今から10年前、俺は毎年夏になれば親戚の家によく遊びに行っていた。確かその時も夏休みだった事を覚えている。毎年、休みになったら親戚の家に遊びにくる「親戚の中の子供たちグループ」の中で、一番年長者だった俺は、その夏、一緒に親戚の家に遊びに来ている小学生たちを引率し、海へ行ったり山へ行ったりしていた。当時、子供たちからは、「タカニィ」(隆兄ィ)と俺は呼ばれ、俺は子供たちが好きだったし、子供の中からも、親戚の中の「いいお兄さん」だったと思う。だが、10年前のその時、あらすじで少し話した、「初めての出産を迎えた親戚の子(24)」も「子供たちグループ」の中の一員であり、俺はその子、名前はカナとしておこう。そのカナとも、よく一緒に遊んでいた。だが、その夏、俺自身が、思春期のピークを通り越そうと、最も性的なものに関して盛んだった時期で、事もあろうに、当時のカナに対し、性的関心を抱いてしまう。というところから、俺のこの10年の重圧劇、逃走劇の原因となる出来事を作ってしまう流れになったのだ。今でも当時の事はよく覚えている。ことの発端は、俺とカナと、他の親戚の小学生の子供5名くらいと、親戚の家の離れ、(ちょうど、今俺がこうしてタイプ打ってる場所)で、当時、小学生の間で流行っていた、ボードゲームをやっていた時の事である。実際にボードゲームをやっていたのは小学生の子供で、俺とカナはその光景を眺め、そして子供たちが不正をしたり、カードの取り合いで喧嘩をしないように、温かく見守っている役割だったのだ。そんな微笑ましい光景の中で、当時の夏という季節柄、カナが履いていたよくあるデザインのデニム生地のショートパンツから、中に履いている白い綿のパンツのゴムがチラ見しているのを目撃した時から、俺の中にある「入ってはいけないスイッチ」が入ってしまったのだった。その頃の俺は、携帯のエロ動画等を収集する事に、最もハマっていた時であり、そして最も、性的なものに関心が強い年頃だった。学校に行ってはエロ話をするし、家に帰ってからも友達とエロ画像の交換等をやっており、画像や動画、というものには満ち溢れた環境だったが、兄弟も男ばかりで「生身の女の子」というのとは、程遠い生活を俺はしていた。俺はカナのハミパンっていうのかな。女の子らしい白い綿パンツのゴムを見てしまってから、 どきん・・・ と胸が締め付けられるような、そんな重い心臓の鼓動を感じたのをよく覚えている。それからはずっと、カードゲームを見守るふりをしながら、ずっと目線は対面にいてアグラを書いて座っているカナのハミパンを凝視しており、自分の睾丸に、ゾクゾクと真新しい精子が増幅されていくのを感じたものだった。そこから少し、記憶が途切れるが、俺はその日の夜の1時頃、ハナレからこっそり出て、本家のほうに忍び寄ってというか、喉が渇いて冷蔵庫に用事があるふりをして中にはいり、俺はそのまま脱衣所へ向ってドアを閉めて鍵を閉め、脱衣所の中にある洗濯機の中の、カナが今日はいていたパンツを漁りだし、(昼間にみたパンツだ・・)と、同じ白の綿で出来ていることを確認すると、それを裏返し、うっすらと黄色いスジがついて、猛烈なアンモニア臭がする部分を鼻にあて、、事もあろうに親や親戚が寝ている建物の中の脱衣所で、自慰行為に走ったのだった。(子供たちは夜の遅くまでマクラ投げとかをして騒がしいので、基本、離れの小屋で寝ることになっていた。カナも普段は本家のほうで寝るが、親戚が来ているときだけはハナレで一緒に寝るのが恒例だった。説明遅れたけど、カナというのは、この親戚の家の子)自慰をしてスッキリしたつもりだった。あれは一時期、刺激的な映像を見てしまった事による、一種の気の迷いだろう。と、自慰行為の後の賢者モードの俺はそう考え、またハナレへと戻って寝ることになったんだ。が、ハナレへと入ると、数名の子供が グー カー と寝息を立てて寝る中、カナも一人、スヤスヤとそこで寝ている光景を見て、また俺は どきん・・・。 と心臓が高鳴ったのだった。だがしかし、親戚の子に対し、イタズラをする。何ていう事が、どれだけ大それた事かくらいはわかっていた。俺自身も、一種の思春期的なものの影響で、ただエロに対して興奮しやすくなっているだけで、(親戚の子のパンツ借りてGする事くらい、ま、許容範囲でしょw)と楽観し、これ以上は考えないようにした。そして翌日も、また翌日も、朝から晩まで子供と遊ぶという中で、ずっと俺はカナをエロ目線で見ており、とうとう・・・・俺はやってしまったのだった。その日も夏の蒸し暑い夜だった。当時は暑かったが、置いてあったのは扇風機だけだが、特に誰も苦情を言うわけもなく、むしろ昼間の遊び疲れで全員の子供が泥のように眠って
...省略されました。