中学生の最も多感な時期に、同い年の兄ができました。
(繊細は想像で補っていただければ)
地味で静かな町で普通の生活を送る毎日…
たいした問題もなく退屈な日常生活…
大人となった今では、ある意味恵まれていたんだと思います。
築数はたっていましたがそこそこ広い家に住んでいたんですが、子供二人の時間が多く、夜などは静けさからリビングで一緒にいることが多かったりして、いつしか自然と互いの事を話したりする仲になってました。
でも照れからか、周囲にはそういう親しげな姿は見せなかった。
まあ、険悪じゃなければよし!
周りもそんな風に解釈してたんじゃないかと思います。
そんな暮らしが落ち着いた頃、ちょうど今ぐらいの季節ですかね…
私達は一線を越える関係になりました。
異性、特に性行為に興味がある年頃の男女が同じ屋根の下に暮らしてる訳ですから、言ってみれば成るようになった…
それが一番しっくりくるいい方かな…
別につきあうとかそういう感じではない。
手短なとこで共に好奇心を満たしたというと、少し合理的な感もありますが、なんといいますか相性的なものも悪くはなかったんでしょうね。
波長が合ったといいますか、けして体だけの割り切りとも違う、独特な意識を持って関係は持続しました。
関係を維持するために色々な取り決めも作りました。
誰かが居るときは隙があっても最後まではしない…
その代わり親が入浴中とか、そういう時は相手のオナニーを手伝うとかはありにしてました。
ちゃんとするのは誰もいない時か外…
敢えてメリハリをつけていざというときの快楽を最大限にしようとしてました。
あと、DEEPキスもなし、あれは夢中になると人が近くに来ても気づきにくくなるためです…
そうした決め事を忠実に守ってきたおかげか、なんとか大惨事にはならずにすみました。
恋人とか肩書きを付けなかったのもよかったかもしれません。
女は嫌いな相手には触られるのも嫌なものだし、それなりに愛情はありました。それは向こうも同じたと思う。
私は結局10代の頃は他の男性を知らずに終わるんですが、彼の方は適度に関係をもつ女性がいたりしてました。
でも、私達はそれをも快楽のエキスに変えていました。
いくら他所でしても、まだ家で私を抱ける性欲があれば、かえっていい刺激になってましたね。
実際、他の女性を抱いてきた後の方が、私を求める情熱は凄かったし…
嫉妬してすねる私をなかば強引にレイプして許させる…とか、そんなことも自然なアドリブで打ち合わせしなくてもできるようになってました。
中出しして~
結婚しよう…
そんな恥ずかしいセリフを互いに言い合い、丸一日愛しあったあとの月曜日。
私達は校舎であっても素知らぬ顔でスレ違います。
私達の事情を知ってる人はいても、こんな乱れまくった関係を知ってる人はいない…
それがたまりませんでしたね。
今は年に数回会えば、昔に戻ったようにセックスしてます。