●俺が中3の頃の話・・・の前置き話
長々とお待たせしてスミマセン。
ひとまず本筋の前に少し前置きにお付き合い下さい。
この年度の少し前から俺が高1の初夏までの期間というのは、家庭生活の変化や
学校内外での事件が多かった時期で、それらは少なからず俺と妹の関係に影響を及ぼしました。
今思えば、この頃の妹は感受性が敏感になる年頃、変化や事件をキッカケに、
俺(兄)との相姦関係を思い悩む事も多かったんじゃないかと思います。
当時の俺の恋愛スキルは皆無です。
女性に告白するのさえ (ヾノ・∀・`)ムリムリ 絶対にキョドって告白にならないレベルです。
そんな当時の俺が、妹の微妙な反応から心情を図るなんて芸当が出来るはずが有りません。
実際に当時の俺は、妹が明確な抗議の意思を示さずに俺の求めを受け入れていた事も有って、
“妹は体も心も俺のモノになっている”と思い込んでいましたからね。
そう思っている目で見れば、妹の微妙な抵抗反応なんて、していないも同じ。
逆に、自分に対する媚態に思える事が多かったんです。
当時を思い返して、妹がしていた微妙な反応を少し挙げてみます。
☆妹の不安気で憂いを感じさせる表情。
当時の俺も妹の表情の変化には気付いていましたが、自分との関係を思い悩んで出た
表情とは思わず、女の色気が出て来たんだと思っていました。
実際に、妹の不安気で憂いを感じさせる表情は、俺の男の欲望を煽りましたからね。
☆焦らしたり求めたりしているように見える動き。
性行為に戸惑っているような表情や体の動き、挿入直前の逃げるような腰の動きなどは、
明確な拒否が無い限り、誘ったり焦らしたり求めたりしているようにも見えます。
当時の俺には、そう見えていました。
今思えば、こんな勘違いは数多く有ったと思います。
それでも妹が大した抵抗を示さなかったのは何故か?
家族に知られれば怒られるだけじゃなく家族崩壊にもなりそうだから?
危ないと言われるほど仲が良かった俺との兄妹関係を維持したかったから?
思い悩んだ妹が、どういう心情で結論を出したのかは、今の俺にも解りませんが、
この後の妹との相姦関係は俺の理想と言える方向へ進んで行きました。
短的に書くと、
ここまでは、妹が俺(兄)との性的な関係や行為に慣れるまでの話でしたが、
これからは、妹が俺(兄)を相手に、心身共に“女として花開いて行く”話になります。
この作品は体験告白形式で書いていますので、当時の俺の目線で話を進めていますが、
一番の萌えポイントで有る妹の心情を汲めていない当時の俺目線の形式では、
読み手の皆様の想像力を刺激し、充分に堪能できる形で表現できない事に気付きました。
“思い悩みながら兄(俺)の欲望を受け入れ、女として花開いていく妹”を
想像出来る形で読み進んでもらいたいので、この前置きを置く事にしました。
最初の必須情報として、妹を最大に悩ませたであろう事件を書いておきます。
前年度、つまり俺が中2、妹が小6の年度終わり。
小学校で、妹のクラス違いの同学年女子(小6)が、ある事件を起こしました。
“妊娠騒ぎ”
小学校で起こった事件ですから、中学に上がっていた俺は、少しの噂しか知りません。
相手は社会人(まだ10代とか20代前半とか言われていた)とか、
女子生徒は噂になる前から学校に来なくなっていたとか、その程度。
その女子生徒がどうなったかまでは知りませんが、こういう事件の場合、
一般的な親や学校の対応は予想が付きます。
恐らく堕胎後に、良くて遠方に転校、悪ければそのテの矯正施設行き。
この事件以後、俺と妹の同学年女子の妊娠騒ぎが立て続けに起きたんですよね。
・2回目の妊娠騒ぎ
俺が中3、妹が中1の9月終わり
今度は俺のクラス違いの同学年女子(中3)が妊娠騒ぎを起こしました。
俺と選択科目が一緒の女子で、妊娠するのも頷ける女性らしい体格の子だった。
噂では自主退学後に堕胎させられ矯正施設に入所させられたと聞いている。
(この時初めて矯正施設の存在を知りました)
・3回目の妊娠騒ぎ
俺が中3の10月、妹の同学年女子(中1、クラス違い)が、再び妊娠騒ぎを起こしました。
妊娠した女生徒が退学になったのは同じですが、前記2つの妊娠騒ぎと違った事が幾つか有ります。
1つは事実婚状態で出産に望み、結婚年齢に達してから籍を入れるらしい事。
(堕胎可能な時期を過ぎていたから出産するしか無かったという噂も有った)
もう1つは、相手が“近親者”だったらしい事です。
※日本で婚姻が禁止されているのは三親等まで(①親兄弟姉妹②祖父母③叔父叔母)なので、
籍を入れられるという事は、四親等(イトコ)以上離れた近親者だと思われます。
3回目の妊娠騒ぎの時、中学に通っていた女子の間では意外な反応が有りました。
多くの女子が良い話のように思っていたみたいなんです。
以下、クラスや委員会や部活で聞きかじった女子の会話の要略。
「好き同士なら早過ぎたって良い」みたいな?
「運命の相手に早く出会いすぎただけ」みたいな?
「禁忌を乗り越え愛を成就させるのに憧れる」みたいな?
※法律上認められていても、近親者との婚姻は禁忌感が否めないらしい。
俺の同級生の妊娠騒ぎはともかく、
(小中学生にとって2学年上は結構な年上感が有り、身近な問題として捉えにくいから)
自分と同じ学年で2回も有った妊娠騒ぎを、妹はどう思い、どう考えていたんでしょうか?
何も知らない子供なら行為自体への漠然とした不安で済んだと思いますが、
妹は何も知らない子供では有りません。
小6の時に性教育の授業を受けていましたし、中学でも妊娠事件後に性教育の臨時授業が
全学年で有りましたからね。
中学での性教育は、性教育にしては異例の男女合同でした。
恐らく内容がエロい描写が少なく、どちらかと言うとグロい内容だったから。
授業内容は、若年での性交や妊娠や堕胎・出産の危険性に関する動画の鑑賞と
養護教諭からの補足授業。
動画の内容は性病とか堕胎とか若年での性交・妊娠・年出産の危険性などです。
(性交での性器裂傷から来る感染症とか、妊娠中や出産時の子宮破裂の危険性とか)。
中学生向けにグロい映像はボカシなどで控えられていましたが、俺のクラスメイト(中3)でも
泣き出したり、気分が悪くなったりする生徒が出る内容でした。
(主に女子でしたが、男子の一部にも気分が悪くなる人が出るレベルだった)
委員会や部活で下級生に聞いたところ、内容は全学年同じだったみたいです。
当時の俺ですら「昨年まで小学生だった妹の学年(中1)に見せて良いのか?」
と思うような内容だったのに!
俺自身は、あまりショックとかは無く「ほ~ん、そうなのか~」って感じでしたけどね。
まぁ俺は、出産動画を見て感動と共に性的興奮を覚え、初めて女を意識した妹に対して
“あの出産動画みたいに俺の子を産んで貰いたい”なんて望みを持つ男でしたからね。
当時の自分を振り返ってみると、性教育の臨時授業で見た動画と同じ結果に
なるかもしれない行為を妹にしているという当事者意識も無かったな。
※注
俺が感動と共に性的興奮を覚えた出産動画ですが、局部の写りが少なく、
出産している妊婦も割と大人しめの動画です。
出産する子のために長時間の苦痛を受け入れ、我慢して耐える姿に感動したし、
こんな女なら、男の欲望も同じように受け入れるんじゃないかと思えて
苦痛に歪む表情や、我慢して抑えた呻き声が性交中の反応と重なって性的興奮を覚えました。
同じ出産動画でも、局部の写りが多いグロい動画や、妊婦が目を剥いて泣き叫んで
出産の中止を訴えたりしているような動画は好きじゃなかった。
当時の俺は、妹は前者のような出産をしてくれそうだと思っていたんですよね。
これは言葉では説明できない、産まれた時から妹を見て来た兄だから言える意見です。
実際のところ、妹は俺との性行為を俺の理想に近い形で受け入れ続けていましたからね。
さて、初潮を迎えてないとは言え、実兄の俺と避妊無しの性交を繰り返していた妹は
度重なった同年代の妊娠や性教育の臨時授業を、どういう思いで見聞きし、
どんな心情になっていたんでしょう?
今の俺でも正確には解りませんが、状況から想像をしてみると、
相当な不安や戸惑いを感じ、かなり思い悩んだと思います。
しかし、妹は明確な拒否を示さないまま、俺の求めを受け入れ続けたんですよね!
当時を思い返して、今の俺が反省というか後悔している事が有ります。
それは、思い悩む妹に気付かなかった当時の俺の事。
あの頃に今の俺くらい思い悩んでいる妹を察知してやれたら・・・
不安や戸惑いで揺れ動く心の隙を突いて口説き落とし、妹を俺の理想通りの
愛奴や性奴に堕とせたかもしれないのにぃ~!
勿体無ぇ~!!
という反省と後悔の念です。
ちなみに、世間的には同義語として扱われがちな愛奴と性奴ですが、
今の俺に言わせると違いは有ると思っています。
双方とも主人に望まれた行為を受け入れる存在(奴隷)という意味では同じですが、
・愛奴=根幹は愛情、禁忌すら乗り越える性愛関係、残虐的な行為になる事は少ない。
・性奴=根幹は性欲、主人の性欲を満たす為なら何でも有りで、残虐的な行為も有り得る。
※残虐度の軽重は主人の性癖と性奴の受け入れ具合による。
俺に虐待性癖はあまり無い、血とか傷とか萎えるから、手を上げるなんて考えられん。
女子供は愛でるもの、暴力・残虐性の無い性愛行為も愛でる行為だと思っている。
そんな俺なので、妹を性奴に出来たとしても残虐的な結末にはならなかったと思う。
この頃の妹は身体的・性感的な変化も大きい時期でしたから
今後の妹の変化の指標として、この年度の初め(3~4月頃)の
妹の体や性感についても書いておこうかと思います。
この頃の妹の詳細な身体サイズが解るものは残っていません。
「俺の覚書」は、飽きっぽい俺が続けられず、この頃は書くのを止めていましたし、
小中学校でやったはずの妹の身体測定表も残っていません。
いつだったか忘れましたが、家を改築する時に家財整理をする事になった時、
俺や兄貴の成績表や身体測定表が出てきたのですが(小中の全学年分、今も残っています)
妹の成績表や身体測定表は1枚も出て来ませんでした。
妹が誰にも見られないように抹消したのかもしれません。
なので、正確とは言えませんが、俺の記憶の上での話になります。
①髪型
迷ったのですが書いとく事にします。
妹が本田美奈子に似ていると言われたと書きましたが、居住区は平和な地方都市近郊の田園地帯。
たま~にブンブン族が五月蝿くて、一部の高校に居る不良も大した騒ぎは起こさないという地域。
通っていたのも全校生徒が校則を守る普通の公立校。
パーマや化粧は禁止でしたし、小学校では前髪が眉にかかってはいけないなんて校則も有った。
なので、本田美奈子みたいなボリュームの有る髪型(パーマ)は有り得ません。
女性は髪型で印象がガラリと変わりますからねぇ。
YouTubeの本田美奈子の動画を見てみましたが、やはり髪型や化粧の印象は大きい。
ほとんどの動画は、当時の妹の顔を解ってもらうのに役に立ちません。
俺目線で妹に一番似ていると思った本田美奈子の動画は、帽子で髪が隠れがちな以下の動画です。
投稿者MinakoHondaVEVO 曲Oneway Generation
画像と妹の違いについての補足。
・見えている部分の髪が当時の妹の髪型と近い感じです。
・顎の尖りが違う感じ、妹はもうちょっと頬や顎のラインに丸みが有った。
・この頃の妹はスキンケア(基礎化粧)程度で化粧をしていなかった。
・モノクロ動画の女の子誰だよ!
正確には覚えていませんが、妹の髪型の移り変わりを書いておきます。
・幼少期~小学生⇒肩上くらいのボブカット(おかっぱ)みたいな髪型
前髪や襟足は一直線にビタっとは揃えていなかった気がする。
・小学生終わり~中学生⇒徐々に伸ばしてロングへ、まとめている事が多かった。
中1頃は髪が肩にかかるくらい、前髪も伸ばし始めていた。
・高校時代⇒背中くらいのロングで維持、少し茶髪気味になっていく
(脱色はしていなかったからドライヤーの影響で茶髪気味になったと思われる)
・専門学校入学前の春休み⇒バッサリと切ってショートカットにする。
(たぶん職種的な事からショートカットにしたと思われる)
②身長
この年度始めの妹の身長は150cmに届かないくらいだったと思います。
この時代の同年女子平均が150.8cmなので、平均身長よりやや低いくらいですね。
俺の身長の伸びは170cm強ほどで止まっていましたから、身長差は20cmちょっと位でしょうか?
妹の後ろに立った俺目線で、妹の頭頂部が俺の顎先の辺りに来るくらいです。
背後から妹に近付き、逃げられないように抱き締めてから、顎先を妹のつむじに当てて
「トーテムポール!」「妹ちゃんのつ~む~じ~」などと言って、遊んでいた記憶が有ります。
今思うと中学の兄妹がやる遊びじゃ無いとは思いますが、この遊びから耳元で囁いて口説き、
顔へのキスから性行為にもつれ込む事も有ったので、そう幼稚とも言えないでしょ?
この身長差の頃の利点をひとつ言うと、挿入しながら妹にキスをしやすかった事です。
※2人の股上と股下の比率にもよるので、あくまで俺と妹の場合です。
挿入時には妹の膣に陰茎を挿入したまま濃厚なディープキスを長々としていました。
妹の華奢な体を腕の中に抱き、体を密着させて、妹の上の口と下の口を同時に味わう一体感は、
かなり官能的な行為でした。
この身長差での難点も有りましたが、それは後の話で触れます。
③体格
以前にも書いたかもしれませんが、妹は胸の性徴発露が早かった割に、
他の女性的な性徴、つまり腰の性徴と脂肪付きが遅目でした。
妹と同程度に胸が膨らんでいる同級生と比べると(もちろん着衣の状態で比較)
妹は腰全体が小さく、腰から伸びた太腿もスンナリとしていて、脂肪付きが薄い感じでした。
有名な映像で最も妹に近そうな体格の子を言うと、千葉援交「サポで助けてください」の
“あおい”でしょうか?
妹は“あおい”ほど腸骨(腰骨の上端)が目立っていなかったですけど。
胸の性徴の割に、腰周りの女性的な性徴(骨盤の性徴や脂肪付き)が遅い感じの体格。
あの時代でも、全身がスリムで華奢なのに胸の性徴が着衣の上から確認できる子が
学年(俺の頃は37~39人クラス×5組)に1~2人ほど居ました。
妹もそんな1人で、妹の学年には他にもう1人居たのですが、類友なのか妹の友達でした。
ちなみに、その娘は「俺の友人M君」に影響されて習い始めた武道場主の長女です。
(この武道場、以後の話に関わるので覚えておいて下さい)
彼女は妹より長身だったせいか痩せ過ぎに見えましたね。
太腿が大人の男の二の腕程度の太さしか無いように見える程だったし。
④胸
妹の胸の性徴は、前にも書いたように非常にゆっくりで、まだ膨らみ以上、乳房未満といった感じ。
バージスライン(正面から見た時の乳房下の丸いライン)は出始めていましたが、
横から見た膨らみは直線的で、“房”という表現をして良いものか悩む程度の膨らみ。
幼なさを感じさせる華奢な体には似合いの大きさでしたけどね。
乳輪は対照的に半球に近い丸みを帯びていました。
ピンポン球を3分の1に切った丸い部分くらい?(解りにくいか?)
柔らかな胸の膨らみの中でも、乳輪は特に柔らかで、俺の指や舌を楽しませてくれる
パーツの一つでしたね。
2本の指で挟むと「指の間に皮膚しか残らない?」って程になり、本当に中身(脂肪)が
入っているのか疑いたくなる柔らかさでした。
その乳輪の中心部に有る乳首は、直径こそ大きくなってきましたが(5mmくらい?)
高さが無く(1mm強くらい?)まだ指にも歯にもかからない程度の存在。
徐々に存在を大きくし始めたのは夏休み以後くらいからだったかな?
乳輪よりは少し弾力が有る感じでした。
乳輪以外の胸の膨らみ全体は、大人ほどの充実感が無く、弾力がほぼ感じられない、
乳輪ほどでは無いですが揉み応えが無いフニャフニャした感じでした。
なのに、少女の胸としての形は保っていて不思議な感じがしましたね。
⑤性器
俺は女性外性器のサイズは、腰の女性的な性徴によって変化していくものと思っています。
女性的な腰の性徴というのは、腰骨の広がりの事です。
骨格から腰の厚みが出ると、股下の長さが伸びますから、当然陰裂の長さも伸びます。
腰の幅が広がれば足の間(股部分)が広がりますから、陰裂が開きやすくなる。
陰裂の長さが伸びて開きやすくなると言うことは、膣前庭粘膜が無防備になりやすい。
内蔵に続く粘膜は乾燥するとダメージを受けやすく雑菌が侵入しやすくなるので、
小陰唇が大きくビラビラと合わさりやすい形になり、膣前庭粘膜を乾燥から守るようになる。
もちろん個人差が有るので、一概には言えませんけどね。
小学生で小陰唇が大きくビラビラしている子とかも居ますから。
まだそれほど腰の性徴が無かった妹の性器は、サイズ的な変化は少なかったと思います。
太さが3.5cmを超えていた俺の陰茎を受け入れて、スローセックスとは言え抽送出来る
余裕が出て来ていた妹の性器ですが、挿入している部分を見た感じでは大して余裕は無さそうでした。
足を開かせて俺の陰茎を挟んでいる大陰唇や小陰唇を指で丹念に広げても、膣前庭粘膜と表皮の
境目までしか見えない状態でしたから、この頃の妹の陰裂長は5cm以下だったと思います。
(陰裂長=陰核下から会陰の縁までの長さ=膣前庭粘膜の長さです)
ちなみに成人女性の陰裂長の平均は7.1cmだそうです。
性器の外観的には、性徴してきた陰核包皮が大陰唇の間に挟まるように露出していて、
もう1本線とは言えない状態になってきました。
小陰唇の露出は時と場合によりました。
普段の状態の時は、大陰唇の縁がくっ付き合って足を開かせても小陰唇を内包しているのですが、
汗や愛液で水分過多になった時は、大陰唇の縁のくっ付きが無くなり、
軽く足を開かせただけで小陰唇の襞先が覗くようになっていました。
小陰唇のサイズは長さ3cm、最大幅1cm程度だったと思います。
大陰唇は大汗や愛液で濡れた状態なら開脚させると無防備に開くようになりましたが、
小陰唇は水分過多状態でも2枚がくっ付き合って合わさり、まるで1枚のようにまとまっていました。
小陰唇の幅が小さいので、一旦開いても大陰唇側に寄ったままにならないんですよね。
開いて性器粘膜を露出させても、放置して眺めていると徐々に元に戻って合わさってしまう。
小陰唇の機能の一つは粘膜保護と言われていますが、充分に機能は果たしていたようです。
まぁ、中(粘膜)が濡れていれば指や陰茎先を会陰近くに充てがって粘膜側に滑らせるだけで
小陰唇が開いて性器粘膜を弄れましたけどね。
陰核包皮先端と小陰唇の襞先は、共に僅かながら色付きが始まっていましたが、
下腹部の肌の白さの中で解る程度なので、気になるほどでは有りません。
むしろ同じ色調より男の目を惹く色合い。
妹の手や首(日焼けしやすい部位)に比べれば、充分美肌に見える程度です。
俺の主観で皆が解るもので例えると、あずきバーの色が薄い所に似た色。
成長に伴う陰核包皮先と小陰唇の端の独特の表皮の縮れも、間近で見ると解る程度に
有りましたが気になるほどでは有りません。
縮れと言うより表皮の皺と認識出来る程度。
⑥性感
次に、この頃の妹の性感の成熟度を書いておきたいと思います。
妹は、性行為で濡れ始めるのが結構早かったと思います。
キスの後に膨らみ始めの胸を愛撫しながら妹の性器に手を伸ばしてまさぐると、
俺の指を直ぐに性器粘膜まで受け入れるくらい早かった。
成熟した大人の女に比べると、妹の愛液はサラサラしていた気がします(つまり粘度が少ない)
そのせいなのか解りませんが、妹は濡れるのが早い割に、性急に挿入しようとすると、
嫌がって挿入を拒みました。
性急な挿入を受け入れると結構な苦痛が有ったようです。
たぶん苦痛無く挿入可能なまで膣口周りが緩むのに、ある程度(20~30分程度)の
時間(前戯)が必要だったんだと思います。
まぁ、その辺は大人の女性も同じかと思いますが。
性感的には、1回目から2回目の膣内射精後から少し息を乱し始める程度、
たぶん、膣が受け入れた陰茎の大きさに慣れ、愛液に俺の精液が混ざって潤滑度が上がり、
性感を感じ始めていたんだと思います。
この頃の妹との性交は、抜かずに4~5回の膣内射精が多かったのですが、それだけの時間
性交し続けても、妹にはまだ“性感が昂まる”といった感じは有りませんでした。
⑦性行為関連
後戯に関して少し言及しておきます。
後戯は妹がどうこうという意味合いは全く無く、完全に俺が楽しむためでしたね。
行為の余韻に浸ると言うよりは、尽きない妹の体への欲望を満たすといった感じ。
普通の女性相手なら「しつこ過ぎる」と嫌われるパターン、今の俺が思い返すと、
妹も早く解放されたがっていたんじゃないかと思います。
怒らず拒みもしないで受け入れていたのは、俺との性行為で「そういうものだ」と思っていたのか、
男としての俺の欲望を女として全て受け入れようとしていたのか、それは解りません。
具体的には、陰茎が萎えて妹の膣から抜けた後は、行為への礼や労わりの言葉をかけながら、
ティッシュで俺が放出した精を拭って軽く後始末をしてから俺は台所へ。
湯で絞ったタオルを持って来て妹の体を拭った後は、胸を吸い弄ったり、性器を舐め上げたり、
後戯と言うより前戯の愛撫に近い行為を時間が許す限りしていました。
俺が中2の話の書き残しで解る通り、妹との性行為は機会が増えていました。
何しろTVを見るためとは言え、妹は俺の部屋に入り浸っていましたからね。
病気や体調不良、両親の動向等で性行為が出来無い日以外、毎日していたと言っても
過言では有りませんが、平日の性行為は愛撫までに留めていました。
その理由は2つ有ります。
まず1つは、我が家は旧来の日本家屋でしたから部屋の仕切りは障子戸かふすま戸で鍵が無い。
挿入に夢中になり両親襲来に気付かないと、いきなり部屋の戸を開けられる恐れが有ります。
そうなると、妹に挿入しているところをモロに見られます。
家族バレを怖がっていた妹が、両親の突然の襲来で膣痙攣なんて起こしたら最悪でしょう?
(雑誌などで膣痙攣の知識は有りました)
病院送りになれば家族バレどころか世間に兄妹相姦がバレる。
兄心としては、妹が世間に後ろ指を刺される事態は避けたかった(建前)
それに妹に俺の子を孕ませて出産に立ち会おうという俺の計画が瓦解する(本音)
2つ目は、邪魔をされる事無く妹への挿入行為を堪能したいと、俺がコダワっていたためです。
通常の性行為に飽きて来ていれば、多少の変化やスリルも必要でしょうが、この頃の俺はまだ〃
妹の女としての体を貪る事に夢中で、挿入行為中はそれに集中したかった。
以上の事から、妹の体を俺が満足できるまで貪るには、ある程度の時間が必要でした。
この頃の俺は、抜かずの膣内射精で、最低でも4回は射精しないと満足できませんでした。
そうなると挿入している時間だけでも2時間半は欲しかった。
愛撫や後戯や事後の入浴かシャワーの時間を考えると、3時間半でギリギリくらいです。
なので、挿入行為をする条件は、最低でも3時間半以上、確実に両親が留守になる事でした。
そのため、挿入行為は土日祝日や季節休業中の両親が確実に長時間居ない時に限定されます。
しかし休日は、両親が俺や妹に頼みたい農作業や用事が有る事も多いので、
休日の度に挿入行為の機会を得られる訳では有りません。
この頃の挿入行為の機会は月3~4日くらい、1日に2回以上の機会は得られませんでしたから、
挿入行為も月3~4回といったところです。
4時間を超えて2人きりになれる事は無かったので、最高射精回数は抜かずの5回止まりでした。
1回の機会で膣内射精4~5回なので、妹の膣内への射精数は月12~20回くらいでしょう。
そんな妹との挿入行為に一番適していたのは、やはり両親が副業に行く機会。
6時間以上も確実に妹と2人きりになれましたからね。
前年の夏以降に両親が副業に行っていた期間ですが、俺が中2の年は12月から2月まで。
中3になってからは、ゴールデンウィーク前後の1ヶ月ほどと、7月と8月です。
この年の8月で両親は副業を辞めました。
会社と家の農業と副業という3足のわらじ状態だった父は、結構大変だったようですし、
祖母の退院が決まって、必要以上の収入は要らなくなったから。
※この頃の俺は、家の詳しい経済状況を知りませんでしたが、後に母に聞いた話によると
祖母の入院費分の医療控除が無いと税金が増えてしまい、副業をする意味が無かったようです。
長くなりましたが、本筋に繋がる話を出せましたので、前置きを終わらせたいと思います。
次章からが俺が中3の頃の話の本筋になります。
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