2024/02/11 19:20:39
(BZT559Vi)
ご要望にお応えします。
長さ20㎝くらいの十字架を勃起した尿道にジワジワ挿されて、キリスト像の目に跪き、十字架を挿された陰茎を揺らしながら、全裸でお祈りを捧げるのが日課でした。
その十字架を抜かれた後、閉経した理事長の子宮に何発も射精させられていました。
毎日尿道に十字架を挿され、理事長とセックスしていた私は、熟女の喜ぶセックスマシンになっていきました。
高校を出た私は、大学進学で上京する直前、全てを聞きました。
両親が事故死した時の賠償金の半分は、修道院に預けられ、それで私は高校まで卒業したのです。
もちろん、私一人を小5から高3まで育てても高額のお釣りがくる金額を預けられていました。
そして、私が中3の時に修道院で中出しした何人かの若い修道女は、私の子を身籠り、神の子として出産、賠償金の一部で育てられているそうです。
生まれたのが何人で、どこに住んでるかは教えてもらえませんでした。
私は、残りの賠償金が入った通帳を受け取り、上京しました。
大学では、女子大生と初めて男女の恋愛を経験し、愛情を持ったセックスも経験しました。
そのまま東京に就職しましたが、卒業するときに女子大生とお別れした後、女子大生よりも、理事長のような熟女とのセックスの方が、気持ちいいことをに気付いてしまいました。
私は、23市の若さで、自治体が運営する婚活パーティー、今でいう街コンに参加しました。
そこで、女優の山本みどりさんに似た一回り年上の女性に恋をしました。
なぜ、これほど美しい女性が、35歳まで独身だったのか、不思議でした。
言い寄る若い私に戸惑いながら、
「私、32歳まで、SMクラブで女王様をしてたの。サディスティックな性癖で、男性がみんな逃げだしちゃうの。だから、私突き合うなら、覚悟してね。」
と言われました。
私の脳裏に、修道院でのストッキングによる亀頭責め、射精後の扱き、そして理事長に尿道へ十字架を挿された毎日が過りました。
私は、山本みどりさんに似た元女王様の責めを被験しました。
案の定、ローションまみれの垢すりミトンを右手にはめた元女王様に、亀頭責めを受けました。
垢すりミトンによる亀頭責めは、ストッキングの比ではなく、大の字にハリツケにされた意味を理解するほど強烈な刺激で、
「あああ~~~あああ~~~あっ、あっ、あっ、あっ、ああああああああああああああ・・・」」
私は絶叫し、ついに白目を剥いて気絶してしまいました。
そして、射精させられた後は、扱きではなく、射精後の敏感な亀頭を垢すりミトンで擦られ、
「ヒイィィィィィィィィィィィィィィィィィ」
と暴れましたが縛られてどうにもならず、その後二度三度と射精させられ、垢すりミトンで射精後の亀頭責めを受けました。
そして、後日は尿道責め、十字架で拡張はされていた尿道に、メタリカンボールという金属製の球が連なった棒をじわじわと入れられ、
「おや、このサイズを初めて入れられる人は初めてね。普通は痛がるんだけど。もしかして、尿道は調教済みなのかしら・・・」
メタリカンボールを尿道にズコズコ抜き差しされ、私は仰け反りながらマゾ発狂、メタリカンボールを挿されたまま、ドロドロと射精して、元女王様を喜ばせたのです。
その後、初体験のアナル調教、私はエネマグラという前立腺の責め具でタラタラとトコロテンするまで調教され、見事、マゾ夫となりました。
私25歳、元女王様37歳で結婚、私は、尿道にメタリカンボール、アナルにエネマグラを挿されてマゾ発狂しながら、トコロテンをタラタラタラタラ垂れ流すマゾ夫として生きてきました。
妻は、39歳で女児を出産、私たちは東京郊外に家を建てました。
居間と客間、子供部屋、そして夫婦の寝室とその奥には調教部屋が設けられています。
調教部屋には、ハリツケ台、拘束椅子、それに様々な責め具が用意されています。
平日は、一回り年上の熟した女体を味わい、週末はハリツケ台に大の字にされ、拘束椅子で大股開かされ、亀頭を、尿道を、アナルを犯されて、恥辱の快楽に酔い痴れてきました。
現在結婚30年、私は55歳、妻は67歳、この年になっても妻は美貌を保ち、私は亀頭を苛まれ、ガバガバになった私の尿道やアナルを責められて、恥辱の射精をしています。
先日、長年行ってなかった故里にある父の本家の墓を参りました。
両親が眠るその墓には、もう、何十年も来たことがありませんでした。
線香と生花を手向け、私は修道院に行ってみました。
懐かしい修道院は、三十数年前は木造の白い建物でしたが、今は鉄筋コンクリート造で茶色っぽい建物になっていました。
私の性癖を形成したあのシスターは、ご存命なのでしょうか・・・
そして、三年間暮らした高校の理事長宅は無くなってて、そこには幹線道路が通ってました。
その日はホテルに一泊し、翌日帰京して、67歳の妻に、私が中学時代に受けたストッキングによる亀頭責めと、連続射精扱き責めの経験を話しました。
そして、長年しまってあった尿道に挿してた十字架を出して、高校時代の話をしました。
すると妻は、十字架を消毒すると、私の尿道に深々と挿し込みました。
55歳になって、若い頃より勃起力が衰えた陰茎は、十字架の重みでダランと横になり、ユラユラと揺れました。
従事かが刺さった陰茎を揺らしながら、跪いてお祈りを捧げました。
「へえ・・・高校生でそんなことさせられてたんだ・・・どうりで、マゾになるわけね。」
その後、妻にストッキングで懐かしい亀頭責めを受け、ああああ、ああああ、と悶絶させられた後、徹底的に扱かれ、連続射精扱きで、55歳のペニスは3回射精したのです。
その後、興奮した67歳の妻に、コックリングとボールリングで強制勃起させられ、騎乗位で腰を振られました。、
「あなた、ずいぶん凄い生い立ちだったのね。中学生でストッキングで亀頭責めなんて、そりゃあ発狂するわね。勃起したら発情したイケナイおチンチンかあ・・・もの凄いサディスト・・・」
妻が、遠くを見るような目で言いました。
「12歳年下の夫と上手くいくか最初は心配だったけど、私の性癖をすべて受け入れられるハードマゾに巡り合えて、幸せだった。30年もおチンポ苛めさせてくれて、ありがとう・・・」
私は、妻の言葉を聞いえ、自分が相当に特別な生い立ちで、特別な妻に特別な被虐生活をしてることを改めて自覚して、それを文章にしてみようと思いました。
私のような稀有な生い立ちのお話を、最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。