私も チマチョゴリの学生に痴漢した事があります。
今なら人権がー、とかになりますが。
当時 私はチマチョゴリが何であるか、朝鮮系の学校がある・なんて知りませんでした。
ただ、デザインがJKの制服なんだな、と判る程度で変な制服、としか思わず、しかし 長いスカートにソソられ、痴漢を実行。
その通勤電車では、普段は渋女や若いOL・JDばかり狙っていましたが、初のチマチョゴリ。
先ずは下半身の密着を堪能。一度乗り込めば身動き取れないギュウギュウ詰め。
朝勃ちムスコがチマJのお尻に当たり肉に挟まれてもチマJは逃げる事も、捩り離す事も皆無。
てか、当時は時勢もあり、満員電車で勃起チンコが前の女性に密着しても『仕方がない』空気はあったのでイチイチ騒ぐ女性もいない。
ぷにぷにのケツ肉に挟まれる至極を堪能した後、悟られ無い様にスカートを摘み、巧みな指使いで手繰し上げ、お待ちかねの生パン、素肌に触れる。
その時、チマJは痴漢に気付き、一度は抵抗を示す。私の手は払い退けられ、スカートは元の位置に戻るが、コッチも時間を無駄にする気は無い。
間髪入れず、今度は大胆にスカートを煩雑に捲り上げ、太もも・パンツの上からお尻を揉みほぐした。肩や肘で小さな抵抗を示すが構わず手の動きは大胆になる。チマJのパンツのシーム脇から🤌を差し入れると生肉がジットリと湿っていた。
ノンストップで あらゆる角度から指を使い中身を攻撃。
もしかしたら私の鼻息も含めて、周りには痴漢をしているのはバレていたのかも知れない。しかし、誰もチマJを助けようとはしません。
あの時代は1人痴漢されていると知るや近くの男性も痴漢に参戦し総攻めもあったくらい。
今回のチマJは私一人の朝食。ついにパンツを脱がし、半裸下半身を好き勝手に嬲りつづけました。
目的地の駅に着くと、何事も無かった素振りで私は下車する波の流れに乗り車輛を降り、改札へ。
それ以来、そのチマJは見る事も無く、私は毎日 同じ時間、同じ車輛で通勤を続けていました。
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