この遊びがどうして始まったのか良く分かりませんが、近所の女の子がお姉さんからされて、それを後輩に引き継いでいったのだと思います。
遊ぶのは、小学3年位から上は中学生のお姉さんまでいました。
あまり小さい子は、Hな意味が分からず一緒にやっても面白くありませんでした。
一度の遊ぶのは5~6人の時が多いです。
拷問は、鞭打ちがお尻を竹の棒で叩くこと、針刺しが松葉で身体を突くことで、始めはお尻だったのですが
少しづつ過激になって膨らみかけた乳首を突くようになりました。
さすがに突き方によっては痛みを感じましたが、ほとんどの子は固く目を閉じて耐えていました。
裸歩きは、今のSMで言う引き回しで、後ろ手に縛った犠牲の子を全裸で歩かせます。
温かい時だけでなく寒い冬にすることもあり、服を脱がせた所から数百メートルも離れた場所に連れていく
こともありました。寒さでオシッコをしたくなる子もいて、皆の見ている前でオシッコをさせられました。
くすぐりは、そのまま犠牲の身体を皆でくすぐります。脇の下やわき腹を責めることが多かったです。
あと、特別の拷問にまた裂きがありました。犠牲の子を立たせて股に縄を通して上に引き上げて食い込ませる
もので、この拷問は酋長が命令しても犠牲の子が「いいよ」と返事をしないとできないことになっていました。
水責めは近くにあった谷川の水を犠牲の子に掛けるものです
料理で酋長が「天ぷら」と言ったら、犠牲の子は水に付けられて砂や土を全身にまぶされます。
「干物」は平たい岩の上に大の字で貼り付けられます。
でも普通は地面に寝た犠牲の子の全身を三角定規を包丁に見立ててこすったり、突いたりする料理が主でした。
乳首を摘まんで切り取ったり、乳房の膨らみかけた子は乳房ごと抉り取られました。
割れ目も二人かかりで両側に開かれて、定規を持った子が小陰唇やクリトリスを摘まんで切り取りました。
お尻の穴に細い草の茎を差し込む串刺しもありました。
料理される子は、ほとんどが性的な快感や被虐的快感を感じていたと思います。
高学年の子は、明らかに愛液が出ている子もいましたし、ほとんどの子は乳首が固くなっていました。
料理されながら荒い息使いになったり、太股やお尻を小刻みに前後に動かす子もいました。
私も犠牲にされるのが好きで、中学2年までされています。
もう発毛もありましたが、生え始めた毛を剃るまねをされてとても感じました。
たぶん愛液も出していたと思います。
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