難しい章になり、話を書きにくくて時間がかかっています。
長くお待ち頂くのも心苦しいので、区切りの良い所で上げていきます。
●俺が中2の頃の話①(1学期)
△また非エロの話から始まります。
この年度の始まりは事件が幾つか起きて、連鎖的に家族の生活が影響を受けました。
俺と妹の行為にも関連する事なので、細かい事は省いて、なるべく短く書きます。
父が4月頭に自家用乗用車を飲酒運転して自損事故を起こしました。
電柱に突っ込んだ車は廃車になりましたが、幸い父は軽い怪我で済み、損害賠償や治療費なども
大した金額では無かったのですが、警察に介入されて父は免許を取り消されました。
車移動必須の営業職だった父は、基本給が安く残業も無い資材課に移動になり給料が激減しましたが、
家屋敷の維持が出来る程度の農業収入が有りましたし、米と季節の野菜は家で収穫した分で賄えたので、
父の給料が下がっても贅沢しなければ充分暮らして行けたようです。
長くなるので理由は省きますが、父は免許の再取得をせず、免許の無い母に免許を取らせる事になり、
どこへ行くにも母に送り迎えをさせるようになりました。
母は5月の終わりには軽トラを乗り回していましたから、最短に近い期間で免許を取得したと思います。
父の事故と母の免許取得で慌ただしくなっている中、もう一つの事件が家庭内で進行中でした。
家族は慌ただしさが一段落した田植えの後まで気付かなかったのですが、自室に篭りっぱなしだった
祖母が「早く死にたい」などと言うようになっていました。
主治医に診てもらったところ、祖母は欝になっていたらしく、自宅療養では好転しないだろうと
精神科への入院を勧められ、6月から入院する事になりました。
収入が厳しい時に祖母の入院費がかかる事になり、父は副業を探し始めました。
俺の家が有ったのは県内スキー場への通過都市だったので、観光業に繁忙期の雇用が有りました。
場所は家から車で15分ほどの大型ドライブイン、駐車場での観光バス誘導の仕事でした。
国内で開催された冬季オリンピックからスキーブームが始まっていた時代です。
スキー場は四季を通して観光客に来てもらおうと、スキーシーズン以外も高原観光に来てもらおうと
売り込みを始め、春や夏の高原観光でスキー場に行く観光客も増えていました。
高速が未発達の時代でしたので、旅行の行き帰りは夜行バス利用が多く、ドライブインは
途中休憩地として盛っていました。
雇用期間は4~5月・7~8月・12月~3月の繁忙期のみなので、他の月は休める上、
時給が高額だったので繁忙期のみでも、かなり稼げる仕事だったようです。
勤務は週1平日休み、勤務時間は基本夕方6時から深夜0時でしたが、忙しくなる週末と祝日前は
希望残業も出来たので、深夜2~3時までの勤務もできたようです。
4~5月の募集は締め切られていたので、父の雇用は7月からになりました。
そして、父とほぼ同じ勤務時間の仕事が有ったので、送り迎えついでに母もアルバイトを始めました。
母の勤務は観光バスのドライバーや添乗員の食事作りと給仕だったそうです。
高校時代に俺もドライブインでバイトしましたが、時給が通常のバイトより高額でした。
高校生のバイトの時給は700円前後が普通でしたが、俺がやったドライブインの食堂ホールの時給は、
1回目の夏休みの時が980円、2回目の冬休みの時は1050円と破格の時給でした。
バイト中にホールの社員に聞いたところによると、駐車場係の時給は、もっと高額でした。
夕方6時から夜9時まで1600円、夜9時から1900円、夜0時~朝3時まで2100円だそうです。
夜9時以降が特に高額になるのは、夜行バスのラッシュ時間だからだそうです。
○1学期の性行為状況ほか(夏休み前までは微エロです)
夏休みまでは妹と性行為が出来る機会や時間が少なかったです。
理由は長くなるので細かく書きませんが、6月までは上記のゴタゴタや両親が副業に出る前の準備で
機会と時間が少なく、7月からは学校と家業の手伝いで俺が欲情する余力が無かったからです。
平日の俺は、夕飯食って風呂に入ると性欲より眠気が勝るようになっていました。
それでも全く行為をしなかった訳では無く、土日には機会と時間が取れて、俺も欲情出来る時も
有りましたが、そんな時に限って短時間しか取れずに愛撫しか出来無い事が多かった。
そんな時は就寝前の自慰で欲求を解消しようとしましたが、妹の膣への挿入とは比べ物になりません。
十分に欲求を解消出来無い夜は、ムラムラして寝付けない事も多く、寝付けるまで断続的に何回も
自慰をする時も有り、結局眠れずに明け方まで自慰をしていた事も有りました。
明け方までとなると、少なくとも6~7回はしていたんじゃないかと思います。
1学期は妹の膣に全く挿入出来なかった訳では有りません、月1~2回でしたが挿入していました。
時間的に1機会に1回しか出来ませんでしたけど。
挿入行為が少なかった事も有って、性交の状況は春休みのから全く進展していませんでした。
進展が見られたのは、俺の精力が絶倫になって来た事くらいでしょうか?
妹の膣内の性感に慣れてきた事も有って、妹との挿入行為でも1回の射精では賢者モードにならず、
時間さえ有れば、そのまま2回目が出来そうな余裕を感じ始めていました。
夏休み前は2回目ができるほどの時間は取れませんでしたけど。
一方妹は、挿入を拒む事無く受け入れるようになりましたが、積極的にはなっていませんでした。
浅い挿入での肉体的苦痛は軽減したようでしたが、性感は感じていないようでしたし、深く挿入
しようとしたり、明確な抽送をしようとしたりすると酷く嫌がりましたから、抵抗せずに挿入を
受け入れるだけ、まだマシといった感じです。
挿入行為を受け入れる妹の表情や仕草には、戸惑いや不安や憂いといった感情が伺えました。
行為前の妹の表情や仕草は、俺の男としての性的劣情を強く刺激し、性的征服欲を駆り立て、
俺の精を膣内で感じさせた時の表情や仕草は、膨れ上がった俺の性的征服欲を満足させてくれました。
俺が知らなかった妹の幼癖を知ったのは7月の初めでした。
妹の小学校での修学旅行の日が迫り、妹は旅行の準備をしながら母と何やら話していたのですが、
俺は偶然に妹や母から死角の廊下を通り、妹と母の会話が聞こえました。
母は心配性で、俺の修学旅行の時はオネショの心配をしましたが、妹も心配されていました。
母「妹ちゃん、一人で2泊も大丈夫? 一人で寝なくちゃいけないのよ?」
妹「大丈夫だも~ん!」
母「妹ちゃんは、不安だとオッパイ吸いながらじゃないと寝られないでしょ?」
自分の胸が膨らんで来ている妹の思わぬ幼さは、俺の劣情を煽りました。
妹は自室に出来る部屋が有るのに欲しがらず、高学年になっても母と一緒に寝ていましたが、
不安な時には未だに母のオッパイを吸いながら寝付いているとは思わなかった。
妹が今の幼さを残すうちに、膣奥までの挿入や抽送といった本格的な性行為を受け入れさせたい。
俺はそんな劣情を煽られ欲望を膨らませました。
間近に迫った夏休みは、両親は居るが夕方から深夜まで留守という絶好の機会でした。
昨年の夏休みのように、俺一人で全ての農作業や家事をしなくて良いから余裕が有りそうだったし、
俺の求めを拒まなくなった妹と2人だけの時間が夕方から6時間以上取れる。
このあと夏休みの話になりますが、その前に、読み手の皆様が想像しやすいように、
この頃の俺と妹に関する情報を先に書いておきます。
読みながら自分の顔や体と比べたりすると、よりリアルに想像出来ると思いますので、
定規やメジャーが有る方は、読む時に御用意下さい、
△俺の体格ですが、成長は停滞しましたが、性徴は続いていました。
身長は170cm強(2~3mm程度)でしたが、肩幅が広く胸板厚くなり始め、体全体も筋肉質に、
腋毛や陰毛は、既に今と変わり無いくらいの密林になっていました。
陰茎は昨年夏から長さ太さ共に3mm程大きくなって長さ13.3cm、太さ3.4cm程に性徴。
2012年にTENGA社が調べた成人平均(長さ13.5cm・太さ3.5cm)に近い大きさです。
体付きは男としては、まだまだ華奢でしたが、少なくとも陰茎は成人並みと言っても良いと思います。
ちなみに、この頃の陰茎はまだ性徴途中で、最終的にTENGA社の平均よりは大きくなります。
今考えると、妹と性行為が出来なくなってから、陰茎の性徴が止まったような気もします。
俺の陰茎を育てたのは、妹との性行為(特に妹の膣内)なのかもしれません。
◎さて、妹ですが、おおよその成長(性徴)と体のサイズを書いておきます。
妹の成長・性徴は、俺と全く逆で、身長が伸び始め、性徴は停滞して見えました。
昨年夏には130cmほどだった身長は、1年で140cm近くまで伸びたと思いますが、
背の伸びの割にスタイルが変わりませんでした。
身長が伸びた分スリムになった訳ではないので、その分の性徴はしていたと思います。
特に腰や尻の性徴が、ちゃんと女性的な性徴をするのか疑問に思うほど感じられませんでした。
妹の腰幅は、相変わらず胸幅と同じ程度の幅しか無くて20cmくらい、
(腹側が20cmくらい、尻側はもう少し幅が有りました)
単純計算+αでも腰囲が70cm無かったと思います(成人平均腰囲は86.4cm)
当然尻たぶも小さく、男として小さい俺の手でも掴んで揉み回せる大きさでした。
俺の手は現在でも、指を広げて縦横17cmしか有りませんので、掴んで揉み回せる妹の尻は、
片方の尻たぶが直径12cmは無かったと思います。
※今現在の俺の手のサイズ=手のひら10cm・中指の長さ7cm・指広げて縦横17cm
(手のサイズは成長のほぼ止まった中学の頃から成長していないと思います)
膨らみ途中の乳房にしても、俺の手の指部分だけで揉める程度の膨らみしか有りませんでした。
片乳の広さ4cm×高さ3cmほどでしょうか?(乳輪は直径2cm程、高さ1cm弱ほど)
いくらか膨らみは増しましたが、まだ丸みが少なく直線的な膨らみでした。
乳首は、ほとんど変化無しで、直径3mm・高さ1mm強、指で摘めず、歯に挟めない小ささ。
後年にワコール社のホームページの、乳房の性徴過程のページを見たのですが、
乳房は性徴過程で弾力を増して行き、思春期に生涯で一番弾力が固くなり、
徐々に柔らかくなり“大人の乳房”に変化するらしいのですが、
妹の乳房は、丸みを帯び始めるまで膨らみ始めのフニャフニャした柔らかさを保っていた気がします。
俺が性行為の度に手や口で揉み込んで解していたせいかもしれませんけど。
妹の性器は、外観的な変化はさほど感じませんでしたが、この頃にサイズ的な変化に気付きました。
最初の頃は俺の陰茎に陰裂を押し広げる感覚が強く有ったのですが、この頃の陰茎挿入時には陰裂を
押し広げる感覚は、ほとんど無くなっていたので、たぶん膣前庭粘膜が以前より広がって来ていたと
思います。
俺の陰茎の太さから考えると4cm近くになっていたんでは?(昨年夏休みは3.5cmほどでした)
性徴したとも思えますが、性器の他の部分は性徴が実感できるほどの変化が無かったので、
もしかしたら俺の陰茎を受け入れ続けるうちに伸び広がったのかもしれません。
俺が中2の頃の話② へ続く
※元投稿はこちら >>