最初の生徒との事を書きます。
余り詳しく書くと、まずい事もあるので、少しぼかしながらですが、許して下さい。
あの頃は、私は年上好みでしたし、結婚して間もない時でもあったので、一回りも年下で、まして自分の生徒など、男と意識していませんでした。
身体ばかり大きくなった子供だと。
だから、男子生徒達が私の事をどう見てるか、どう意識してるかなんて考えた事もありませんでした。
女だてらに数学を教えていると、周囲からのイメージは、きつくてツンツンした女だと見えるらしく、私もそんな態度をするようにしていました。
自分がMだとは気付かずに。
しかし、その頃から、そういう傾向があったと今から考えれば、思い至ります。
年上好みだというのも、男性にリードされたい気持ちの現れでもありましたから。
そんな時に一人の生徒の進路指導をしていました。
成績は、中の下で、とりあえず満足できる学校に合格するには、多分に努力と工夫とやる気が必要で、私は担任クラスの全員を合格(又は就職)させるのに必死でした。
そういう意味では、一番気にかかるレベルなんです。
下なら下で就職したり、下のレベルの学校を受けますから。
学内の相談室での進路指導だけでは足りずに、生徒の自宅に行き、受験勉強の指導もしていました。
ある日、夏休み中でしたが、生徒の家に指導に行った時、共働きのご両親は留守でした。
生徒と二人きりでしたが、私はそんな意識はなく、教師として指導していましたが、思春期の男の子の性的な好奇心の強さを思い知らされる事になりました。
夏ですから、私も薄着です。
学校ではないから、カジュアルな私服でした。
決して露出的だとは思いませんでしたが、誰もいない生徒の部屋で、二人きりとなれば、性的好奇心旺盛な男の子にとっては十分過ぎる程だったのでしょう。
私がトイレを借りて、部屋に戻った瞬間に、背後から襲い掛かられ、ノースリーブのワンピースを肩から一気に引き降ろされ、ブラをずらされて、乳房を剥き出しにされてしまいました。
ベットに押し倒されて乳房を揉みくちゃにされ、抵抗しようとした私を組み敷きました。
私の右手は彼の身体の下に入り、動かす事が出来ず、彼の右手が私の首の下を通り、私の左手首を掴みました。
両手を封じられ、剥き出しのまま無防備な乳房を弄ばれました。
体育会系の彼の力には私の力では抵抗出来ず、さりとて大声を上げて助けを求めるのも憚られました。
自分の生徒に襲われるなんて、自分の油断だし、スキャンダルも困ります。
そんな私の逡巡を感じ取ったのか、腿に絡まっていたワンピースを足で抜き去り、散々弄んで気がすんだ乳房から、狙いを股間に移し、下着の中に手を入れて来て、足を股の間に、固持入れてきて、性器の中に指を入れられてしまいました。
時間はまだ午前中。
両親が帰るまでには、気が遠くなる程の時間があります。
私の抵抗する気力は切れかかっていました。
ビクともしない生徒のたくましい身体。
何のてらいもなく私の身体を求め続ける強い意思と、貪欲な欲望。
私は、初めて、生徒に男を感じました。
そして、下着を一気に引き降ろされて、全裸にされた時には、私には抵抗する気力も体力も残ってなく、のしかかってくる生徒の身体に押し潰され、不本意ながらに濡れてしまった性器に押し込まれる生徒の肉棒に、身体をのけ反らせ、激しいまでに突き動かされて、私は生徒に犯されました。
私の中に射精しても、生徒の凌辱は終わらずに、果てしがないかと思う精力で私を犯し続けて、頭が真っ白になった私は、最後の理性と気力とプライドまで失い、生徒の凌辱に我を忘れて絶頂に達してしまいました。
まだ新婚と言って言い過ぎでない主人とのセックスでも、絶頂に達する事など、余りないのに、まだ童貞である年下の子供にイカされてしまい、それが事もあろうに自分の生徒である事に、私は屈服させられてしまったんです。
延々5時間以上も犯されて、生徒の物を口に含まされた時に、私は生徒に征服され、屈服させられてしまいました。
その後は、受験勉強を死に物狂いでやるとの、教師としての最低限の体面を保った上で、生徒から犯される関係を続けるしかありませんでした。
幸い、生徒は合格し、両親にも怪しまれる事なく感謝され、生徒の卒業と共に、(卒業後の単発的な関係は何度かありましたが)関係は終わりましたが、その時には私の性癖を変えられていて、別の生徒との関係まで出来てしまっていて、以後生徒達との関係に切れ間がなく今日に至ります。
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