そんな子供の頃の話をなぜ克明に覚えているか不思議ですか?
それはそれだけ強く印象的な体験だったことはもちろんですが、この体験をネタに高校生になってもなお頻繁に自慰を繰り返していたからだと思います。
先生と美沙子ちゃんとの性行為はまるで頻繁にあったかのように思うかも知れませんが、私達はもちろん、美智子先生にとっても危険な行為ですから慎重にコトを進めていたため、なかなかやるタイミングは少なかったんですよね。
その間、自慰を覚えた私は欲求の捌け口として仕方なく少ないネタを繰り返し使っていた次第です。
それは中学から高校まで変わることはありませんでした。
ここで書いてしまいますが、中学に進んだ時、大変な事件が起きたのです。
美智子先生が転任、と、言っていますが正しくは教員資格を剥奪されたという事件です。突然居なくなってしまいました。
中学校は小学校に併設されていたので三人の関係は続いていました。
赴任してくる前の小学校で女児に性的な行為をしたことが発覚、私の学校にも調査が入りましたがその頃はまだ美沙子ちゃんの会社が町でも力があったため御座なりの有耶無耶の調査で終わっています。
この小さな村で連続で児童への性的虐待で教師が交代するというのは大変な事件でした。
被害者はやはり女の子で、当時四年生だったとしかわかっていません。
なぜ発覚したかも憶測の域を出ず、噂は暫く静まりませんでした。
実はヒタ隠しにしていたつもりでも子供たちの間では美智子先生と私たちの間では噂になっていた事がその時に分かりました。
ただ、美枝子ちゃんの一族に忖度して親たちがその噂を抑え込んでいたのだと思います。
クソがつく過疎の村にとって、彼女の親の会社が無くなることは死活問題と思われていたんでしょうね。
でもそれは事実でもあったでしょう。
調査に来た二人はやはり美沙子ちゃんと私を個別に呼び出して聴き取りをしましたが深いものではなく、噂の事実はあったのか無かったかだけです。
もちろん私達は否定して、それで終わりでした。
村長は町長の選挙でも相当の金銭的な支援をしていた事もあり、その関係からかも知れません。
そんな事件もあって、私達も中学に進んでもほぼ同じ学校に通うわけで、二人でセックスをする機会は殆ど作れずにいたのです。
私は日課のようにシコっては搾り出し作業に没頭する毎日。
多分小さなバケツ一杯分位は出していたと思います。
稀に美沙子ちゃんとヤれる時には連続三回、四回とやりました。
美沙子ちゃんも正直に自分も毎晩オナニーをしていたと告白したのは美智子先生の調教の賜物ですね。
さすがに私は三回目を僅かな量を出したあとはナカナカ勃起しません。
美沙子ちゃんが懸命に舌を使って奉仕してくれても半立ちにしかならない時、美沙子ちゃんがそれならと私の前でオナニーの実演をしてくれたのです。
毎日私に舐めて、おチンチンを入れて貰うことを思いながらこうしてオナっていたと言いながら喘いで見せてくれました。
私は彼女の名前を吠えながら伸し掛かって行ったものです。
4回目はお互いの名前を呼び合いながら果たしました。
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