只今、看病中の雪だるまです
下の文章は現状を書き留めておく為と、気持ちを整理する為に書きました
気分の優れない方はスルーしてください
このコメントに対してのレスも不要です
スイマセン(謝)
看病と言っても何もしてあげれる事は無く、只弱っていく父親を見守る事しか出来ません
木曜の夜に母から吐血・下血の知らせがあり、土曜に帰省予定を二日早くして、取るものも取りあえず新幹線に飛び乗りました
会社から直接行ったので、着替えも持たずスーツのままです
何とか最終列車には間に合い、不安と間に合って欲しいとの希望だけで時間を過ごしました
病室に付いた時には、か弱く痩せ細った父の姿が目に飛び込んできました
病名は『肝臓癌』
遡る事六年前から父の闘病生活は始まっていました
若い頃からの酒好きの暴飲が祟って肝機能障害(γ-GTPの数値は許容範囲の桁違い)→肝硬変→脳出血→肝臓癌と進行して行きました
肝機能障害の時に労っていれば、今日の事態は避けれたと思いますが、既に後の祭り状態なので悔しい思いです
もっと強く禁酒を薦めていれば…と後悔してます
肝機能障害の最たる物が肝硬変で、[沈黙の臓器]が沈黙を破った時に現れる病名です
黄疸にクモ状血腫・腹水と典型的な病状のオンパレードでした
後から分かったのですが、通院治療中も酒を断つ事が出来て無かったようです
此処までの病気療養はよく耳にする話なのですが、父の場合はここからが壮絶で、肝硬変を患っている事に起因する血液浄化が出来ない事で血中アンモニア値が高くなり血管の硬化を早め、遂に毛細血管の集中する脳で破綻してしまいました
脳溢血でも脳卒中でもなく脳出血が父の正式な病名なんだそうです
溢れ出した血液により脳細胞を圧迫し、命は取り留めたのですが、左半身の運動機能の麻痺を起こしてしまいました
それが今年の1月後半の出来事です
巨人軍の永久名誉監督の長嶋茂雄さんのような感じです
そこから懸命のリハビリを続け、茶碗を左手で持ち、一人で歩く迄に回復していました
元々スポーツマンだったので、回復も早かっただろうと主治医には言われたそうです
母は元看護婦なので、リハビリの大変さも重要性もよく理解してたので、父の負けず嫌いの性格を上手くコントロールして努力させたんだと言ってました
祖父の代から三代とも負けず嫌いです
因みに兄は私より負けず嫌いです
努力の甲斐があって回復出来たのですが、障害者判定では四級に認定されました
障害者判定には一級~五級迄あって、一番重い障害級は五級なので、父の障害は二番目というとっても重い判定が成されたという事になります
リハビリ中に[疲れ易い]肝臓疾患者の特徴が顕著に表れてきたので、念のために癌検査をすると陽性と分かりました
以前にも癌細胞は発見されてて、カテーテル手術に因って完治してたと安心してたのですが、ガチガチに固まってしまった肝臓は癌が出来易くなるようで再発してしまいました
幸い転移の傾向は見られなく、又、カテーテル手術で治るか?と安易に考えていたのですが、今回は肝臓から出てる静脈に出来ていて、手術が出来ないと言われてしまいました
抗癌剤治療や放射線治療も模索しましたが、血管自体が脆くなってしまってるのでどの方法もリスクばかりが高く、選択出来ませんでした
今日のカンファレンスでは担当医師に「次の土日は迎えられないかも?」との余命宣告を受けました
昨夜から完全な昏睡状態になってしまったので、今は感情も痛みも表す事が出来なくなってしまいました
今一人「俺は良い息子だったのだろうか?」と自問自答を続けています
若い頃は「祖父母が亡くなれば泣き崩れるが、両親が無くなっても泣かないのでは?」なんて強がってましたが、どうもそうでは無いようです
今、病室で父の規則的な寝息を聞いてるだけでも泣けてきて、気を紛らわす為に書いてます
やはり父は偉大だなと…
孫の顔を見せてやれなかった事が悔やまれてなりません
後何日一緒に居られるかは分かりませんが、父と同じ空気を吸って、旅立ちを見送りたいと思います
取り留めも無い事を書いてしまいました
どうか、まだ時間のある方は両親との時間を大切に過ごしてください
[親孝行したい時には親はなし]この言葉だけが頭の中で何度も・何度も繰り返し出てきます
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