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少女との体験

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87
投稿者:兄
たいへんお待たせしましてスミマセンm(_ _)m
体調は回復したのですが、町会の役が思ったより大変で慣れるのに時間がかかり、
アタフタしているうちに仕事が夏の繁忙期に・・・
中々書き進められる状況になりませんでした。

 それと、エロ気が少ない章に入り書きにくかったという事も一因です。
この章はそのくらいエロ気が少ない章ですが、どうしても必要な部分なので、
ご容赦して頂きますよう、お願い申し上げます。


●俺が中3の頃の話①
 
俺が中3の前半というのは、諸事情により妹への挿入性行為が激減した時期でした。
性行為をしなかった訳では有りません。
妹への愛撫は機会が有る毎にしていたんですが、挿入行為が出来るほどの時間が取れなかったり、
挿入行為に及べるほどの元気が俺に残っていなかったりで、愛撫止まりな事が多かったんです。
記憶が定かでは無いのですが、春休みが明けてから夏休みまで1回も挿入しなかったかもしれない。
そんな期間だったんです。

その“諸事情”は大きく2つ有ります(既に書いて有る理由や細かい理由も有りますけど)
1つは、前置き話の最後に書いた祖母の退院が関わる話なのですが、夏休みに直結する話なので、
書き始めてしまうと、もう1つの事情を入れられなくなる事から後回しにします。

もう一つの事情なんですが、俺の性格や行動原理(※)を先に理解して頂いた方が読みやすく、
俺も話を書きやすい事から、俺の幼少期の話から順を追って書こうかと思います。
(妹がどんな娘だった解る話も入れる予定)

※行動原理⇒行動の根源的な動機となる本能・欲求・願望・信条・価値観など。
  
 なお、俺自身には幼少期の記憶があまり無く、ほとんどの話は祖母や母や、
当時はまだ家に居た叔母達から、後年に聞かされた話になります。



△俺の幼少期からの話

 まずは俺の生まれながらの行動や性格などが解る話から始めたいと思います。
俺は発育の早い子で、生後半年で掴まり立ちを始め、10ヶ月頃には一人歩きをし始め、
1歳になる頃には、大人の目を盗んで独りで外遊びに行ってしまうような子だったと聞いています。

両親や叔母達や祖母の話では、俺の独り外遊びは普通のレベルでは無かったらしい。
俺のお気に入りの場所は、我が家所有の、家から一番遠い田んぼだったと聞いているのですが、
地図アプリで調べてみると、家からその田んぼまでは直線距離で200m以上、
(使用アプリでは直線距離が出なかったので、アプリ地図上での目測値)
道なりだと290mと出ました。

農作業に行く両親や叔母達や祖母に連れられて、良く行っていた田んぼとは言え、
1歳児が独りで遊びに行く距離では有りませんよね?

祖母や両親は、その度に俺を叱って危険性を言い含めたらしいのですが、俺の独り外遊びは
止まらなかったと聞いています。
その場ではしおらしく泣いて謝っていたらしいのですが、翌日には怒られた事など無かったかの
ように、独りで家から一番遠い田んぼまで遊びに出かけていたと聞きました。

どうも1歳頃の俺は、興味の有る事には我慢が効かず、思いのままに行動してしまう、
幼児(まだ乳児?)としては独立独歩な自由人だったようです。
(今は社会に出て鍛えたおかげで“幾分マシ”になっています)

 そんな俺の行動が、ある時から急に変わったと聞いています。
妹が母のお腹に来てからの俺は、一人での外遊びを一切しなくなったそうです。
代わりに、母に付いて回って仕事を手伝うようになり、しょっちゅう母のお腹の中の妹に
話しかけていたらしい。
ちなみに、妹だと解ったのは産まれてからだったそうです。

 この話にも俺の性格が解る裏話が有ります。
この頃の俺は2歳後半~3歳初めで、就園年齢に達していませんでした(※)

※ この時代に乳児保育という制度は無く、就園は満3歳の年度始めからでした。
   妹が産まれた時の俺は2歳7ヶ月ですから、就園まで8ヶ月ほどですね。
ちなみに兄は年少から就園して、妹が産まれた年は年長だったハズです。

母の妊娠を知った父は、妊娠中の母の過労を防ぐために、就園前で常に家に居た俺に
「母の見張り役」をさせようと企んだようです。
じつは、俺には兄との間に「もう一人の兄か姉」が居るはずでしたが、母の過労で流れちゃった
らしいんですよね。

叔母達から聞いた話では、父はまだ2歳半頃だった俺に、兄と俺の間に兄か姉が居るハズだった
事や、母の過労で生まれる前に流れてしまった事、母が体調を崩した事などを話して聞かせ、
母や弟妹が大事なら、母が働き過ぎないようにして、少しは手伝えと言っていたようなんです。
(叔母達は「あれは半ば脅し」と言っていた)

 母が妊娠中の数ヶ月間、俺は昼寝をしなくなり、1日中母に付いて回って、働き過ぎる母を
叱っては、農作業や家事の手伝いをするようになったらしい。
俺には、そんな家族思いな面も有ったと聞いています。


△妹が産まれてからの話

以前にも書きましたが、母は日常的な農作業の担い手でしたから、農業が忙しい時期だと
妊娠・出産したからといって、長々と休んでいられなかったようです。
(時代も時代ですし、3人目ですから実家にも帰らなかったらしい)

兄と俺が産まれたのは農閑期だったので、数ヶ月の育児期間が取れたらしいのですが、
妹が産まれたのは、この頃すでに腰が曲がっていた祖母まで駆り出さないと農作業が回らなくなる
時期でしたから、母は妹を出産後、1週間もしないうちに農作業に出始めたと聞いています。

 母や祖母が農作業をしている間、妹をどうしていたかと言うと、涼しい時間帯には作業をする
田畑近くに乳母車で連れて行く事も有ったようですが、大抵は家の中に寝かせていたらしい。
(天候にもよりますが、午前10時のお茶の時間以降は、家で寝かせていたみたいです)
と言っても、妹を一人で寝かせていた訳では無く、常に俺が傍に居たらしいです。

当時の俺は、妹から引き離そうとすると泣いて暴れるほど、妹から離れるのを嫌がっていて、
妹の傍を離れるのはトイレくらいだったそうです。
昼寝をしなくなっていた俺は、妹が寝ていれば様子を見ながら傍で遊び、起きれば遊んでやって、
泣き出せばあやし、どうしても泣き止まない時は、祖母か母に知らせに走っていたらしいので、
妹の見張り役には丁度良かったんじゃないでしょうか?

 そんな俺と妹の生活は、俺の就園によって8ヶ月ほどで終わるはずでした。
この頃の公立保育園は、議員の票集め政策のおかげか、農家の子は優先的に入れたので、
(農業人口が多かった時代なので、農家優遇の政策が票集めとして有効な時代だったようです)
両親は俺が就園出来るようになったら公立保育園に放り込むつもりだったらしいんです・・・が!
妹と離れるのを嫌がった俺は、就園を断固拒否したと聞いています。

 何とか俺を保育園へ行かせようとした両親は、俺を体験入園に無理矢理行かせたようですが、
(俺の体験入園中、妹は祖母が農作業に合間に見ていたらしい)
俺は初日の午前中から園を脱走し、園から連絡を受けた母と祖母が一人にしておけない年齢の妹を
連れて探しに行こうとしたら、既に帰宅して妹と遊んでいる俺を発見したと聞いています。

通園路の距離を地図アプリで調べてみると、家から保育園までの距離は道なりで490m、
普通の3歳児が一人で帰宅できる距離には思えませんが、俺には1歳の頃の前科が有りますから、
500mくらいの距離を独りで帰れても不思議じゃないのかもしれません。

 体験入園には2日目以降も行かされたらしいのですが、俺は毎日脱走して独りで帰宅し、
妹と遊んでいる所を発見されていたようです。
しかも多い日には1日に3回脱走していたらしい。
脱走するのは決まってオヤツや昼食の後で、俺は園で出された菓子や果物やヤクルトなど、
飲食物をポケットに入れて脱走し、妹と一緒に食べたり飲んだりしていたと聞いています。
俺は、この頃から相当のシスコンだったみたいですね。

 さて、体験入学の結果ですが・・・
園の方から「この子は無理に入園させない方が良い」と言われてしまい、両親は俺の保育園入園を
断念したと、後年になって耳にタコが出来るくらい聞かされる事になりました。



 さて、俺が就園しなくて良くなった事で、俺の妹と2人で居られる時間は格段に伸びました。
妹の就園時期まででしたから・・・3年8ヶ月ほどですね。

この期間の俺と妹は、1日中一緒に居たと思われます。
兄と俺と妹は母の部屋で母と一緒に寝ていましたから寝る時も一緒でしたし、
(布団の並びは母・妹・俺・兄でした)昼間は俺と妹の2人で遊んでいましたし、
入浴も一緒でしたからね(父か兄が一緒に入ってましたが)
離れるのはトイレの時(※一部除く)くらいでしょうか?

※ 妹が俺と一緒に外遊びをするようになると、もよおすのがトイレの近くとは限りません。
野外でトイレを済ます事も多々有ったのですが、女は小でも事後に陰部を拭きますよね?
ティッシュの携帯が必須なんですが、幼少期の妹はポケットティッシュを持ち歩くという
習慣が中々身に付きませんでした。
俺が鼻炎持ちでポケットティッシュを常備していたからでしょうかね?

 妹は、たいてい事後になってティッシュを持っていない事に気付き、俺にティッシュを
ねだっていましたから、俺は用便中の妹から、あまり離れないようにしていました。
大の時でも妹の声が小さくても聞こえる距離に居る事が多かったです。
  離れたとしても、せいぜい2m位ですかね?



 さて、この3年8ヶ月という期間は、俺と妹の普通じゃない兄妹関係の根本が作られた
時期になったと思われます。
人の基本的な人格(性格・思考・嗜好など)が出来上がるのは3歳頃までと言われますからね。

 妹は、家の近くに同年代の女の子が居ませんでしたから、日常的な遊び相手は俺だけでした。
俺が妹とあそばなくなれば、毎日の遊びは独りでする事になります。
今の女性は解りませんが、当時の女性は「女は群れで生きる生き物」と世間で認知されるほど
群れたがり、孤立が理由で自○なんて話も普通に聞ける時代でしたから、女で、しかも幼かった
妹にとって、唯一の日々遊んでくれる俺は失い難い存在になっていたと思われます。
俺に対する強い依存が妹の深層意識に形成されたとしても不思議は有りません。

 日常生活で日々繰り返した遊びでも、俺と妹の兄妹関係が作られたと思われます。
妹との遊びは、妹主体の遊びを俺が提案し、妹が興味を示した遊びをするという「妹が主で俺が従」
の形を取っていましたが、妹と2人で遊ぶ時の俺は「保護者」でも有ります。
危険が及ぶ勝手な行動を妹に取らせないためには「俺が主で妹が従」でなければいけません。
ですから、妹が楽しめる遊びの中にも、妹に気取られずに俺に従わせる部分は常に有った訳です。

なんて、俺自身も、この話を書くにあたり、妹との関係を考察していて気付いたんですがね。
上手く説明できているか解りませんが、俺はその辺りを上手くやったんだと思います。
決して積極的という訳ではなかった(どちらかというと嫌がっていた)妹と、
「性交関係の有る恋人」のような関係になれた訳ですからね。



 話を先に進めます。
妹が産まれた頃には世の中に定着して来ていた、今の家族なら普通にするだろう事が有ります。
それは、家族が乳児を可愛がったり慰めたりする時にするキス。

祖母には乳児へのキスの習慣が無かったようで、祖母はしませんでしたが、
両親達の世代は、特に女性が乳児へキスする事が当たり前の時代になっていたようです。
兄や俺のアルバムにも母や叔母達にキスされている写真が有るくらいですからね。

 女性の乳児へのキスは世に認められて来ていましたが、男性はそうでもなかったようで、
叔父達が甥や姪で有る兄や俺や妹にキスをしていたという話は聞いた事が有りません。
父を除けばですが・・・

 父は、近しい乳児に限ってですがキス魔になる人でした。

※ 近しい乳児⇒父から言うと、自分の子や孫、自分の姉妹の子(甥や姪)
 (義理の関係で有る母方の甥や姪にはしていなかった記憶が有る)
 ちなみに、祖母は父の子育て中に終戦を迎えた年代、
  父と母は幼児期に終戦を迎えた年代、
父方の叔母達は終戦後に産まれた年代です。

父のキスは乳児に不評で大泣きされていましたけど。
(俺のイトコ達や甥っ子姪っ子が父にキスされて大泣きしているのを見ています)
母と叔母の話では、どうやら父の髭剃り跡がチクチクして嫌だったらしいです。
そんな両親や叔母達を間近で見ていた兄や俺も、妹にキスをしていたらしい。
注:もちろん、この頃は性的なキスでは有りません。

 普通の家庭の男家族は、家族内の女児の成長と共にキスをしなく(しにくく?)なります。
女家族が泣いた子を慰めるみたいな必要性が薄いですからね。
我が家の男家族も妹が成長するに従い、妹へのキスはしなくなったようです。
・・・父と兄はね。

俺だけは妹と2人だけの時に限り、家族に内緒で妹へのキスを続けていました。
その必要が有ったからです。
常に妹の傍に居て遊んでいた俺は、2人だけの時に妹を慰めなければいけない状況になる事が多く、
妹の慰め方が一番上手かった母を真似た慰め方で妹を慰めていたのですが、それにはキスが
不可欠だったんです。

具体的には、抱っこして背中をポンポンしたり撫でたりして、慰めの言葉をかけながら、
かける言葉の合間に顔のアチコチにキスをするという感じの慰め方。
泣いている間はオデコや頬へのキスで慰め、泣き止み始めると鼻先や耳元をくすぐるような
キスで笑いを誘い、泣き止むと頬や口への軽いキスで慰め終えるみたいな感じです。

 幼少期の記憶が無いと言いながら、具体的な慰め方の説明が出来るのには理由が有ります。
妹は、かなりの年齢になるまで俺に慰められていたので、妹へのキスは俺の記憶にしっかりと
残っているんですよね。

妹の小学校の修学旅行前に、文字通り“乳離れ”が出来ていない妹を母が心配した話を
覚えていますか?
妹は、母と俺に限ってですが、かなり遅くまで甘えていました。
(母が居る時は母に甘え、俺しか居ない時は俺に甘えていました)

小学校の修学旅行以降の妹は、母からの乳離れ(親離れ)をし始めたのですが、
その後も俺には甘え続け、兄離れらしき状況になったのは、妹が中学になってからかな?
(兄離れの詳しい話は、俺と妹の性交関係が関わっているので後で書きます)

 妹は全く同じ慰められ方をしていた訳では有りません。
↑に書いた基本的な慰め方こそ変わりませんが、成長と共に変化が有りました。

幼い頃の妹は、慰めてもらいたい時には、手を伸ばしながら自ら寄って来て、
体全てで俺にしがみついて来て慰められていました。
解りやすく少しエロい表現で書くと。
俺が立っている時には性交体位の対面立位みたいな格好で慰められ、
俺が座って居る時には性交体位の対面座位みたいな格好で慰められていました。
幼児が良くやる甘え方です。

 それが、いつ頃からなのかは覚えていませんが、妹は自分から慰められに来なくなり、
泣きそうな顔で俺を見ながら、俺が慰めに行くのを待つようになりました。
たぶん、成長するにつれて幼児っぽい慰められ方に抵抗を感じ始めたんじゃないかと思います。
恐らく妹の羞恥心の発露が関係していると思うのですが、妹に女を感じていた俺にとっては
焦らされているような媚態に見えました。

その頃の慰め方は、妹が自分から慰められに来ないので、俺から近づいて行って、
お姫様抱っこで抱き上げます。
抱き上げようとした所で、妹は俺の首に腕を回して来ます(単なる習慣?)
幼児期と違って、この頃の妹はそれなりの体重でしたから(30kg±数kgくらいか?)
立ったままでは慰めにくいので、俺は胡座をかいて座り、組んだ足の上に横抱きのままで
妹の尻を下ろして慰めていました。
大人っぽい(恋人っぽい?)慰められ方でしょ?

 ちなみに、俺の妹へのキスは、慰める時と性交時で仕方を変えていました。
慰める時に性交時のキスをしても慰めにならなかったし、泣いている妹を相手に
ディープキスという訳には行かなかったから。

 今思えば、この常習化していた妹を慰めるキスも、妹が俺との性交関係の抵抗を薄くした
理由なんじゃないかと思えます。
幼い子ならフレンチキス(親愛)とディープキス(性的)の意味合いなんて知りませんからね。
既に書いてある通り遊びの中でし始めたディープキスですが、慣れて上手く出来るようになると、
ディープキスは官能の感覚を呼び起こします。
妹が女としての成長をするにつれ、意識せずに発情状態になり、ディープキスで生まれる感覚を
恋愛感覚と混同して、俺の求めを受け入れやすくなった可能性も有るんじゃないかと思います。
あくまで俺の推測ですがね。



 話を幼少期の続きに戻します。
妹が就園時期になり、就園する事が決まると、俺は「保育園に行く」と言い始めたらしいです。
まぁ、ここまでの流れで、俺のシスコンぶりを知れば疑問に思う人は居ないでしょうが、
俺と大人の考えには、大きな違いが有ったみたいです。

どうやら俺は、入園が一緒なら、園内でも妹と一緒に居られると思っていたようなんです。
実際入園してみると、当然ですが俺は年長組、妹は年少組へ振り分けられてしまい、
それが不満だった俺は、妹と一緒に行動したがって保母さんを困らせていたと聞いています。
年少組に入り浸って年長組に帰るのを嫌がり、年長組の散歩に行きたがらず、年少組の散歩に
付いて行きたがったりしていたと聞いています。

 妹にとっては、母に次いで懐いていた俺が同じ園内に居て、しょっちゅう会いに来るので、
心強かったんじゃないかなと思いますが、家族(特に母)は、毎日のように保母さんに
「俺くんは本当に妹さんが好きで」みたいな事を言われて困ったらしい。
保育園時代の書くべき話は、もう書いて有るので、他の話は端折りますが・・・
少しおさらいしときましょうか?

俺にM君という人生初の友人が出来て、影響されて俺達きょうだいは武道を習うようになり、
妹が就学後に、裸を見せてくれる妹を自慢したくて、初めて妹を同伴してMくん宅に遊びに行き、
M君に妹の裸(特に性器)を鑑賞してもらったり、3人で全裸になって遊んだりした。
おさらい終わり!



さて、そんな保育園時代は、俺の就学によって1年で終わるのですが、その頃の事は、
何故か俺の記憶に、ほとんど有りません。
就学時も就園の時と同じように一悶着起こしたと思われるのですが、記憶どころか
家族から話を聞いた覚えも一切無いんです。
妹と一緒に居られないショックで記憶が抜け落ち、あまりの俺の落胆ぶりに家族も話を
しなかったので、記憶も話を聞いた覚えも無いのかもしれない。
と、言う事で、俺の就学前後と、既に書いて追記する事も無い俺が小2の頃の話は端折って、
妹の就学(俺が小3の頃)から話を続けます。

妹が小学校に入学すると、上手く事を運べば一緒の時間が増やしやすくなります。
同じ家から同じ学校に通うのですから、上手く事を運ばなくても一緒の時間が増えると思えますが、
そうでは有りませんでした。

 俺達が通っていた小学校は、学年によって授業時間や時間割が違い、学年の違う俺と妹は、
下校時間に結構な差が有ったんです。
確か妹の下校時間は、俺より40分ほど早かったと記憶しています。
何も策を立てなければ、妹は下校時間が同じ同級生達と一緒に下校してしまいますから、
妹と一緒に下校するには、何か策を立てなければいけません。
俺が立てた策は以下のようなものでした。

我が家は小学校の通学区内では西の端に位置していて、2.4kmの通学路中、
家の近く800mほどに妹が一緒に下校できる年頃の児童は居ませんでした。
妹が同じ下校時間の児童と下校すると、家の近く800mほどは一人になってしまうんです。

俺は「妹ちゃんが一人で800mも下校するのは危険」と主張して、妹を俺の下校時間まで
学校で待たせ、俺と一緒に下校をするように両親や妹を説得しました。
待っている間の妹は、学校に残っている友達(両親の帰りが遅い子などが残っていた)と、
安全な校内(校庭や体育館)で遊んでいれば良いと提案して親と妹を説得。
両親も妹も俺の案に納得したのか、妹は俺の下校を待って一緒に帰る事になりました。

 こうした俺の努力(と言って良いのか?)により、妹の小学校入学から俺の小学校卒業までは、
俺の人生で3番目に妹と居られる時間が長い期間になりました。
(1番目は妹が産まれてから就園まで、2番目は妹と一緒に保育園に通った期間)


 我が家の立地の話を出したついでに、家の立地と友達について少し話しておきます。

 俺には学校から帰宅後に遊びに行ける友達の家(Mくん宅)が有りましたが、妹は就学しても、
学校から帰宅後に一人で遊びに行ける友達の家が1件も有りませんでした。
俺達が通っていた小学校では、児童だけで遊びに行ける範囲を規制していて、妹が就学後に
仲良くなった友達の家は規制範囲内に1軒も無かったんです。

※ 小学校の規制ですが、女子は守る子の方が多かったのですが、男子は無視して
遠くまで遊びに行く子が多かったです。

友達の家まで保護者に送ってもらえばOKだったのですが、母は運転免許を取得前で、
移動手段が自転車か徒歩でした。
家事や農作業で忙しくしている母に、度々「遊びたいから送って」とは言えませんから、
妹が毎日のように遊べるのは、相変わらず俺だった訳です。

とは言え、妹が俺としか遊ばなかった訳では有りません。
小学校のクラスでの妹は、かなり社交的で友達も多かったんです。
妹がどうしても友達の家に遊びに行きたがった時には、忙しい母に代わり俺が付き添って
遊びに行っていました。
(小学校の規制的にはアウトですが、うちの親は特に何も言わなかったから)

その場合、俺も一緒に妹の友達と遊ぶんですけどね。
妹が帰るときに迎えに行くより、そのまま一緒に遊んで帰った方が効率的ですし、
何より俺が妹含む年下の女の子と遊ぶのを楽しんでいたから。



 そんな俺の小学校時代は卒業で幕を閉じ、俺は中学へ入学。
仕方が無いとは言え、妹との時間を大事にしていた俺にとっては大災難。
通う学校が分かれ、通学路も妹と一緒に歩けるのは500mほどになり、
下校時間が妹より15分も遅く、クラス委員就任と部活入部が必須でしたから、
妹との時間が激減する事が予想されました。

 15分遅い下校時間はどうにかなる可能性が有りましたが、
(小学生は遊びながら帰るので、急いで下校すれば妹に追い付ける可能性が有った)
委員会や部活に入ってしまうと下校が遅くなり可能性は0になります。
サボってしまえば済む話ですが、俺はサボるという行為が苦手でした。
後々面倒な事になりますし、後ろ暗さで長々と気に病む性格だったから。

 妹との相姦行為は後ろ暗くなかったのかと言われそうですが・・・
全く後ろ暗く思っていませんでした。<(`^´)>
この頃の俺は、妹の事を女としての魅力が世界一有る女の子と思っていましたし、
世間体なんて気にして逃したら、男としての俺の人生最大の損失とすら思っていましたからね。


 さて、中学進学で発生した問題を、どう解決したかですが・・・
俺には前年まで中学に通っていた兄という情報源が居たので対策を立てられたんです。

まず委員は、清掃委員が放課後に残る必要が無い委員だと兄から聞いていました。
平委員の仕事は清掃時間のチェックと委員に関わる掲示物の掲示板への張り出しだけ。
掃除の時間は、授業時間に組み込まれ、授業後に充分な時間が取られていたので、
ちゃんと掃除を終了させれば、下校時間に影響する事は、ほとんど無かった。
掃除を終わらせて、清掃場所担当の先生のチェックが済めば終了なので、
掃除を完璧に早く終わらせれば、下校時間前に学校を出る事も可能でした。

 ※俺や妹が通った中学は、授業後にホームルーム、その後に全校で掃除をして、
  掃除が終了すれば下校時間前でも放課後活動や下校が出来るという時間割でした。

俺はクラスの委員決めで清掃委員に立候補しました。
クラスメイトは委員の詳細な仕事内容を知らない人ばかりなので、立候補者してまで
特定の委員に就こうとする人は居ませんから、清掃委員はアッサリ俺に決まりました。
(翌年・翌々年も立候補して中学の3年間を清掃委員で通す事が出来た)

平委員が出席する通常委員会は授業時間に組み込まれていたのですが、
委員長などの役に付くと放課後の役員会議へ出席しなければならないので、
俺はなるべく目立たないように委員の仕事をするように心がけました。
同じ委員を続けるだけで役に就く可能性が上がりますからね!
(目立たないようにしたのは委員だけでなく中学生活全般です)

 そのおかげ(?)で、俺は集団の中で自分の存在を消すと言うか、
影を薄くする特技を身に付けました。
今でも自覚せずに存在を消してしまう時が有って、友達と待ち合わせした時に

友達(`_´)「俺くん遅いな」
俺(´・ω・`)ヾ「隣に居るやん」
友達ヽ(´Д`;)ノ「わぁ!いつの間にぃ~」

なんて事が良く有ります。


 さて、次は部活の問題です。
部活は、陸上部顧問がI澤先生のままなら出欠に煩く無く、しかも、それなりの理由が有れば
正規に休部状態でいられると兄に聞いていました。
(兄も陸上部員で、進学のため塾に行くという理由で中2の中頃から休部していました)

顧問が澤沢先生のままだったので、俺は陸上部へ入部。
後で気に病みたくないので、サボるのは止めて、理由を作りました。
「武道場に通っているからので、あまり出られません」と、言っておいたんです。
実際には小6の終わりから武道場には通わなくなっていたんですけどね。
(武道場には妹も一緒に通っていましたが、俺と共に行かなくなっていました)
中学3年間で部活に出たのは、初日を含めて1週間ほどだったと思います。
(妹と一緒に遊べないと解っている日とかに気が向くと部活に出ていた)


 残る問題は妹との通学路ルート。
俺の家から中学と小学校への登下校ルートは途中でY字に分かれていて、
正規の通学路を使うと、妹と通学できるのは家から500mほどしか有りません。
妹と一時でも長く一緒に居たい俺にとっては短すぎる距離です。
俺は妹と下校できる距離を長くしようと考え始めました。

 小学校の通学路は、家から東に約500m行ってY字路を左(中学は右)
約1.5km先の小学校前へ続く道を左折すると400mほどで小学校に着くのですが、
小学校前へ続く道に着いて右折すると中学に行けたんです。
通常の中学の通学路を使うより1.2kmほどの大回りになりますが、妹と同じ通学ルートが
500mほどから約2kmと4倍になるので、俺はそのルートを使う事にしました。
登校時は妹と2kmも一緒に居られますし、下校途中の妹との遭遇率も上がりますからね。

 下校時に小学校から400m地点で妹を待たせれば2km全てを妹と一緒に帰れますが、
友達と帰っている妹を下校ルート上で待たせる事は可愛想なので止めました。
一緒に待ってくれる友達が、そう居るとは思えなかったから。
妹が独りで待つ事が多くなりそうでしょ?

 この下校ルートの変更は、俺の思惑通り上手く行きました。
下校途中の妹には、早ければ合流地点から数十m、遅くとも妹の通学路の真ん中辺りで
妹に追い付けたんです。



 さて、ほぼ本編の時代に追い付いたので、この辺で後回しにした話を終わりにして、
本編の“事情”の話に移ろうと思いますが、妹の性格などの描写が不足していると思います。
とは言え、実際どうだったのか妹本人に聞けませんから、俺目線では有りますが、
妹の性格が解る話や、俺をどう思っていたのかなどについての考察を少し書こうかと思います。


△俺目線での妹の性格など。
 末っ子長女と言うと、家族から溺愛されたワガママ娘という印象が強いですが、
うちの妹にワガママという形容は当てはまりません。
ウチの父は厳しい面が多々有りましたから、他の家族(特に俺)が甘々でバランスが
取れていたんじゃないでしょうか?

 母が親戚付き合いを大事にしていたのも妹の性格形成に影響を与えたと思います。
うちの両親は長子長男と長子長女の夫婦で、父には妹が2人、母には弟妹が4人居て、
旦那の転勤で東京に居る母方の叔母家族以外は、車で30分圏内に住んでいました。

 叔父叔母の所には、揃えたように子供が2人ずつ居たので、イトコは総勢12人。
俺達きょうだいが一番年上でしたから、イトコの中での妹は“一番上のお姉さん”です。
付き合いが少なければ影響は無かったかもしれませんが、母が月に4~5回は親戚の家に
俺達を連れて行っていたので影響は大きかった。

 「親戚の家に行き過ぎだろ」と思えますが、理由が有ります。
我が家の農地は、昔は氾濫しがちだった川の中洲を開拓した農地で、
土の上に育つ作物には向いているのですが、土の中に育つ作物には不向きでした。
元が中洲なので石が多く、土が乾くと手では砕けないほど固くなるので、
土の中に育つ作物の成長が阻害されて、まともに育たないんです。
とは言え、農家をしていれば日常的に使う馬鈴薯や大根くらいは自分で栽培したいので、
土壌が土の中に育つ作物向きだった母の実家の畑を借りて、作物の世話のために週に1度は
母の実家に通っていたんです。

母の実家へ行く途中には、近隣に住んでいた叔父叔母の家4件が有りましたから、
母の実家に行くついでに寄る事が多く、母が実家に行く時に合わせて叔父叔母イトコが
集まる事も良く有ったので、イトコ達と遊ぶ機会が多かった。
※この頃、自動車運転免許を持っているのは父だけだったので、
母の実家に行くのは父が休みの週末でした。
親戚も週末休みの方が多かったので集まりやすかったようです。

一番年上のお姉さんとしてイトコ達と遊んでいるうちに、妹は世話好きで、
叱る所はしっかり叱るが、普段は優しく年少者を可愛がる娘に育ちました。
学校でも年下の子達には、かなり懐かれていました。

 同級生や上級生にも人気が有り、告られたりラブレターを貰う事も多かったようです。
俺が直に見たり聞いたりした事は2回しか有りませんけどね。

 1回は俺が中3(妹が中1)の終わり頃の話です(たぶん放課後)
俺のクラスメイトが東校舎(専門教科棟)の理科室で部活の仲間と遊んでいた時に、
校舎裏に人が居るのに気付いて覗き見したら、妹が告られていたらしい。
それをナゼ俺が知っているかというと、そいつが俺に御注進しに来たからです。
「お前の妹が北校舎裏で2年に告られてたぞ!」ってね。
そのクラスメイトの話では、告ったのは俺の知らない3年の男子生徒で、
妹は、その場で断っていたらしいです。

※ 3年だけでも1クラス37~40人×5クラスの中学でしたから、
 接点が無いと同学年でも知らないという生徒が居ました。

 もう1回というのは、いつ頃だったか覚えていないのですが、妹が家に居ない時に、
妹の部屋を漁っていたら(下着チェックとかしてた)、ゴミ箱の中に手紙を発見して、
読んでみたらラブレターだった事が有りました。
一応貰って読んだけれどゴミ箱行きにしたんじゃないかと思われます。

 俺との相姦関係が続いている間に、妹が彼氏を作った事は、たぶん1回も無かったと思います。
「性愛関係だった俺に義理立てして?」なんて考えるのは自意識過剰でしょうかね?
そう思えてしまうほど、妹との関係は上手く行っていると俺は感じていました。
兄妹としても恋人(性交相手?)としてもね。



△妹の愛情ぶかさを感じた話(注:動物が死ぬ話が含まれます)

いつ頃だったか忘れましたが(俺が中学に入るか入らないかくらいだったかな?)
妹や同じ通学路の児童数人と一緒に下校している途中で、捨て猫が入ったダンボール箱を
見付けた事が有りました。
箱に入っていたのが何匹だったか忘れましたが、ほとんど○んでしまっている中に、
何とか生きていて、か細く鳴いているのが1匹。
一緒に下校していた他の子は箱の中を見て帰宅の歩を進め始めたんですが、
妹はダンボール箱の前から動こうとしませんでした。

 たぶん妹は、放って帰れないけれど、拾って帰っても父から「捨ててこい」って言われそうだし、
一度拾ってもう一度捨てるなんて出来ないし、でも放って帰れないし・・・で、
動けなくなっていたんじゃないかと思います。

 なので、か細く泣いている子をソッと抱き上げて妹に渡し、帰ろうとしたんですが、
妹が「他の子は置いてくの?」って泣き出しそうになって言うので、○んだ子達は、
ダンボール箱ごと俺が持って家に帰りました。
 俺には我が家の初代猫を拾って飼う事を父に認めさせた前例が有りましたし、
旧家の農家でしたから数匹の○んだ子猫を埋葬できる場所も幾らでも有りましたから。

 俺は家に着くと、妹に生き残った子を手で包んで温め続けるように言って、
生き残った子猫の世話の準備をしました。
とは言え、今と違って近所に犬猫病院はおろかペット用品を売っている店すら無い時代、
拾った子猫の世話の仕方も父に聞いた仕方しか知らず、調べる術も図書館くらいしか無い時代で、
家の近くには図書館なんて無かった(一番近いのが学校の図書館)
ひとまず家に有った綺麗なダンボール箱にタオルで包んだ湯タンポを入れて子猫を寝かし、
温めた牛乳と水を用意しましたが、子猫は飲む力が無いほど弱っていました。

妹は、オヤツはおろか夕飯も要らないと言って、付きっきりで子猫の世話を続け、
その夜は寝ずの看病をすると言うので俺も付き合いましたが途中で寝てしまい、
泣いている妹に揺すり起こされたのは、翌朝明るくなってからでした。
(この日が休みというのは覚えている、朝6時か7時頃だった気がする)

妹は一晩中一睡もせずに、子猫が息絶えるまで撫で続けていたらしい。
子猫の反応が無くなり息絶えたと解って、泣きながら俺を起こしたみたいですね。

 死んでしまった子猫は兄弟姉妹達と一緒に埋葬してやりました。
妹は死んでしまった子猫を手に包み抱いたまま泣き続けていた。
俺は、掘った穴に子猫の兄弟達の硬直した体を並べていた時までは何とも無かったのですが、
妹から子猫を受け取り、まだ温もりが残る柔らかく小さな子猫を手の中で感じた途端、
込み上げてきちゃったんですよね。

泣いた記憶なんて遥か昔、子猫が死んで泣けるなんて思っていなかった俺は、
少し急ぎ気味に埋葬をして、短めに手を合わせ、妹を一人残して家に入りました。
妹の前で泣きたくなかったからです。
そして、誰も居ない部屋の押し入れに入った布団に上半身を突っ込んで大泣きしました。

妹は、気が済むまで俺が泣いてから、妹が戻っていない事に気付いて迎えに行くまで、
ずーっと埋葬場所に居たらしく、俺が迎えに行った時、まだそこで泣いていました。
拾ったばかりの子猫の命を、これだけ泣いて惜しめる姿に、俺は妹の愛情深さを感じました。
死んだ子猫に羨望を覚えるほどでした。
「俺が死ぬ時は、妹にあんな風に看取られたい、あんな風に惜しまれたい」ってね。
この一件以来、女としての妹を自分のモノにしたいという俺の想いは更に強くなりましたね。
愛情深い良い伴侶・良いお母さんになりそうでしょ?


△妹の武勇伝

俺と妹が通っていた武道場に、Kという苗字の姉妹が居まして、姉Aは俺の一学年下、
妹Sがうちの妹の2学年下。
隣の学区の家に住んでいたので、同じ学校には通わないハズだったのですが、俺達の学区内に
引っ越して、うちの妹が中3に上がった年に、K姉妹の妹Sが、俺達が通っていた中学に
1年生として入学しました。
※この年、俺は高2、K姉妹の姉Aは高1になり、高校の学区になっていた。

 このK姉妹の妹Sが入ったクラスなんですが。
新生活に慣れてきた頃からイジメを始めた男子生徒が居たそうなんです。
転校したてで、イジメの相談が出来るほど親しい生徒や先生が居ないK姉妹の妹Sは、
同じ武道場で顔見知りだった、うちの妹に相談したんです。

 妹がどうしたかというと、K姉妹の妹Sのクラスへ凸して男子生徒をシメたらしい。
(シメたと言っても、話をしただけみたいですが)

 まぁ、聞いた話では妹一人で凸しに行った訳じゃ無いようですけど。
妹のクラスには俺達が通っていた武道場の娘も居て、うちの妹とは仲が良く、
2人で凸したと聞いています。

 武道場の娘は、父親でもある道場主に文武両道を仕込まれていましたので、
スポーツ万能、学業も秀優、先生方の信任が厚く、生徒にも人気が有り、
多数の生徒に推薦されて副生徒会長を務めるようになった子でした。
(うちの妹はスポーツ・学業・身長は平均やや上くらい)
そして、うちの妹と中学内の人気を2分する美人だった。
※タイプが違うので美人度は比べられない。
  妹は親しみやすい美人で、道場主の娘はクールな美人(俺のタイプではないけど)。

 学内を2分する人気を持つ2人に凸されて、男子生徒はイジメを止めたそうです。
2人を敵に回すとゆう事は、学内を2分する2人のファンをも敵に回すことになります。
2人のファンだった生徒は武勇伝として後輩に話しますから、新入生も例外じゃない。
実際に、俺が話をした妹達の5~6年下の後輩達が、2人の名前と武勇伝を知っていました。
俺が武勇伝の片割れの兄と知った前と後では、後輩達の俺への対応が変わったほどです。
中学生活の3年間を無事に送りたいのなら大人しくした方が身の為です。

※俺は町会の活動に積極的に参加しているので、町会のお祭りやスポーツ大会や
運動会などで、後輩の小中学生と会って話す機会が多い。

 ちなみに、イジメの話はK姉妹の妹Sから俺が直接聞いた話で、妹からは何も聞いていません。
(俺は高校入学が決まってからバイトを始めて武道場に復帰、その武道場で聞いた)
K姉妹の妹Sから聞いた話では、生徒内でイジメの対処をした事に関して、
先生方は何も言わなかったようです(怒られも褒められもしなかったらしい)

下手に先生が関わるとイジメの陰湿化にも繋がったりする難しい問題ですからね。
生徒間で後腐れなく解決したという事でお咎め無し。
しかし、そういった事例が増えると、事態が予想外の方向に行く事も有るので褒めもしなかった。
と、いった所でしょうか?
(イジメっ子がイジメられっ子になって・・・とか聞きますし)

この件で2人は先生方の信頼を更に上げ、生徒内で密かな話題となり、2人の武勇伝として
後輩に語り継がれていったようです。

 ちなみに、この話に出たK姉妹、後の俺と妹の関係に関わって来ますので覚えておいて下さい。




 さて、話を本筋に戻して、妹への挿入行為が激減した事情、
俺の行動原理が性格によって裏目に出た話を書きたいと思います

それは俺が入った清掃委員が関わっています。
俺は影を薄くするため、意識してデキる仕事はしませんでしたが、目立たぬよう気を付けながら
キッチリと仕事をこなしていました。
先生のチェックが通らなければ掃除のやり直しになる事が有ったからです。
掃除のやり直しになれば、最初か

※元投稿はこちら >>
18/07/18 23:11 (MdB9zusg)
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