恐ろしいこの犯罪を美化しようとか、理解を得ようとかなど思ってはいません。
じゃあなぜ?
それは最後に明かすことにして、今は私と娘がこの関係になった経緯の詳細をどこかに書き残しておきたいと思っているのです。
ひとつお詫びです「富士額」ではなく「藤額」の誤りでした。
私は娘を叱った記憶がありません。
また、娘も親に叱られるような事をする子ではありませんでしたから。
私は子供というものを知らない親だということを思い知りました。母親ならきっと気付いてくれたのだろうと思います。
この話は娘が5年生の夏休みの出来事で、11歳でした。
男の生理的な事が分る年齢ではないと思い込んでいたので、私が自慰をしてストレスを抜いていることを知っていた事に軽くパニックになってしまいました。
娘はこの時、メンスが始まった事もあったせいか女子と男子の生理的な事について興味があって知識を集めたのかも知れません。
男女のセックスについてもかなりの知識を持っている事も直ぐに分かりました。
彼女にとってパパとママがセックスする事で最も大切なことはパパとママがどんなに愛し合ってセックスし、その愛し合った結果として自分がママのお腹にやどり、産まれてきたのかって言うその1点だけのように思います。
つまり、男女の性行為とは愛する者同士の間にのみあるものだと言うことです。
それは私とママがそうだったように自分とパパの間にも成り立つと考えたに違いありません。
これはそれから随分と後の話ですが、私のペニスを膣に挿入するのは6年生になるまで待つという約束をしていました。
娘は年齢平均より体が小さい事が第一の理由ですが、男女の愛についてもう少し大人になるまで待とうと考えたからです。
この先に好きな男の子ができた時、父親との関係が心の枷にならないようにしたかったからです。
でも、私のその思いは直ぐに脆くも崩れていくのですが、肉のペニスを挿入しないという事だけは最後まで守り通しました。
翌日、約束通り脱衣場の洗濯カゴの中には娘の下着がありました。
複雑な思いでそれを手に取って白いガーゼの裏地を眺めました。
薄っすらと黄色の尿シミがついています。未だにその光景の記憶が頭から消えていません。
驚いた事に、娘は単にパパが自分のパンツに興奮するのではなく、自分の着けた汚れに喜びを感じる事を理解していたという事の証拠でした。
ここで確かに言わせて下さい。
「子ども達は大人が考えてるよりずっと性への知識を持っている」のだと。
パパの歪んでしまった性癖が自分のために欲求を長年にわたって押さえ込んだ結果だと考えていたようです。
だから、パパの望みを叶える事でそれに応えることができると。
そしてそれらの行為は次第にエスカレートして行く二人でした。
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