空色の封筒と一緒に空き缶の中に入っていた一枚の絵ハガキを頼りに、僕はなんの計画も持たずに週末の夜行高速バスに乗った。
絵ハガキは引っ越して間もなく、キムラさんから送られてきたもので、裏には阿蘇の雄大な景色が印刷された、よく土産物屋などで売られているような観光絵ハガキだった。
表にはただ、住所と名前だけが書かれていて、なんの一言もなかった。
今になって見返せば、それが会いたいというメッセージなのだと気付くことができる。
だが、子供のころの僕にはそれが分からなかった。
なんの書き込みもないハガキはただの引越の案内にしか受け取れなかったのだ。と思う。
別れてすぐの頃は、僕も会いたく思うこともあったが、九州はあまりにも遠いところだった。
今は九州新幹線も開通し、随分と便利になったが、土日を有効に利用しようとすると、大阪からは夜行の高速バスになる。
キムラさんには久しぶりに逢うことになるかもしれないと、きちんとスーツを着てきたが、もうちょっとカジュアルな格好でもよかったかと思う。
まあ、財布や携帯などの身の回りのものを上着のポケットに突っ込んだだけの手ぶらスタイルは、身軽と言えば身軽だったが。
僕は、バスの振動にまどろみながら、「なぜ今さらキムラさんに会いに行くんだろう」「この旅行の目的は何なんだろうか」という自問を繰り返していたが、『結婚』や『SEX』、『謝罪』『思い出』といった単語がポロポロと出てくるだけで、はっきりとした答えのないままにいつの間にか眠ってしまっていた。
僕は、秋葉原のアイドルショップのイベント通いにも、高速バスを使う。
目当てのジュニアアイドルのイベントがある時は、必ず出かけることにしているからだ。
きょうも、高速バスを降りて秋葉原に着いたのは、まだ朝の7時過ぎだった。
時間潰しと朝食を兼ねて、いつも利用している軽食サービス付きのネットカフェに入った。
フロントでシャワーの予約をしてから仮眠も取れる広めの個室ブースに行くと、隣のブースの扉が開いて、女の子が手を振っている。
えっ?と思い、よく見ると、きょう、イベントのあるジュニアアイドルのりなちゃんだった。
「ヤスオカくん、こっち、こっち」
驚いたが、呼ばれるままに、りなちゃんの個室に入る。
いつもイベントで見るりなちゃんよりも、ずっとナチュラルな可愛さだった。
狭い個室に二人で入ると、くっつかないわけにはいかない。
前髪をきれいにつくった、サラサラヘア。
愛らしい二重に縁取られた瞳は、ネカフェのスポット照明できらきら光って見える。
ふっくらとした張りのある頬は、まだ中学一年生というほのかな幼さを誇らしげに示しているようだ。
「りなちゃん……」
僕もまるで中学生に戻ったようにドキドキしていた。
「ヤスオカくん、いっつも来てくれてありがとうな」
何度も大阪から訪ねて来る僕をりなちゃんは覚えてくれている。
傍にいるだけで、もうチンコがギンギンだ。
りなちゃんがリクライニングシートを完全に倒して、横になった。
「ヤスオカくん、わたし、ヤスオカくんのことずっと好きやってん」
りなちゃんが目の前でお尻を捻って、すっとパンツを脱いだ。
短いフレアスカートの奥に、青く幼い肌が…… ぼやけてよく見えない。
りなちゃんの突然の告白と大胆な行動に目眩がしそうだ。
僕も急いでズボンとパンツを脱いで、りなちゃんにしがみついた。
りなちゃんの割れ目をがむしゃらにチンコで突っつく。
先端に、ヌルッとした感触があった。
りなちゃんが僕の背中に両手を廻して、耳元で囁いた。
「ヤスオカくん、一緒になろ」
――『一緒になろ』――
全身に電気が走ったような衝撃で、僕は頭の中が真っ白になった。
「キムラさん!」
ハッとして目を開けると、僕は高速バスのシートで荒い息を吐いていた。
慣れないバスでの睡眠のせいか、普段とは違う夢を見たようだ。
慌てて股間を確認したが、漏らしてはいないようだった。
何か叫んでしまった気がするが、周りを見回すと、幸いみんな寝ているかヘッドフォンをしているようだった。
時計を見ると、この時間なら、まだ広島あたりの山陽道だろう。
もう一度深呼吸して、シートに体を沈めたが、チンコの先に妙にリアルな感触が残っている気がして、目が冴えてしまった。
小学校二年生のデビューから応援しているりなちゃん。
何度も何度も夢に見るりなちゃん。
横浜っ子のりなちゃんが、なぜか夢の中では流暢な大阪弁を操る。
いつもは公園で遊んだり、一緒にプールへ行ったり、普通のデートの夢ばかりなのに、今回はとんでもないことをしでかしてしまった。
くそっ! 夢の中でりなちゃんが脱いだパンツは空色だった。
「キムラさんか……」
僕が、ずっと小中学生の女子にしか興味を持てない理由が分かったような気がする。
僕の時間はきっとあのときから止まっているんだ。
若い頃の恋愛の失敗(勃たなかった)も、それが原因かもしれない。
まずは、キムラさんに会えば。とにかく、キムラさんに会わなければ。
キムラさんの住所に一番近い高速バスの降り場からJRの在来線とローカル鉄道を乗り継いで、最寄りの駅に着いたのは、昼をとっくにまわった頃だった。
僕は、駅前にたまたま居合わせたかのような一台きりのタクシーに飛び乗った。
ハガキにあった住所を告げると、15分ほどであっけなく彼女の家の前に着いた。
まあ、田舎の15分はかなりの料金だったのだが。
古い集落の民家という言葉が似合う家だ。
田舎暮らしに憧れるならぴったりだと思う。
広いだけの土地に平屋の家で、周辺は畑と田圃だ。
この家も農業に精を出しているのだろうか。
偵察がてら、家の周りを一巡りして、正面に戻った。
玄関のガラス戸の横に、小さなチャイムボタンがある。
念のために探すと、玄関の上に古い表札があり、掠れた文字で松田と書かれていた。
今は他の人が住んでいるのか、あるいは結婚して苗字が変わったのかもしれない。
躊躇われたが、ここまで来て恥を掻くぐらいどうってことはない。
先程、家の回りを覗いて、キムラさんがここにいるという、うっすらとした確信めいたものはあった。
庭に停めてある車が、空色のラパンだった。
僕は、チャイムのボタンを押した。
家の奥の方で「ピンポーン」と小さく聞こえる。
少し間があって、女性の声で「はーい」と返事があった。
パタパタと板の間をスリッパで走る音がする。
玄関が開いて、顔を出したのはキムラさんに間違いなかった。
「はい」
チャコールグレーのジャージにスッピンで髪は手で撫で付けただけのようにボサボサ。
ただの太った田舎のおばさんだが、上を向いた鼻とメタルフレームの眼鏡の奥の二重瞼は昔のままだった。
「あ」
キムラさんはこちらが名乗る前に驚いた顔で手で口元を押さえた。
「ごめん、ちょっと待ってて」
戸を開けっぱなしのまま、キムラさんは慌てて奥に戻っていった。
こちらがきっちりとしたスーツ姿なので誰かと勘違いしたのかもしれない。
声を掛けようかと思ったが、奥の騒ぎが聴こえてきた。
「おかあちゃーん、ヤスオカくん来た」
「えっ? 誰って?」
「ヤスオカくん、ヤスオカくん!」
「ええっ?!」
「どうしよ、どうしよ?」
「もう、そんな格好で。早よぉ着替えておいで」
「ああん! 明日、美容院行こう思てたとこやのにぃ……」
どうやら向こうも僕が誰か分かってるらしい。
そんなに僕の風体は中学から変わっていないのだろうか?
キムラさんとお母ちゃんは、終始怒鳴るように喋りっぱなしだった。
もちろん僕に聞こえているとは思っていないようだったが、まるで着替えの実況中継みたいで、何となくこちらが赤面してしまった。
どうやら、お気に入りのブラの背中のところが破れていたらしい。
キムラさんの名誉のために、聞かなかったことにしよう。
随分時間はかかったが、おかげで退屈することはなかった。
次に出てきたときは、こざっぱりしたOL風のおばさんになっていた。
「お待たせ」
言葉の後ろにハートマークの絵文字を付けたような可愛くつくった声で、少しはにかみながら、右手の中指でサラサラの髪を耳に掛けた。
少女のような仕草だった。
「久しぶり」
ようやく声を掛けたら、キムラさんは一瞬固まった後、突然しゃがみこんで大声で泣き出してしまった。
でも、近所の家は離れていて、回りに人が来ることはなく、僕が責められることはなかった。
家の奥ではお母ちゃんが、心配そうにこちらを伺っていた。
「ごめん、なんか…… 気にせんといてね」
しばらくして立ち上がったキムラさんが、まだ涙の拭き残しがある顔で微笑む。
「ちょっと、挨拶してく?」
キムラさんが、ちらっと家の奥に目をやった。
「ああ」
僕は、玄関から上がるものだと思っていたが、庭の方に回って、中庭に面した広間の縁側に案内された。
ドラマに出てくるような家だ。
勧められるままに縁側に腰掛けると、キムラさんが隣に座った。
タイミングを計ったようにお母ちゃんが奥から茶器を乗せた盆を持って出てきた。
年齢は80前ぐらいだろう。
見た目は農家のお婆ちゃんそのものだ。
小さく痩せた姿が枯れ木を思い出させる。
お母ちゃんが縁側に膝を突いて、盆を置くのを見計らって、僕は立ち上がった。
「初めまして、ヤスオカです」
こういう場合は、キムラさんが紹介してくれるものなのだが、余りの緊張感で待ちきれなかった。
こんなちゃんとしたお辞儀は久しぶりだった。
僕の緊張を感じて、お母ちゃんは微笑みながら三つ指を突いた。
「コトミがいつもお世話になってます」
お世話も何も、約35年ぶりだ。
暑い、汗が噴き出す。
次の行動に悩んでいると、キムラさんが声をかけてくれた。
「ヤスオカくん座って座って」
どうも、こういった挨拶は苦手だ。
よくよく考えれば、何の手土産もない。
だが、僕が何かを言う必要はまったくなかった。
二人は僕の予定など気にする風もなく、お茶を啜りながら、きょう、これからのスケジュールを決めていった。
二人の会話によると、まず、これから観光などを兼ねて外出し、地元の名勝の鍾乳洞がある方面へ出掛ける。
そちらの方面なら、その鍾乳洞に行ってみてもいいし、他にゆっくりできる場所もあるらしい。
その後夕方6時に帰宅し、家で夕食を摂り、そのまま宿泊する予定だ。
なんの計画もなかった僕にとって、なんの不服もなかったが、家に泊まるまでしていいのだろうか。
僕は、ひょっとして今夜の寝床はキムラさんと枕を並べるのだろうかと、想像を膨らましていた。
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