>>5 節度を保とうと努力はするものの楓の魅力に購えないと云った所でしょうか。
私は我慢弱く、そうでなければそもそも楓とこういう関係にはなってなかった辺りでご察し下さい。
さてこれから長くなると思いますが興味の無い方は読み飛ばすようお願い致します。
純文学と官能小説に関しては>>4の◆q3PmN88egMさんがどうお考えかは図りかねますが
私の見解としては、どちらも人を描くという点で等しい物だと言えると思います。
同じ状況でも内面描写に重きを置く作家や状況説明に重きを置く作家があり
また正しく全てを描写する作家も居れば敢えて隠し難解に言い回す作家も居ます。
官能を呼び起こすべき状況を描く際には文章文体とも淫靡を尽くす作家も居れば
敢えて淡々と書く事で異常性を増す手法を使う作家も居ます。
ジャンルは分けられてもそこに差は無かったのです。
純文学にも淫靡さを醸しださなければ伝わらないものがあり、
官能小説とて人物の葛藤が無ければ活きない物語があります。
ただどちらも必須ではない。
故に必ず淫靡さを感じさせるシーンが御座いますよという看板として
官能小説というジャンルがあったのだと私は理解しています。
それが近年、いわゆるラノベのエロ版とも言うべき美少女系官能小説が台頭し始め
それが売り上げを伸ばすと様相が一変しました。
エロに特化した内容は非常にお手軽に情欲を呼び覚ます事が出来るよう
それのみに絞って書かれています。
それまでの官能小説にとってライバルであり友人でもあった純文学ではなく
成人指定ゲームと漫画がライバルであり敵なのですから、視覚に訴えるそれや
聴覚にすら作用するそれらに対抗する必要性があったのです。
それはかつて宇能鴻一郎氏が行った女性の口語による文体をさらに簡略化させたもので
記号化の進んだものとなって行ったのです。
その乖離がいつから始まったかと問われれば先に挙げた宇能鴻一郎氏の頃からかも知れませんが
その地盤が出来たのは、そう遠くない過去だと感じます。
故に氏も夢十夜で純文学へと回帰したのかも知れません。
他には団鬼六氏の書く内面の責め描写なども純文学の苦悩描写と通じる物があると思います。
反対に蘭光生(式貴士)氏などはドライな描写が多いと思わせながら官能小説でないSFなどで
敢えて淫靡さを追求するなどの試みを行っており作家の業を感じずには居られません。
長々と書き連ねましたが純文学と官能小説にそれほどの差があるとは思っていません。
ただ、それまでの官能小説ではない純文学と乖離した新種が現れ、WEB小説などではそちらが主流であるのが現状
と私は考えている次第ですと締め括らせて頂きます。
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