※今回は『ありません』のでご注意ください。
※繋ぎの内容なので、読み飛ばして頂いてもいいです。
ママさんの口からは僕たちを叱るような言葉はありませんでした。
近頃、ケーコちゃんの様子が変わったので、気になってたんだそうです。
それで、部屋を覗いたらしい。
当時は子供のプライバシーなんてなかったし。
ママさんから、一時間ぐらい、いろんな話を聞かされました。
子供同士が「付き合う」っていうこととか。
僕たちがやったことの意味とか。
ママさんは自分に責任があると、途中から泣いてしまってました。
「ママ、二人がお付き合いしちゃダメって言ってるんじゃないからね。好き同士やったら、一緒にいたいと思うの分かるし、楽しいと思うの。でも、まだ、小学生なんやから、そういう二人っきりの関係じゃなくて、いろんなお友だちとも一緒にお付き合いしてみないと……」
グループ交際とかいうんでしょう。
ケーコちゃんはずっとうつむき加減で黙って聞いています。
最初、ケーコちゃんが神妙に聞いてるんだと思っていたんですが、ケーコちゃんの視線の先がママさんの手元のノートにあることに気がつきました。
「これから、家で遊ぶときはお家の人がいるときにね。ママも気を付けるから。それから、デートのときも、二人っきりじゃなくて、お友だちとか、みんなと一緒に……」
「友だち、おらんもん」
ケーコちゃんがお母さんの言葉を遮りました。
「そやから、ユウくんとくっつけたかったんでしょ」
ケーコちゃんの言葉は結構きつい調子でした。
「そう、ママもケーコがあんまりお友だちと仲良くしてないみたいやったから。ユウくんとは幼馴染みやし、お似合いやと思ったんやけど」
ママさんがふっとため息をつきます。
「じゃあ、デートのときも、もう、こんなことしないって二人とも約束してくれる?」
ママさんがケーコちゃんと僕を交互に見ました。
僕はケーコちゃんの様子を横目で伺いました。
「デートなんかせえへんよ……」
ケーコちゃんが、ボソッと言いました。
「えっ?」
「本とかで見た、いろんなことやってみたかっただけやから。ユウくんとやったらこっそり出来るかなぁって思って。そやから、好きとかと違うし…… もう、ユウくんとは会えへん」
「ケーコ…… あんた」
ママさんはビックリしたみたいです。
「じゃあ、もう、お付き合いしないでいいの?」
ケーコちゃんが頷きます。
「ユウくんも?」
僕も頷きました。
仕方ないと思ったんです。
「じゃあ、とりあえず、きょうはもう帰りなさい」
ママさんに言われて、僕は席を立ちました。
家でもきっと怒られるんだろうと思うと気持ちがずっしりと重くなります。
玄関を出るとき、ケーコちゃんがパタパタと駆け寄ってきました。
「ゴメンね」
「ううん、ごめん。ほんとに、ごめん」
さっき、ママさんがパラパラとめくっていたノートの一番最後。
昨日のフェラチオ体験のページには、ケーコちゃんの見馴れた丸っこい字で、こう書かれているのが見えたんです。
『好きな人とだったら楽しいのかもしれない』
ケーコちゃんの心が離れてしまったのは、ママさんにバレたからじゃなくて、昨日の僕のせいだったんだと、途中の児童公園で暗くなるまで泣いていました。
次の日から、ケーコちゃんは元のように三つ編みメガネに戻りました。
少し伸びてきてた前髪もパッツンと切り揃えて、また、あんまり笑わなくなりました。
楽しいはずの夏休みも、僕はほとんどを家でごろごろと過ごして、プールも夜店も夏祭りも行きませんでした。
夏休みはケーコちゃんのスクール水着じゃない可愛い水着姿を楽しみにしていたのに残念です。
あれ以来、僕のお母さんとママさんは頻繁に電話で、僕とケーコちゃんの行動を連絡しあっているようでした。
家にいても監視されてるみたいで息苦しかったけど、出掛けようとすると、詳細に行き先や目的とか帰宅時間を聞いてくるのが煩わしいので、結局、自分の部屋で古い漫画ばかりを読んでいました。
ただ、よかったのは、僕たちの関係がお母さん同士だけのことで、お父さんたちや学校なんかにも知られることが無かったことでした。
8月31日
遅い朝御飯を食べていたら、電話が鳴って、お母さんが出ました。
きっとママさんからの朝の連絡です。
話の内容から、ケーコちゃんはきょうも朝から図書館へ行ってるらしい。
図書館にはクーラーがあるからだろうけど、ここんとこ毎日図書館通いしてるみたいで、またなにか調べ物してるんでしょうか。
僕は、夏休みの宿題の絵を描くのに、絵具が足りないのに気づいて、近くの文房具屋に出掛けました。
いつもは学校前の文房具屋で買うんですが、ふと駅前の大きな事務用品の店に行ってみることにしました。
ケーコちゃんが学用品を買うのがそのお店だと言ってたからでした。
駅前に差し掛かったとき、駅の切符売り場にケーコちゃんの姿を見かけました。
誰かを待ってる風に、壁にもたれて、なにか本を読んでいます。
久しぶりに見た横顔に、たまらず声をかけました。
「ケーコちゃん!」
ケーコちゃんは驚いたように顔をあげると、笑って手を振ってくれました。
「ユウくん!」
ダッシュで駆け寄りました。
「どっか行くの?」
おしゃれな服装に、旅行用の大きめのバッグを手にして、図書館じゃなくて家族でお出掛けとか思いました。
「ううん。家出」
ケーコちゃんが照れ臭そうに笑います。
「家出?」
驚いて声が変になりました。
「うん。どこ行こうかなぁ」
ケーコちゃんが切符売り場の路線図を見上げました。
「海は?」とっさにケーコちゃんと行きたかった場所が出ました。
「あっ。いいなぁ」
「一緒に行っていい?」
「うん! 行こう行こう!」
「じゃあ、和歌山?」
僕が路線図の駅名を指差しました。
「ユウくん、お金持ってるん?」
僕の財布の中身はわずかな小遣いと、絵の具代に貰った千円札です。
「あぁ。往復ぐらいは出来るかなぁ……」
「もう、なに言うてるん。家出やから、片道でいいねんで」
「あ、そっか!」
僕たちは和歌山までの切符を買って電車に飛び乗りました。
「わたしら、まるで駆け落ちやなぁ」
「そうやなぁ。なんかかっこエエなぁ」
しばらくすると、車窓から海が見えてきました。
「海や海や!」
二人でおおはしゃぎ。
和歌山に到着して、ケーコちゃんが駅のポスターを指差しました。
「なあ、あっこ行こう!」
それは、ここから近い、船で渡れるキャンプ場のある島の案内でした。
「あ~、でも、船乗るお金きびしいかなぁ」
「わたし、あるから。ほら」
ケーコちゃんが財布を開いて見せてくれました。
聖徳太子が四、五人並んでいます。
「すげっ!」
「だって、家出やもん。お年玉の貯金箱開けてきてん」
「でも、出してもらうの悪いしなぁ」
「なに言うてるん。これからは二人で暮らすんやから、お金は二人で使うんやで。わたしに任せなさい」
ケーコちゃんは笑って胸を反らせました。
「うん、ありがとう」
二人で暮らすって言葉にグッと来ました。
ケーコちゃんはスッゴく積極的です。
「でも、これってユウくんまるっきりヒモやんなぁ」
ケーコちゃんがクククッて笑いました。
「それ、ひどいわ!」
支線に乗り換えて、終点の港の駅から船着き場まで競走のように駆けました。
乗船場前の売店で、お弁当がわりのパンを買って――実際は買ってもらって、船に乗り込みます。
夏休みの最終日なので、思ったほど混んではいませんでした。
島で、僕たちは、何もいいことがなかった夏休みを取り戻すように、走って、笑って、おしゃべりをして、大声で歌を歌いました。
島内には戦争中の施設なんかも残っていて、なんか、廃墟を探検してるみたいで、そこには人気のないところが案外あったんだけど、全然“そういう気持ち”にはなりませんでした。
灯台を巡って、島の一番見晴らしのいい展望台で、僕たちは買ってきたパンをかじりました。
飲み物はテトラパックのコーヒー牛乳。
「なんか、給食みたいやね」
ケーコちゃんがパックにストローを突き刺しながら笑います。
「でも、むちゃくちゃ美味しいよ」
「ほんまや、コーヒー牛乳、生温いのに美味しいなぁ」
ケーコちゃんがストローをチュウと鳴らしました。
「やっぱり、こういうとこで食べると、美味しく感じるんやで、うん」
僕はちょっとカッコを付けて、マンダムみたいにあごを撫でました。
「ちゃうよ、ユウくんと一緒やから美味しいんやわ」
「ケーコちゃん……」
ケーコちゃんが微笑んで僕を見ています。
僕もケーコちゃんを見つめました。
なんか、よくわからないけど、ケーコちゃんの気持ちが伝わってくる気がして、僕はケーコちゃんに顔を寄せました。
ケーコちゃんが瞳の奥で頷いたように見えます。
それで、僕とケーコちゃんの唇が、そっと触れました。
ほんの数秒でしたが、僕の心臓は張り裂けそうなほど、ドキドキしてしまいました。
顔を離した後、二人ともなんか照れ臭くて、メロンパンにメロンが入ってないという、どうでもいいような話をしていました。
食べ終わって、ケーコちゃんが勢いよく立ち上がりました。
「わたし、この景色、絶対忘れへん!」
僕も立ち上がりました。
本当に、真っ青な海と空です。
「僕も、忘れへんよ!」
ケーコちゃんが微笑みました。
それから、僕たちはキャンプ場の海岸に向かいました。
水着を持っていない僕たちは、波打ち際で遊ぶくらいしかできませんでしたが、島での一日は夢のような時間でした。
「ユウくん、内緒の話な」
貝殻を拾いながら、ケーコちゃんが下を向いたまま呟くように話しました。
「なに?」
僕は顔をあげて、ケーコちゃんを見ました。
「あんな。わたし、このあいだ、大人になった……」
ケーコちゃんは下を向いたままです。
「えっ? なんて?」
よくわからなくて聞き返しました。
「わたし、大人になったの」
ちらっとだけこちらを見たケーコちゃんの顔は少し恥ずかしげにはにかんでいます。
「それって、どういうこと?!」
ケーコちゃんの言ってる意味が僕にはわかりませんでした。
「ううん、何でもない」
また、ケーコちゃんが首を振って、また貝拾いを始めました。
「ケーコちゃん?」
「何でもないって……」
そう言われて、僕は、ケーコちゃんをただ見つめるだけでした。
陽が傾いて、島内に最終便の到着を知らせる放送が流れました。
最終便が出ると、島は翌日までキャンプかバンガローに泊まる人だけになります。
ケーコちゃんが立ち上がって大きく伸びをしました。
「……帰ろっか……」
帰り道、僕たちは手を繋いでいました。
船の中も、港の駅までも、ずっと。
駅で、切符売り場の横の公衆電話にケーコちゃんが立ち止まりました。
ちょっと考えて、受話器をあげて僕の方を見ました。
「いい?」
僕もその方がいいと思って頷きました。
ジーコロコロってダイヤルの音がやけにはっきりと聞こえます。
電話してる間は離れてたほうがいいのかな、と思ったけど、ケーコちゃんが僕の手を握ってきました。
「あっ、ママ。 うん。いま? 和歌山…… うん、ユウくんと一緒。 うん。うん……」
ケーコちゃんは受話器を握って、しばらく頷いていました。
「あのな、ママ。 やっぱりわたし、ユウくんとお付き合いしたい。 いい?」
ケーコちゃんがちらっと僕を見て、手にきゅっと力を入れて来たので、僕も握り返しました。
「……うん、わかった」
ケーコちゃんが受話器を置いて、ホッとしたように息を吐きました。
「帰ろ」
「うん」
こうして、僕たちの駆け落ちは終わりました。
結局、ケーコちゃんの家出の理由は聞けなかったけど、夏休みの前以上に、ケーコちゃんのことが好きになったと思います。
そして、二学期が始まりました。
宿題を残したまま。
※元投稿はこちら >>