△俺が中2の頃の書き残し
あまりエロ気が無い話なので中2の話を書いていた時点では省いたのですが、
やはり書かないと繋がらないので、書き残しを書こうかと思います
書き残した話は全部で3項目だけなので、少しお付き合い下さい。
☆その1 TVについて
俺が中学時代は、ちょうどアイドル全盛期でした。
確認のためにWikipediaのアイドルの項を見てみたが、松田聖子や小泉今日子や中森明奈の
活躍がアイドル全盛期のキッカケと書いてある。
松田聖子がデビューした1980年の時に俺は小5、小泉今日子や中森明奈がデビューした
1982年の時に俺は中1でしたから、中2の頃は完全にアイドル全盛期に入っていた事になり、
俺の記憶とも合っているので間違いない。
中学当時の俺はアイドル自体に全く興味が無かったので詳しくは解りませんけどね。
俺がアイドルに興味を持ったのは高校に上がってからでしたから。
男の場合は他に話題が有りますし、流行を追わなくても友達付き合いには困りませんでしたからね。
これが女子の場合、流行の話題に乗れないと友達付き合いに関わります。
俺の耳の入って来ていたクラスメイトの女子の話には、やはりアイドルの話が多かったし。
そんな話の情報源のほとんどは、前日の歌番組やアイドルが出ているバラエティの話、
つまりTVを情報源にした話題でした。
当時は今ほど多様な情報源は有りませんでしたからね。
日々の学校生活での話題は、皆が共通して見ているTV番組の話題が多くなるのは当然です。
小中学生の、特に女子にとって、友達との話題には不可欠だったと言えます。
うちの妹も友達の話題作りの為か、かなりのTVっ子でした。
俺が中2の1学期、TVっ子の妹が家庭内TV難民になる事態が起きました。
キッカケは父が営業から資材課へ移動したからです。
営業に居た頃の父は毎日のように帰宅が遅かったのですが、資材課へ移動した父は18時前には
帰宅するようになり、夕食と入浴の後に居間でTVを見るようになったんです。
父と妹の見たいTVが同じなら問題にはならなかったのですが、父と妹の見たがる番組は全く違い、
妹が見たがるアイドル系の歌番組やバラエティ番組は、父が「くだらん」と言って毛嫌いする番組。
現在なら「自分の部屋にTVが有るんだから部屋で見てよ!」と言われそうな状況ですが、
まだ家長の威厳が尊ばれていた時代で、我が家でも父の意向は優先されていましたから、
父が居間でTVを見始めれば、家族の誰も文句は言えません。
この頃の家のTVは以下の3台。
(インチ数はうろ覚えなので1~2インチ違うかもしれません)
①居間に有る32インチのステレオカラーTV
居間のTVだけは、妹が唯一気軽に見られるTVでした。
家族の団欒の部屋という事もあって、父も自分の部屋ほど使い方を煩くは言わなかったし、
(あまりに酷い使い方をすると、さすがに説教されましたけど)
俺や母は妹に甘くて、TVチャンネルを妹の自由に選ばせていましたからね。
②父の部屋の25インチのステレオカラーTV
父の部屋なので許可なく使えない上、TVを見るなどの娯楽系の頼み事を父にすると、
成績や生活の事など説教をされるので許可を貰いづらい。
③祖母の部屋の16インチのモノラル白黒TV
祖母に頼めば簡単に見られるのですが、白黒TVなので妹には不評でした。
女子はアイドルの服の色まで話題になりますからね。
唯一気軽に見られる居間のTVを父の取られた妹には2つの選択肢しか有りません。
カラーTV見たさに父の説教覚悟で許可を取るか、祖母の部屋の白黒TVで我慢するかです。
妹は父の許可を取ろうと奮闘していましたが、父の説教は機嫌次第の所が有ったので、
酷く説教をされて泣く泣く祖母の部屋の白黒TVを見る事が多かった気がします。
そんな状況が変わったのは、俺が中2の冬休み中の事です。
父が自分の部屋のTVを1サイズ大きいのに新調する事になりました。
新年の初売りで手頃な値段のTVが有ったので新調したようです。
中古TVを売り買いするという概念が無く、処分するには結構な処分代がかかった時代、
俺は父を説得して、古いTVを自分の部屋に貰う事になりました。
この事に一番喜んだのはTV難民になっていた妹です。
俺の部屋は、妹の出入りや物の使用を自由にさせていましたからね。
妹にとって都合が悪いのは、俺に性行為を迫られやすい事くらいでしょうか?
それでも妹はTV見たさに俺の部屋に入り浸るようになっていきました。
当然、妹に性行為をする機会が格段に増えましたが、挿入行為までする事は無かったです。
両親が在宅していると危険ですからね。
まぁ、愛撫だけでも毎夜していた自慰の新鮮なオカズにはなりましたけどね。
☆その2 妹の部屋
俺が中2の2月頃から、妹に自分の部屋を持たせようかという話が本格的になってきました。
修学旅行前に母が心配していた妹の幼い癖(?)の事を覚えていますか?
「不安が有ると母の胸を触ったり吸ったりしないと寝付けない」という癖です。
あの癖は、小学校の卒業近くまで続いていました。
妹が中学に上がるのを期に、文字通りの乳離れを促そうという事になったんです。
妹の部屋問題は、最終的に妹に自室を与えて様子を見る事になり、我慢できない時には
母の布団に潜り込んで寝ても良いという案に落ち着きなした。
妹が貰った部屋は、2階へ上がる階段の入り口から一番近い5畳間です。
妹は自分の部屋に移った当初、我慢ができずに母の布団に数回潜り込んだようですが、
1ヶ月も過ぎると独りで寝るのに慣れたようで、母の布団に潜り込む事は無くなりました。
そんな妹の動向を、なぜ俺が知り得たかと言うと、妹が自室として貰った部屋は、
ふすま戸1枚(※1組?)で俺の部屋と行き来できる隣の部屋だったからです。
(※ふすま戸2枚1組の引き違い戸)
ふすま戸1枚隔てた部屋ですから、聞き耳を立てていれば妹の出入りの気配くらいは解るので、
長時間帰って来なければトイレじゃなくて母の部屋へ行ったと予想が付きますからね。
妹が自分の部屋を持った事で、性行為に都合が良くなった事が有ります。
部屋の行き来が楽に出来るようになった他に、性行為に使えるタイムリミットが伸びました。
妹が母と同室の時は、21時を過ぎると母が就寝を促しに俺の部屋に声をかけに来ました。
「妹ちゃ~ん、あした起きれなくなるよ~、そろそろ(2階に)上がって寝なさ~い」ってね。
なので、21時を目処に性行為を切り上げる必要が有ったんです。
妹が自分の部屋を持った事で、部屋に帰る時間を見咎める人は居なくなりましたから、
22~23時まで俺の部屋に妹を引き止められるようになりました。
あまり遅くまで部屋の明かりを点けていると、トイレに起きて来た両親が凸してきましたけど。
妹の屋内引越しは俺が中2終わりの春休み中でした。
妹は俺の部屋の隣という事を特に嫌がってはいない様で、嬉しそうに引越しをしていた。
俺も家具の運び入れや設置を手伝い、それとなく家具のレイアウトに口を出しました。
ふすまを家具で塞がれないようにね。
妹には俺の意図が解ったようでしたが、特に嫌な顔をする事も無く俺の意見を聞いていた。
母も手伝っていましたから、他の理由をこじ付けて口を出すのに苦労しましたけど。
「そこだと机の上が暗くなる」とか言ってね。
母からは「中学生になる妹を子供扱いして色々口出すもんじゃない」と怒られましたけど。
(性的には充分に大人扱いをしていたんですがね)
母には“年頃の女の子の部屋なんだから、勝手に入るんじゃないよ”とも言われましたが。
俺はちゃんと「妹ちゃん居る~?」って声かけて入っていました。
妹が居ない時でも「妹ちゃん居ないの~?」って、部屋に入って行って、
「妹ちゃん、本当に居ない~?」ってタンス開けて下着チェックしたりね。
妹の部屋での性行為は、妹が嫌がってNGでしたが、俺の部屋に連れ込めば済む話だし、
も~んだ~い(*゚▽゚*)無いさ~♪(当時このフレーズは有りませんけど)
☆その3 家電の充実
晩秋に風呂に灯油ボイラーが設置されました。(これまで灯油ボイラーは台所だけでした)
薪窯と併用で風呂が沸かせて、浴室内の設定盤で湯温と時間が設定出来る機種。
(ボイラーは外置きで、水張りは手動、○時間後に湯温○度と設定するタイプ、)
洗い場の蛇口も、水とお湯とシャワーが切り替えで使える蛇口になった。
薪で沸かすより湯が硬い気はしましたが、薪で沸かす時間が惜しい時は便利、
薪の燃え具合を何回も見に行って薪を追加しなくて良いし、追い焚きも簡単。
時間を設定すれば勝手に沸くし、面倒なら風呂を沸かさずシャワーで済ます事も出来る。
中3に上がってからですが、電子レンジや全自動洗濯機も買いました。
書き残しは以上、一旦区切ります。
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