今日で長かった夏期休暇も終わる。節電の影響もあり、先週末から休み始めてほぼ10日間、飼い始めたばかりのマゾ豚の調教に明け暮れた。
鎖に繋いで部屋に閉じ込め、一切外に出ることを許さず糞も小便も洗面器の中にさせた。夜はたっぷりと精液を注ぎ込み、漏れないようバイブで蓋をして固定具で抜けなくしてからタイマーで定期的に振動させていたので深く眠ることもできなかっただろう。
開口器で強制フェラを強いてイラマチオを覚え込ませ、小便を飲ませたりもした。
盆を過ぎた頃にはすっかり諦めたのか、何をしても悶えるだけになり、自分から俺を跨いでケツを振りながら乳房を握りしめて喘ぐようにもなった。
50歳を幾つか過ぎているが、まだまだ身体は見応えがあり、乳房などはいかにも重たげに実っている。
細い身体の割には尻も豊かに張っていて平手で打つと非常にいい音を響かせ、いい具合に締まりもする。
アナル拡張もほぼ終えて、浣腸はビールでもできるようになった。口の周りをだらしなく濡らしながら俺のを夢中でしゃぶり、縁側から庭に向かって汚濁の細い水流を延々と噴き出す姿を悦に入って眺めたものだ。
毎晩激しく責め立てながら、生涯俺の奴隷となって尽くすことを誓わせた。
一昨日はあまりにも匂いがひどくなったので、風呂に入れて洗ってやったが、俺が仕事に出るようになっても逃げ出すなと言い聞かせたら、「そんなことしません。」とおかしそうに笑っていた。
今では泣いて俺の精液を欲しがり、注ぎ込んでやると「ありがとうございます」と身体を震わせながら繰り返し礼を言ったりもする。
人間とは誰しも隠した本性を持っており、それは目で見える表面上の態度とは真逆の性質があることを社会人になってから学んだ。
幼い頃、この女の下着姿を何かの拍子に見たことがあり、そのスタイルの良さと見たこともなかった綺麗な下着にじっと眺めていたら「いやらしい子ね」と蔑んだ目で睨まれた。
俺は鬼っ子であり、可愛がるのは弟ばかり。
出来の良かった弟は、この女にとって自慢の種だった。
厳格で躾に厳しかったが、歪んだ淫らさがあることもあの下着姿を見たときに気付いていた。
俺も通っていた中学で英語を教えていたが、性欲などないと言いたげにいつも堅苦しいだけで色気のない黒や紺ばかりのスーツを着ていた。そのくせ、その下では華美な下着で自分を飾り、密かな欲望を満足させていたのだ。
だから、この女ならきっとマゾ豚にできると思った。
出来の良かった弟は、見事期待に応えてトントン拍子に出世の階段を上り、今はこの女の手の届かないイギリスに行ってしまったのだから皮肉なものだ。
父が末期の癌だとわかり、もはや手の施しようがないとわかってから、少なからずひとり暮らしに不安を覚えるようになったのか、離婚をしてからもひとり暮らしを続けていた俺に帰ってくるよう再三再四請うようになったのは去年のことだ。
高校を卒業して以来、実家とは疎遠になり、結婚したときでさえ俺は家族に連絡を入れなかった。いつも冷たく見放されていたこの女の顔を見るのが嫌で避けていたのだ。
綺麗なひとではあった。
いつも髪を長く伸ばして、瓜実顔の高い鼻は中学でも評判になるほどの美人教師でもあった。
冷たい印象が強かったからか、浮いた話しを聞くことはなかったが、裸の写真を持ってこいと先輩から脅されたことはある。
無論従うはずはなかったが、俺自身も思春期の頃はこの女をネタに妄想を繰り返したりもした。
その妄想を現実のものにしようと思ったのは、度重なる要求にも応えず無視していた俺にこの女が会いに来たからだ。
10年振りに近い再開だった。驚いたのは昔と美しさがほとんど変わっていなかったからだ。
新しい職も見つけてあると言った。教師をしていただけあって、つては広かった。その頃はたいした仕事をしているわけでもなかった。惰性に流される毎日だったから、職を変わることに未練はなかった。何より強く俺を動かしたのはこの女の変わっていない美しさだった。
考えさせてくれと言ってその日は帰した。しかし、その時にはすでに腹は決まっていた。
そして、これから何をするべきかも、俺にはわかっていた。
妻と離婚したのは俺の性癖について来れなかったからで、狂ったようにしばいて泣き叫ばせ、陵辱しまくってすべての穴を犯してからも俺を「愛してる」と言わせなければ気が済まなかった。
堪えられたのは半年ほどであり、すぐに常軌を逸していると避けられるようになり、もう、堪えられないと逃げるように実家へ帰ってしまってから3年が経つ。
その間も数人の女と関係は持ったが、俺の性癖を理解してくれる女には巡り会えなかった。
理解なんかしてくれなくていい。取り敢えず陵辱して飼ってみたい。その思いだけを抱えて、俺は今年の春に退社すると実家に帰ったのだ。
父は人工呼吸器を付けなければならないほど身体が弱っていた。面会してもほとんど意識はなく、完全介護性の病院ではすることも限られる。
最初のひと月ほどは様子見もありおとなしくしていたが、あれほど子供の頃は差別していたくせに、そんなことも忘れてあの女はひどく俺に気を使うようになっていた。
新しく入った職場は意外にもポストがかなり上で仕事を覚える必要もあり、なかなか実行に移す機会も得られなかったが、夏に入ってようやく一段落し、あの女が俺との生活になれてきた頃、夜中に寝室に押し込んで寝入っているところを襲った。まさにあの女には青天の霹靂であり、ひどく足掻いて罵倒もされたが、俺の腹の下で悶えてしまってからはおとなしかった。
毎晩当たり前のようにあの女を抱き、具合を確かめた。すこぶるいい体をしているのを再確認して、今回の休暇関に監禁調教を試みた。
すでに関係はあったからあきらめは早く、元々そういった性癖もあったらしくて一度狂ってしまってからは、ひどく従順にもなった。
痛い仕置きにも歯を食いしばって堪えるし、汚れ系も嫌がらずに進んで従ったりする。
この10日間ほどで、「ご主人様」と淀みなく言えるようにもなり、後は貪り尽くして、精神まで隷属化するだけだ。
果たして俺の子供を身籠もったとわかったとき、あの女はどんな選択をするのか。
子供の頃、うちで飼っていたインコを殺したと疑われてひどい折檻をされた。
生き物を殺すような子供は同じ目に遭わせてやると青竹でこっぴどく打たれたのだ。
それは弟がやったことであり、俺がしたことではなかった。
何度それを釈明してもこの女は絶対に信じてくれなかった。
自分の中に新しい命が芽生えて、それを殺す選択をするのなら、俺も同じように折檻してやろう。
産むというのなら、命を賭けて産めばいい。
無論、腹ボテになったからといって俺が責めに手加減を加えることはない。
命を賭けてまで俺に尽くすようになったら、そこで初めて俺は満足した愛奴を得たことになる。