小5のときに両親を事故で亡くした私は、両親がカトリックだったこともあって、修道院に預けられました。
私は男の子だったこともあり、面倒をみてくれるシスターの部屋からは裏口からしか出入りを許されず、表立ったところへの侵入は許されておりませんでした。
従って、修道院に男の子がいるということは知られておらず、修道女ですら限られた人しか私の存在を知りませんでした。
学校は、修道院が経営する短大付属小学校へ通学していました。
私は、シスターにとても可愛がられ、シスターと一緒にお風呂に入り、就寝時はシスターに抱っこされて寝ていました。
支所の頃は、ペットのように可愛がられていましたが、私が中学生になると、可愛がられ方が変わってきました。
思春期に入り、陰毛が生えてきても一緒にお風呂に入るシスターに、いつものように体を洗われるのですが、陰茎の荒い方がしつこくなりました。
中学生が、陰茎の皮附剥くように洗われれば、勃起してしまいます。
私は、勃起の意味も分からず、陰茎を洗われてビクビクしていました。
中一の私は、裸のシスターと裸で寝ることも珍しくなく、当時13歳の私と40歳のシスターは母子でもおかしくない年齢差、でも、裸で寝るとその雰囲気は異様でした。
まだ精通してない陰茎を握られ、目の前にはシスターの乳房、興奮します。
そして、中一の秋頃、お風呂で陰茎を洗われているとき、内股がザワザワしてきて、
「ああ、ああ、なんか変・・・」
私の勃起した陰茎は、精液をダラダラと漏らしました。
私が精通した瞬間でした。
それからというもの、毎晩お風呂で陰茎を洗われたのですが、扱くのではなく、亀頭を念入りに洗われて、最後扱かれて射精していました。
シスターは、扱いてしまうとあっけなく射精してしまう男の整理を理解してて、亀頭だけの刺激だと、快感だけを享受して、なかなか射精に至れないことを知っていました。
仮性包茎の皮を剥かれ、恥垢を洗うという名分のもと、少年がウケていたのは亀頭責めでした。
亀頭を席巻まみれでヌルヌルと洗われ、快感に身悶えする中学生、勃起も射精の意味も分からず、でも、シスターにされている気持ちいい仕打ちは、イケナイことだとは薄々感じていました。
イケナイことをシスターと共有している、そんな興奮もありました。
やがて、陰茎洗いはステップアップして、陰茎を石鹸まみれの手ぬぐいで洗われるようになり、そのざらつく刺激に苦悶しました。
お風呂の椅子に座った私を後ろから抱き抱えるようにして亀頭を洗われるから、逃げることもできず、されるがままに悶えました。
お風呂で射精したにもかかわらず、お風呂から上がっても、私の勃起は治まらず、シスターに、
「発情しすぎのイケナイおチンチンね。」
と言われ、ベッドに仰向けにされた私は、シスターのお世話をしてる若い修道女二人に私の両手を押さえつけさせました。
私の両足の上に乗ったシスターは、
「発情しすぎたおチンチンは、お仕置きが必要ですね。」
と言うと、切ったストッキング片の両端を持って、テンションを架けながら勃起した私の亀頭に被せると、亀頭がストッキングにめり込ませた状態で、ストッキングを左右に動かしました。
亀頭に強烈な刺激が走り、仰け反りながら、
「ああ~~ああ~~ああ~~ああ~~ああ~~」
と悶絶させられました。
快感と苦痛が入り混じる初めて味わう刺激で、腰がガクガク痙攣して、ハアハアと息が荒くなっていきました。
気持ち良すぎて発狂する、そんな刺激でした。
「どう?ピュッピュしたい?」
シスターは射精をピュッピュと言ってました。
頷くとシスターはストッキングを外し、中学生の陰茎とは思えぬくらい真っ赤に充血してあまりの果敢に震える陰茎を扱きました。
お風呂でsy精してるにもかかわらず、ドっピュー――っと大量に射精しました。
しかも、射精してしまった陰茎を、シスターは扱き続けるのです。
射精後の陰茎は超敏感、私はヒィーヒィーと発狂させられました。
若い修道女は、生唾を飲んでその光景を見ていました。
私の陰茎は萎えることを許されず、三度四度と射精を繰り返しては、扱かれ続けました。
やがて勃起しなくなり、
「やっとおりこうさんなおチンチンになったわね。」
と言って、許してくれました。
少年にとっては強烈なマゾ体験、勃起させると、あの恥辱の超快感を味わえると体が覚えてしまい、私はシスターに見せつけるように勃起させ、連日ストッキングで発狂しました。
そんな私は、中三になってすぐ、シスターの世話をしている若い修道女で童貞を卒業しました。
毎晩、シスターと寝ているベッドで修道女と生セックス、連日ストッキングで鍛えられた私の陰茎は、中学生とは思えぬ持久力を発揮しました。
毎晩イキ狂う修道女の子宮に、ドクドク射精していました。
そして、修道女は夏の頃、修道院から姿を消しました。
そうやって、私は中三時代、何人かの若い修道女と連日中出しセックスをしたのですが、決まってその修道女は、やがて修道院から居なくなりました。
中学を卒業した私は、修道院を出ました。
そして、系列のカトリック系私立共学高校の理事長のお宅へ預けられました。
修道院が経営する短大付属学校は、中学校までが共学で、高校は女子高でした。
だから、高校へは系列共学高校の理事長の家から通いました。
理事超は50代熟女、教育ママみたいなメガネをかけてて、毎晩陰茎を弄ばれました。