以前、見かけたSMの主従関係に関する意見。
この基本的な心構え。まったく同意。
『ご主人さまに、なってあげるよ』 では、ないのです。
『飼ってやるよ』でも、ないのです。
『従』が、その存在を『主』と、認めるのです。
『主』の勝手に付き合わされるのが『従』では、ないのです。
『プレイ』では、ないのです。
自分が『ちいさくちいさく』なれる『場所』を探すのです。
『ちいさいじぶん』を包んでくれる『大きな存在』を求める
のです。
だから、『首輪』は、『遊びの道具』では、ないのです。
『従』とって、それは単純な『服従』の意味だけではなく、
『たったひとり』の『主』への『忠誠』の証(あかし)であ
って『主』にとっては、『従』に対する『信頼』の証(あか
し)
簡単なものでは、ないのです。