屋外で行うことに関しては、さほど抵抗感はありませんでした。
子供がセックスを、しかも兄弟とすることが悪いことだという認識がなかったのです。
もっとも、屋外でお尻を出したり裸になること事態は恥ずかしかったんですが、すぐに
緊張感がスパイスになるようになりました。
割と人の多いところでもしましたので、もし見られたら、どころか何度か見られていた
かもしれません。
セックスのときはたいていは中で出していました。
とくにバスなどの中では外で飛ばすより中に出して処理したほうが始末が簡単という
こともありました。
処理の仕方もそのとき次第ですが、バスでの背面座位の場合などは、出す前にペニスの
根元にハンカチを巻いておき射精する、といった感じです。
私より、兄のズボンが汚れないようにしていました。
私自身の処理はティッシュやハンカチを股にに当てて下着をはいたり。
場合によっては何の処理もせずそのまま流れ出すままのときもありました。
スカートのときは下着さえはいていれば多少気持ち悪いだけで済むのですが、ズボンの
ときなどは股間にしみができてしまい困ったこともあります。
ズボンはめったにはかなかったのでよいのですが、下着を着けていないときが困りました。
バスの中で出され、その後バスから降りるか降りないかのうちに膣から精液がこぼれ出て、
足を伝って靴まで流れ出たこともありました。
珍しい方法では、兄がペットボトルをつぶして私の膣口にあて、手をはなして中から精液を
吸いだすということもしました。
もっとも、これは兄達が遊んでいただけだと思いますが。
スワンボートでのセックスですが、私たちの乗ったスワンボートは大人二人乗りのものでした。
はじめは上の兄の足の上に座っていたのですが、下の兄が呼ぶので見てみると、ズボンの
チャックからすでに大きくなったペニスが出ていました。
呼ばれるままに下の兄の足の上にすわり、下着を下ろしてそのまま挿入しました。
兄がボートのペダルを漕ぐたび体が揺さぶられとても気持ちよかったのですが、射精と同時に
下の兄の体力が尽きてしまい、イけないまま終わってしまいました。
兄たちとの思い出はどれもみな印象深いのですが…
下の兄の精通が私の口の中だったとか、下の兄のお尻の処女は上の兄が奪ったとか。
ことの発端とも言えますが、3人で父の裏ビデオを鑑賞したり。
4年のときの夏のお祭りのとき、近所の人が集まっての酒盛りの後、両親を含む酔いつぶれた
人たちが寝ている部屋で浴衣でセックスしたり。
特によく覚えているのはこんなところです。
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