皆さん、こんばんはいつもより早く帰宅し、時間があったので、書いてみました雪だるまの送る、小ネタ話を1つ以前、コメント欄に書きました祖父母っ子だった時の話覚えて頂けてますか?その大好きだった祖父も、一昨年、104才の短い生涯を閉じてしまい、思い出を残す為に、書いて見ようと思います題して【祖父の生涯】です戦争の話や、手前味噌の話になるので、気分が悪くなった人は、読むのを直ぐにやめて、手の届く物を壁に思いっきり投げつけてから、寝てください(笑)当然!エロも皆無です心が弱ってる方も、読まない方がいいです後、長くなるので忙しい人は、時間に余裕のある時にどうぞ(笑)【祖父の生涯】私の祖父は明治生まれで、小さい時に戦争で兄弟を亡くし、家も焼け出されて、両親と3人で、今の私の実家のある場所に移り住んだそうです田舎では名字を言うと、だいたいどこの村の人か?分かるのですが、裸一貫で流れてきた我が一族の先祖は、名字も馴染みのない物で、小さい時は違和感を感じていました祖父は小学校を出た後働き、両親と住める家を買うために頑張ったそうですしかし、祖父の父は戦争で帰らぬ人になってしまい、母と2人で大変苦労したようです祖父は、働いていた建具屋のご主人に可愛がって貰い、昼間働いて夜は夜間学校に行かせてくれたそうです特に数字に強く、亡くなる直前まで計算の速さは勝てませんでした(笑)祖父にも赤紙召集が来るかも?と言う時に、祖母とお見合い結婚したそうです祖父は、身長が176とその当時では異常に高く、祖母は150にも満たない可愛い身長なので、並んだ写真はだいたい祖父が椅子に座ってるものでしたいよいよ召集されるとなった時に、祖父は希望入隊しました何故、希望入隊したかと言うと、召集で集められると、体格の良い祖父は、甲・乙・丙・丁の当然甲になり、陸軍の歩兵に入隊が予想され、最前線の戦地に出兵させられると考え、希望入隊なら特殊部隊への希望を聞いて貰えるとの情報から、自ら率先して入隊を選んだそうですそして、祖父の選んだ特殊部隊とは?通信隊だったのです選択の理由を聞くと、部隊行動の時、通信班は必ず本部との連絡を取る為に最後部に位置し、連絡が取れなくなる事は部隊の全滅に関わるので、守って貰えるからというものでした当時の考え方では、(名誉の戦死)と言われ、国の為に死ぬ事が尊いとされた時代に、祖父は「残した母と妻の為にしねない!」と断言してたと祖母から聞きました今でならその考えも理解されるが、当時なら決して口外出来ない考え方だったと思います入隊前に持ち前の勤勉さで、モールス信号と英語をマスターし、無事通信班への入隊になったそうです戦地は南国の離島、ボルネオやサイパンにも行ったそうですが、幸運?にも終戦前に負傷し、戦局が悪くなる前に帰国出来たので、命が助かったと聞きました幼い子供心に、「お爺ちゃん、大変だったんだろうな~」と思ってました戦争時の話をするお爺ちゃんは、威張る事も・悲しむ事も無く、ただ真実を伝えるように分かりやすく話してくれました「戦争なんかで死んだら損だ!」とよく言ってました終戦後、お爺ちゃんは建具屋に戻る事なく、通信班で知り合った人の紹介で、郵便局に勤めました持ち前の計算の速さは、更に磨きがかけられ、簡保保険勧誘の成績と定期預金の勧誘は誰にも負けなかったと豪語して
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