いかん、焦っては、ゆっくりだと自分に言い聞かせ、再び同じように押し当てました。
ゆっくり、ゆっくり、広美は痛みを我慢してるみたいに、顔がクシャクシャになってました。
ゆっくり、ゆっくり、すると突き当たりみたいな壁に到達し、俺はゆっくり、ゆっくり、出し入れをしてみました。
透明な液に混ざり、血が出てました。
広美が二度目の痛いを言ったとき、早く解放してあげたいと思い、抜いて最後は自分でしごき、発射しました。
ごめん、俺も初めてだったから、痛かっただろ?と声をかけました。
すると広美は、お母さんも最初はこうだったんだろうね、としみじみとした感じで言いました。
そして一回目に出た物と、二回目に出た物と、そして自分の血を拭いていました。
そしてこう広美は言いました。
やっぱり克雅君で良かった、後悔?してないよ。
それからはほとんど毎日、広美が生理の日でも、広美の生理痛がひどくないかぎり、してました。
もちろん避妊具はきちんとつけてです。
中学三年になり、受験生となった広美は、志望校をあのお嬢様学校、S学園にしたのです。
そこなら寮があるからだという理由と、進学率も高いからと。
いつまでもお母さんにわがまま言ってられないし、俺にも負担がかかるからと、一緒の生活に終止符を打ち始めた広美でした。
受験の日の朝、部屋を出るとき、広美は俺に言いました。
お母さんのとこに戻って、寮に入る、そして克雅君とはきちんとした形で付き合う、そうしてほしいとお願いされました。
わかった、だから受験頑張れよと送り出しました。
見事合格し、中学卒業直前に一緒の生活に終止符を打ち、広美は彼氏とお母さんの家に帰りました。
お母さんと彼氏は籍を正式に入れ、寮に入った広美と、きちんとした形の交際をスタートさせるつもりだったのですが、今度は俺の実家の事情がそれを許しませんでした。
父の病が発覚、無理の出来ない身体になり、長男として俺は実家に戻ることになったのでした。
最初は広美と遠恋して、大学にまでいくことを言っていた広美の大学卒業まで待つつもりでしたが、離れてるとやはりそうも行かず、地元で彼女作って結婚した俺でした。
現在広美も九州男児と結婚してます。
時々、電話で広美と話ししますが、お互い、一緒の生活終止符打ったあとの辛さのためか、あのときの話しには触れないです。
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