皆さん、こんにちは
雪だるまです
この文章は、東日本大震災報道を観ながら感じた事を伝えたくて書いた物ですので、コメントの前後の流れを断ち切った形になってしまってたらスイマセン(謝)
先日、被災者が祖母と同時に救済された報道があり、死者・行方不明者の数字が増えていくのを残念に思いながら観てた中で、ホッと出来る報道でした
昔、心理学をかじってた時に、教えてもらった話を思い出しました
《アンネの日記》を記したアンネ・フランクリンが閉塞的で常に死と隣り合わせの隠れ家生活の中で、何故狂気に負けなかったのか?と言う話です
咳も出せない程の生活では、通常ストレスから狂人になっても不思議ではない環境で、二年間もっただけでも奇跡的なのですが、彼女は気丈にも日記を綴り続けてました
では何が彼女の気持ちを支えていたか?と言うと、一体の人形だったそうです
辛い時に「大丈夫だよ・もうすぐ終わるからね」と心で話掛けてたようです
多分、一人では前出の環境下に堪えられない少女も、《自分より弱い者を守る》という使命感にも似た責任感で正気を保っていたと説明出来るそうです
ある意味《女は弱し、されど母は強し》に通ずる心情なのか?と思います
救済された高校生も、明かりも無く動けるスペースも限られた中で、祖母の存在《守る対象》があったから気丈に行動出来たのかも?と思います
私も、離婚後独り身で居た時には、自暴自棄な考えに苛まれた経験もあります
《守る》対象(家族)が無いと、モチベーションが維持出来なくなるんですよね
今は《守る》対象として、彼女・愛犬と増えましたから、「守っていかなければ!」と思ってます
避難所に入れない愛犬と車で避難してる愛犬家も多数居るようです
心の支えであり、拠り所となってるのでしょう
犬嫌い・猫嫌い・動物嫌いな人が居る中で、不特定多数の人が集まってる避難所暮らしでは仕方の無い事かも知れませんが、被災者の仮設住宅では是非認めてあげて欲しいと思ってます
《守る》と言う気持ちは、相手だけでなく、自らをも守る事になる事をお伝えしたく書いてみました
身近に《守る》対象は在りますか?
こんな時を機会に考えてみてください
以上、雪だるまの徒然草もどきでした(笑)
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