遠い昔、昭和40年代中頃からの話し。
第一章 原点
家の近所に小さい公園があり、小学3・4年の8歳か9歳くらいの夏休みだと思うが毎日友達と遊び回って時、1人の大人の男性(20代くらいかな)と知り合った。
遠い記憶なのであまり覚えてないが、ある早朝に公園で待ち合わせ。山の様な形にトンネルがある滑り台がある遊具の縦のトンネルに一緒に入った。
「◯◯君…ちょっとお願いがあって手伝ってくれるかな?」(おそらくそんな会話かな)って言われて、その人がジーパンのチャックは下げたと思ったらオチンチン出してちょっと擦って欲しいと言われたと思う。
一瞬後退りしたかったと思うが、トンネル内は大人と子供の俺でギリギリ。でも不思議とオチンチンを触る行為に怖さがなかったかな…。おそらく怖さより何かイケナイ行動に妙にドキドキ感があったと思う。
「直接がイヤだったらハンカチの上からでもいいよ」ってオチンチンにハンカチを巻き付けた。
俺は、ハンカチの上からオチンチンを握った。当然大人のオチンチンを握ったのは初めてだったから感覚は覚えてないが、だんだん大きくなったのは確かだったと思う。
その人は、俺が握った手の上から手を添えて
「こうやって、オチンチンを前後に擦って欲しい」と
俺は、同じようにハンカチの上からその人のオチンチンを擦ってあげた。しばらくするとその人はハァハァと息をしながら身体が小刻みに震えだした。
俺のもう片方の小さな手を掴んで手の平を上にして
「あっ…ああぁ…出る…」と言いながら
オチンチンの先から白いモノを俺の手の平に大量に出した。生暖かくネバネバした感覚だったと思う。
その人はオチンチンをしまった。ハンカチで俺の手の平に出した白いモノを拭き、
「◯◯君…この事はナイショだよ。誰にも言わないでね」と言いながら別れた。
俺はその行為が理解出来る訳もなかったが、これは絶対に誰も言ってはイケナイ事だけはわかってたんだと思う。オチンチンからオシッコ以外に白いモノが出てその人が気持ちいいような声出していたし、何か自分の胸のドキドキとオチンチンがムズムズした事は初めてだったし、何とも言えない感覚を覚えたのは事実だから…
その人はその日以降、公園には来なかったしあれ以来合う事はなかった。
第二章 エッチな感覚の目覚め
私の家庭環境は私が物心ついた頃から母親はいなかった。両親は離婚して私は父親と祖父母方に引き取られ育った。母親は同じ市内で独り暮らししていた。四年生くらいから数週間に一度母親とは会っていた。
あの公園での出来事の自慰行為(現在の言葉)を手伝わされてからその記憶も薄れ、自分のオチンチン(チンポ)のムズムズもなくなっていたある日、遠縁の親戚の叔父叔母が家に遊びに来た。
夜になって、叔父叔母がお風呂に入っている時たまたま洗濯ガゴに入ってた叔母の下着(スリップとパンティ)があった。その時初めて女性の下着を見た。
家には洗濯物で女性用下着はなかったんだ。母親はいないし明治生まれの祖母は常に着物姿だから洋下着は着用しない環境だったから、女性用の下着に興味持つのは当然と言えば当然だ。
私は、気付かれないようにスリップを上に持ち上げ眺め透かし、鼻先に近付け匂いを嗅いだり同じようにパンティも眺め匂いを嗅いだりして叔母の汗や体臭、オシッコの染みとか何とも言えない匂い酔いしれた。と同時に以前、自慰行為を手伝った時のドキドキ感とオチンチンのムズムズ感が襲って来た。
その時、突然浴室から叔母の声が…
「誰かいるの槌槌」と私は返事をし、叔母に一緒にお風呂入りなさいと言われ入った。
叔父は湯船に入って私は叔母に身体を洗われた。その時見た叔母の乳房に釘付けになってた。乳房は中くらいだったが乳首が異様に長く勃ってた記憶がある。
その出来事以来、女性用の下着や乳房に興味を示すようになった。
第三章 いやらしい物への執着心
私は小学校卒業するまでは精通はしてなかった。初めて自慰行為をしたのは中学に入って間もなくだった。
自慰行為(オナニー)やエッチな言葉(ペニス、ヴァギナ、セックス等)などは同級生や生殖器の本などを通して知り得た知識だ。まだ小学生の私にはまだ早い知識ではあったがいやらしい気持ち、ドキドキ感、オチンチンのムズムズ感などは身体が本能的感じ取っていたんだと思う。
親戚の家や友達の家に遊びに行く度に、庭先に干してある下着を眺め匂いを嗅いだり、洗濯物ガゴの中や一瞬の隙を狙って家主の寝室に忍び混んでタンスから友達の母親の下着、友達の姉妹の下着を漁って眺めたり匂いを嗅いだりして、ムズムズ感を感じながらオチンチンを押さえていた。ただし盗む事はしたかったな…ビビりだし笑。
あと昔は、よく公園のトイレ中や、トイレ裏や橋の下のにはよくエロ本が捨てられていた。雨に濡れてヨレヨレになってたりページとページの間がくっついていて、無理矢理剥がすと楕円形くらいに白い半透明な染み(精液)が広がっている本もあった物をこっそり持ち帰り見ていたものだ。
小学校の体操着は、当時薄く女子はブルマも履いていたのでブルマにも興味を持ったり、女子の中には乳房の発育がいい女の子もいたりして、先生や同級生がいない時にちょっとした悪ふざけで体操着の上から乳房を触ったり乳首をチョンと弾いたりしていた。
朝早く登校して、好きな女の子の上履きの臭いを嗅いだり縦笛の口の部分を舐め回したりしてマセガキだったな。
数週間に一度母親と会っていた時必ず、乳房に吸い付いていた。
母親に甘える行為と同時にいやらしさで吸っていたかも知れない。小6まで母親の乳房に吸い付いていたお陰かどうか分からんが、乳房に固い部分があるよと母親に話していてその後、母親は長期入院したんだ。その時は病名は知らなかったが高校生になった頃、その理由が乳ガンだった事を初めて知る。乳房を触ってた事が命が救われ…このいやらしさが役にたったと自画自賛した。
ただ、長期入院中に母親がいないアパートに寄り、一階に雑誌置き場がある。その中に沢山のエロ本が置いてあり、そのエロ本を母親の部屋に持ち込み読んでいた不届きな息子だったな。
その頃から、エロ本や少年誌の乳房を強調してる絵柄をなぞりながらお絵かきしたりしていやらしい事ばかりして遊んでいた小学生時代。
第四章 最終的な性癖
小学、中学、高校、大学中はいろんなエロやエッチな体験したが、原点で自慰行為を手伝わされたが、何故か男には走らなかった。でもチンポは大好きだけど。
最終的にたどり着いた性癖は、世間から後ろ指差される…ロリコン…。いや…ペドフィリアだな。
ドストライクゾーンは8歳から12歳。その前後も守備範囲内だ。
四捨五入すれば還暦の年齢。それでも少女愛性癖は…おそらく死ぬまで止められないだろーな。笑