えいすけさん、ご意見ありがとうございます。
おっしゃるとおり私は進んで犠牲になる子でした。
小4の時に、近所の従姉妹の中1のお姉さんに誘われて参加したのが最初です。
1歳年上の子が犠牲にされるのを見てドキドキし、従姉妹のお姉さんから言わ
れて、その子のお尻を叩き、おっぱいを松葉で突きました。
おっぱいを突かれながら、その子が痛みを訴えるのではなく、息を荒くして乳首
が見る見る固くなったのに驚きました。
女の子の割れ目の中をじっくりと見たのも初めてでした。
その日は、私は犠牲になりませんでしたが、次に呼ばれた時はお姉さんの一声で
私が犠牲になりました。
女の子同士とはいえ、周りの子は服を着たままなのに、一人だけ裸になるのは、
とっても恥ずかしかったです。
膣に入れるのは、指のことが多いですが、鉛筆、ボールペン、耳かき、綿棒、箸
のほか、学校の理科室から持ち出したガラス棒も使われました。
中に入れてかき回すほか、綿棒や耳かきやガラス棒の先でクリトリスをグリグリ
したり、ピンセットや毛抜きでクリトリスを挟んで責めることもありました。
クリトリスを挟むと大抵の子は顔をしかめて「痛い」と訴えました。
愛液が多く出た子には、「蜜が採れた」と言って愛液で濡れた指を舐めさせたり
もしました。
拷問や料理で感じて身体を動かす子には、それだけ酷いことをしたように思えま
す。
恥ずかしさや痛さにじっと耐えているけど、つい感じてしまってため息や小さな
あえぎ声を洩らす子が一番可愛くて良いとされていました。
だから、変に痛がれば「情けない子」と軽蔑され、感じすぎる子は「いやらしい」
とからかわれました。
可愛く耐える子はお姉さんたちに贔屓にされ、他の子からも尊敬?されました。
調子にのって長くなりました。ごめんなさい。
またお尋ねがあれば、できるだけお答えします。
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