自分のアカウント、好きに使うのはいいと思う。
でも以前から感じてた違和感はこれでさ、ここはネガなことや強い言葉を吐き捨てる場でもあるんだろう。
ただ、言葉にした瞬間にそれはその人の言葉としてそこに存在している。
その事実を自分はどう感じるのかな、と。
言葉は全てに繋がるよ、と強く
こんなこと言ったら反論されそうだけど、「特別感」に少し違和感。
なぜ大事な人とその他の人を同じ土俵上で考えているの?
同じ「おはよう」や「おやすみ」の4文字でも全然異なる気持ちがこもっているし、「可愛い」も「会いたい」も「大好き」ももちろんあなただけへの「特別」な4文字の言葉なんだ
「この人がいないとダメ」なんてことは仕事でも普段の生活でもめったにない。
事実そうだしそうあるべき。
このまま消えても忘れられていくだけ。
でも必要とされるのは嬉しいこと。
放っておけない可愛いやつらがいるのもまた事実。
繋がりは脆く儚い。
でもその繋がりは優しくあったかい。
見てるからね
四十も越えると朧げになりたい姿が見えてくる。
芯をしっかりと持ち、強さと弱さを兼ね備えた男。
弱さは嫌というほど経験し、気づき寄り添うことは出来る。
あとは強さ。
凛とした強さ。
強きをくじくよりも、弱きを包み込む大きな強さ。
温かく太くしなやかな海のような空のような男
本人の努力や技術の進歩で今やいつまでも若々しく素敵な人も多い。
ただ、同時にその年齢ならではの美しさを、恥じたり失わないで欲しいとも思う。
荒れた手も笑いジワも肌のシミも妊娠線も、それは今日までをしっかり生きてきた、紛れもない証で尊く愛おしいものなんだよ
「俺だから言えるんだよ」