昭和の頃、近所の女の子や従姉妹と毎日のようにHな事して遊んでいた。
昔の女の子は、今のようにガード固くなくてほとんどの子がスカートでちょう
ちんパンツが丸見えだった。
だから、Hな事する時も簡単でスカートめくりあげてちょうちんパンツを下げ
るとすぐオマンコが丸見えになった。
ちょうちんパンツのまたのとこのゴムを引っ張って、横にずらしマンコ見せて
もらう事も良くしていた。普通におままごとしてるときも「マンコ見せて」と
言うとまたのところをずらして、にやりといやらしく笑いながらマンコ見せて
くれた。
本格的にHな事するときは、俺のうちの二階にあるつかっていない部屋で真っ
裸になってやった。女の子は俺のチンコの皮を剥いて亀頭を出したり、むき出
しになった亀頭を指でつまんだりした。チンコ剥かれたり、亀頭触られると気
持ちよくて子供のくせに勃起していた。
女の子は、自分でマンコを開いて腰を突き出すようにして、マンコを俺に見せ
付けた。俺はワレメに指をはわせたり、マンコ全体を手のひらで包み込むよう
にしてもんだりした。クリトリスの皮を向いて中のピンクの突起を指でこすっ
たりもした。これは女の子も刺激強すぎて、腰を引いて嫌がっていたが、その
うちなれてきてかえって押し付けてくるようになった。
あの穴に鉛筆などの異物挿入も良くやった。
赤くぽっかりと開いた穴は、内臓と言う感じで淫靡な感じがした。
チンコも入れたことがあるが、亀頭部分がチョッと入ったところで、痛がって
騒いだのでやめた。頑張って入れれば、子供の小さいチンコだからうまく入っ
たんじゃないかと思うと残念だ。
あの頃は、男も女の子もあそこきれいに洗っていなかったので、チンコの皮の
中やマンコのワレメには恥垢が沢山ついていた。
俺は変態だったのか、そのマンコの恥垢の匂いが好きだった。指でマンコの恥
垢を掻き取ると、必ず匂いをかいだ。
嫌がる女の子もいたが、「その匂いすきなの?」と嬉しそうにする子もいた。
二階のHな事する部屋の中はチンコとマンコの恥垢の匂いでいっぱいになっ
た。でも普段出入りする大人はいないので、ばれる心配はなかった。
そういう遊びを小学5年生頃までやっていた。
Hな遊び仲間のM子は発育がいいので、もうおっぱいが少し膨らんできてい
た。最初は乳首の周りだけ腫れた様になって、触ると痛がった。そのうち全体
的に膨らんできて、小さいながらもおっぱいと呼べるような形になった。だか
ら、M子とHな遊びするときはマンコいじりのほかに、おっぱいを思いきりっ
もむと言う楽しみもあった。
M子はマンコもほかの子と違って、割れ目がだんだん開いてきて、具が見える
ようになった。俺たちはM子のマンコを「むくれたマンコ」と呼んでいた。
むくれたマンコは、ほかの女の子のマンコと比べると子供心にもいやらしく、
良くチンコをこすり付けて遊んでいた。M子のマンコを見るとチンコをこすり
つけずにはいられなかったのだ。
それに比べると従姉妹のマンコは、子供子供していてワレメ一本筋の綺麗なマ
ンコだった。それに従姉妹のマンコはいつも綺麗で、恥垢が突いている事は少
なかった。
一緒に風呂に入ったときに見ていたら、タオルに石鹸をつけてまたの部分に通
し前後にごしごしとこすって洗っていた。心配になって「そんなにこすって痛
くないのか」と聞いたが「いつもこうやって洗ってるけど痛くないよ」と言う
答えが返ってきた。違う時に良く聞いてみたら「強くこすると気持ちいい」と
白状した。従姉妹は、マンコを洗いながらオナニーも兼ねていたのだった。そ
れで丁寧に洗うので、いつも綺麗なマンコだったのだ。ああ、いやらしい従姉
妹だったね。そういえば風呂上りに体拭くときもマンコのところはタオルをま
たのところを通して、ごしごし拭いていたなー。
あの時も、こすれて気持ちよくなっていたんだなきっと。
昭和の昔はおおらかで、あんまり仲良くない子でも「マンコ見せて」と言って
スカートめくってパンツの前のゴム引っ張って中覗いても、あんまり怒られな
かったな。ほかの男子も同じ事やっていたから、女の子もまたかって感じで普
通に見せてくれたな。まぁ、俺の周りの子が特別だったのかもしれない
が・・。
あの頃のHな遊びが忘れられず、ロリコン気味になってしまったな。
毛のないワレメに興奮する俺って、やっぱ変態?
小学生高学年の毛のないワレメみて、興奮しない男っているのかってのが、俺
の正直な気持ちなんだけど。
やっぱり、そういうのは性的な対象には見られないっていう(正常な)男もい
るんだろうなw