あの一年はとにかく苦痛だった。二人をつなぎとめていたのは、「来年もまたプールで会おう」という言葉だけ。今思えば、携帯もポケットベルもないのなら、せめて住所を教えあって文通するなりすればよかったのだが、当時の異性とどう付き合っていいかわからない僕は、文通しよう。という発想すらなかった。
家に帰り自分の部屋に入るやいなや、荷物をバンとベッドに捨てた。そして天井を見てから考え込んだ。しかし考えても何も変わらないので、とにかく荷物の衣服類を母親に預け洗濯してもらい、ゲーム機とかガス銃を荷物から出したが、家を出るときはあれだけ大事にしていたガス銃も、今ではただのガラクタに見えている自分がいた。
とにかく、1か月は悶々として過ごした。そして2か月目からは少し落ち着いた。落着きを取り戻してくると、あの時の夕日が照らす市民プール前で、初めて触れたミホちゃんの柔らかいカラダの事を思い出し、自慰にふけった。
ある時は、金土日の3連休があるとき、田舎に帰ろうかとも思った。しかしたった3日間で交通費含め、3万近くはかかるムチャな行動に両親は賛成しなかった。そして秋になった。
なぜ、秋休みはないんだ!!と思いながらも時間だけは過ぎていった。そして冬休みになった。おそらくあの夏の出来事から、冬休みになるまで1日足りともミホちゃんの事が頭から離れてしまった日は1日としてなかったと思う。そして俺は、2週間の冬休みを、祖母の家で過ごす。と両親を説得し、なんとか俺は、冬の寒い季節の中、単身、祖母の家にフェリーで行くことになったのだ。
しかし、夏がメインの祖母の田舎では、冬はなんの魅力にあずかれるものもなかった。夏だからこそ、夏祭り、海、旅行客などで活気が出てくる地域なので、冬になればもともと寂れていた田舎が、さらに寂れたような印象を受けたものだった。結局、俺はミホちゃんを探すほかは、祖母の家で鍋を食べたり、正月番組を見たりするだけしかする事がなかった。
一方、ミホちゃんの捜索もうまくはいかず、市民プールに行ってもプール自体が閉鎖しているし、隣接している鍵を預けていた事務所も閉まってカーテンが閉まっている。道路の向こうの定食屋に行っても、「ああ、夏にそういう子、プールで働いていたね、うーん、わからんなぁ、どこの子までなのかは・・・」という回答だった。
ミホちゃんが通う学校の名前を聞いたわけでもない。ある程度の住んでいるところまでは聞いたが、実際にはそのエリアは田舎の中では広範囲をしめすエリアだった。ただ、そのエリアを中心に、駅、スーパー、とにかく人が集まりそうな場所と歩いてさがしたが、どこを歩いてもミホちゃんの姿を見つけることはできなかった。
冬休みが終わった。その頃になると、ある一定の割り切りみたいなのが出てきている自分がいた。(今年の夏に田舎帰って、ミホちゃんがあの約束を覚えていたら、それはそれでヨシ。もう忘れられていたら、こうなる運命だったんだ。といってあきらめよう)という、割り切り。いや、心の整理か。
そう思ってからはずいぶんと楽になり、地元の友達にもミホちゃんの事を話したりもした。(Hな事したとは言ってないが)友達は「絶対、ハッタリだろそれww」などと言ってくるが(こいつにはハッタリにしか聞こえないんだな)と特段、腹も立たなかったし、無理に真実であることを証明しようとも思わなかった。なぜか、精神的に大きく成長しているのを感じ取れる1年だった。
そして・・・。やっと夏が始まったのである。
もう夏休みが始まる前日からフェリーで祖母の家に向かい、日が明けて当日から祖母の家での夏休みがスタートしたのである。この周辺の景色も、まったく1年前と変わらず、夏の祖母の家という雰囲気を感じるのには十分だった。
ただ、1年前と違うのはそれこそPHS全盛期から携帯電話に移行しきっており、こんな俺でさえももちろん親の名義だったが携帯電話も持っていた。また、この1年の間に16歳から取れる原付免許も取得し、この夏に向けてのできる限りの準備をしたつもりだった。
祖母の家に到着してからは、近所のオッチャンの原付を借り、海沿いの道を走って市民プールへと向かった。なにかと忙しそうにしている俺であり、もう祖母と仲良く食事をしながら話をしている俺ではなかった。
夏休みは始まった。そして、朝の一番の8時の市民プール前。それから10分、20分と9時まで待ったがミホちゃんは現れなかった。プール自体は別の男子高校生が鍵を開けに来ていた。2日目、3日目もプールで待ったが、その男子高校生以外には誰もこなかった。
4日目・・(もうこれでいなかったら、、、市民プールに様子を見に行くのは3日に1回くらいの頻度にしよう・・)と思い始めていた。不思議な事に、あれだけ楽しみにしていたい夏休みの祖母の田舎での市民プールだったのに、なぜか妙に落ち着いて、ミホちゃんが現れない。という現実に直面した時の覚悟のほうが決まっている俺がいた。
しかし、4日目も5日目も市民プールへと原付を走らせた。祖母からは「あんた、毎朝どこいっちょんの?」と言われるし、原付かりるオッチャンからは、「アルバイトか?」と言われるくらい精を出していた。
そしてとうとう・・・。ついに見つけた・・・。ついに見つけたたのだった!!
次回へつづく
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