私の日課となっています。