昭和55年、私は中学1年生だった。
友達がいなかった私は近所の姉妹「ゆうこ」と「かなこ」と良く遊んでいた。
5年生のゆうこと2年生のかなこ。
1年前に近所に引っ越してきた2人は友達がいなく、近所付き合いのあった私が遊び相手をした。
その頃はテレビで探検隊シリーズが流行っていたのもありよく山へよく探検にでかけた。
山には洞穴があり、そこに廃材や段ボールを駆使した秘密基地を作る。
そしてその山が名前の由来である三日月山探検隊を発足。
私が隊長でゆうこが隊員1号、かなこが2号。
学校が終わると私はその足で秘密基地へと向かう。
そして2人が来るのを待つ。
洞穴の入り口には廃材でドアを作った。
コンコンコンと3回鳴らすのが合図。
私は外へ出るとここからは探検隊ごっこ遊びの始まり。
「貴様は誰だ!」『三日月山探検隊隊員のゆうこです』『三日月山探検隊のかなこだよ』
「よし、いつも通り服を脱げ」『はい!』
2人は私が見てる目の前で服を脱ぐ。
この探検隊は隊長の私の言うことは絶対というルールの元成り立っている遊びだった。
5年生のゆうこは4年生から膨らんだおっぱいを生意気にもスポーツブラで隠している。
しかしパンツはまだ子供っぽさが残る犬のアニメキャラなどのモノが多かった。
2年生のかなこはパンツは綿で白パン、飾りっけないのモノが多かった。
ここは洞穴の中で暗かったからランプを2個持ち込み明るくしていた。
段ボール、廃材、ブルーシートで作ったテントのようなモノの中には家で使わない座布団や布団を敷いた。
そこで毎日のように行っていたのが拷問ごっこ。
隊長である私にどんなことをされても耐えるというもの。
私はこの遊びが大好きだった。
あとになってゆうことかなこはこの拷問ごっこが実は苦手だったと聞き少なからずショックを受けたものだ。
まずは2年のかなこを布団の上に寝かせパンツを脱がせる。
足を広げさせたら姉のゆうこに手伝ってもらって動かないように押さえてもらう。
そして私はかなこの割れ目を触ったり舐めたり。
これはギブアップするまで続けられる。
小2のかなこは性感よりもくすぐったいなど面白い方が勝つのか笑っているだけ。
いつも10分もしない内に「もういいや」とギブアップ。
次は姉のゆうこの番。
私はスポーツブラとパンツを脱がす。
姉のゆうこは妹のかなことタッグで責める。
まずは2人でゆうこのおっぱいを舐めたり吸ったりした。
ゆうこはクラスで1番というほどおっぱいが発達していてCカップほどあったかもしれない。
そのおっぱいを私とかなこで攻め立てる。
ゆうこは『おっぱい吸われるとお母さんみたいな気持ちになってくる』とよく言っていた。
母性が目覚めていたのかもしれない。
ゆうこは5年生にして女として開花していた。
おっぱい数分責めてた後は割れ目。
おっぱいは大きいくせにまだ毛も生えていない割れ目。
肉厚のいわゆるモリマンだった。
かなこに割れ目を開かせる。
おっぱいを攻め立てた後に開くと必ず汗ではない汁がジュワッと中から溢れ出す。
私とかなこにおっぱいを吸われて感じたゆうこは割れ目から大人の汁を溢れさせていた。
割れ目を弄りクリトリスを弄り、ゆうこの割れ目はビショビショ。
かなこは『お姉ちゃんお漏らし』と笑っていたがそれがお漏らしではないことを私とゆうこは知っている。
私はかなこに『大人は気持ち良くなるとお漏らしをする』と教えてあげた。
この大人のお漏らしを止める方法はただひとつ。
お漏らしをする割れ目に栓をすればいい。
私はゆうこの割れ目に男性器を突き入れた。
私たちは幼い2年生のかなこの目の前でSEXをしていた。
この秘密基地で私はゆうこを何度も犯した、避妊などもちろんしない。
私が中2、ゆうこが小6の頃、ゆうこは妊娠した。
父親はもちろん私だった。
両方の親に今までのこと全てがバレた。
それから私は姉妹と会うことを禁じられる。
毎日のように会っていたのに全く会わなくなった。
それから数十年後にかなこに再開。
姉のゆうこと私を引き合わせてくれた。
2人共結婚して幸せにしてると聞いて一安心。
気がかりだったのは私との間にできた子供。
あの時、うちの両親は土下座してゆうこ達の親に謝ったそうだ。
そして中絶費用を渡したとこのこと。
ゆうこは最後の最後まで両親に『赤ちゃんを産みたい』と言っていたらしい。
私はこの歳で独身未婚だが1度でも愛の子作りをしたことあるというのが誇りであり自慢だ。