もう、かれこれ十数年前の事です。
工業大学の計測制御科の4年間を過ごした都会を離れ、就職先で在ります滋賀県湖南市の工業団地に転居致しました。
私のマンションは鉄筋コンクリート造りで、部屋は最上階で在ります7階の角部屋の701号室でした。
早速、向こう三軒両隣に粗菓を手に挨拶廻りに伺いましたトコロ、直ぐお隣の702号室で、あどけない表情の可憐なS高と思われます女の子が出迎えてくれましたので、京都の名門・マールブランシュのショコラスウィーツを渡して上げました。
後日、その702号室のお母さんが、単独で挨拶返しに居らして、実以て母子家庭で在る事や、フルタイム勤務の為、当時小学5年生の愛娘が独りになる事が多いので、なるべく気を遣ってやったり構って遣って欲しいと云われました。
お母さんは由里さんと云い30代半ば前後で、娘さんは胡桃チャンと云うキュートでカワイイ名前である事が判りました。
勤め出して半年ほどは、トヨタ等の大手自動車メーカー向け専用工作機械の躯体設計をする管掌業務を必死で覚えるのと、「飲みにケーション」と云って、上司の酒飲みに付き合わされる事がしばしばで、お隣さんを気遣ったり構って上げられるような余裕までは御座いませんでした。
しかし、入社から半年少しすると慣れて来て、少しずつお隣さんとのお付き合いが始まるように為りました。
精密機械科を卒業致しました技術畑の当方は、時々胡桃チャンの勉強を看て上げるように為ると、由里さんは週末、私に胡桃チャンを二日分の着替えと共に預けて留守にするように為りました。
後々知ったのですが、女盛りの由里さんは、同年代の情夫と土日限定のお泊り愛人をして居たのです。
胡桃チャンは薄々そんな母親の秘密に気付いて居て、ある休みの日、私が入浴中に、ロックして居なかった玄関から上がり込んでイキナリ裸で入って来て、あろう事か肉棒を握って扱き始めたのです。
更に、お口でパクリ!
「胡桃チャン、どこでそんな事を・・・?」
「お外で遊んでなさいと言われたんだけれど、しばらくすると雨が降って来てお家に帰ると、ママの部屋のベッドで、知ら無いオジさんのオチンチンに、ママがこういう事して居たから‥。」
私は、胡桃チャンが不憫で為りませんでしたが、発射しそうだったので、一旦止めさせました。
お風呂から出ると、胡桃チャンは裸のまま私に抱き付いて来て、
「お兄ちゃん・・・わたし、お兄ちゃんの事が大好き・・・、だから抱いて・・・。」
ずっと幼い頃から、母親と見ず知らずの情夫の性行為が身近に在ったからだと思いました。
小5児童には、大人の女の色気こそ在りませんでしたが、目前で素っ裸になられればそれなりに興奮しますし、仄かにロリコンの気持ちが理解出来ましたから、意を決して彼女を抱く事に致しました。
両足首を掴んで左右に大きく広げると、おまんこに薄っすらと恥毛が生え始めて居る陰裂が少し広がり、その裂け目から桃色のお肉が覗きました。
指で広げると、お湯なのか愛液なのか、粘膜の表面が濡れ光って居りました。
私は、趣味の風景撮影用に購求して間も無かった一眼レフのデジカメで、幼気な恥部と処女膜とを、醜い陰が発生し無いメーカー純正のリングフラッシュオンモードで撮影致し向けました。
その後、彼女の会陰に舌を近付け、下から上に裂け目に沿って舐め上げると、甘酸っぱい少女の匂いがしました。
濡れて居たのは結局愛液で、胡桃チャンは、私に男を感じて濡らして居たのでした。
舐めるほどにますます濡れて来て、11歳の少女は感じてハアハアと吐息が荒く為りました。
舐め上げる途中に在る窪みを通過し、その舐め上げた先にはクリトリス包皮の三角の突起が在り、その肉の突起と中身を集中的に攻撃すると、胡桃チャンは口を半開きにして、くしゃみをする寸前のような顔をして喘いで居ました。
そうこうして居る内にヌルヌルヌメヌメの状態像に為って仕舞い、幼い膣が準備完了に為ったのを確認し、私は胡桃チャンの小さな下の唇に亀頭を宛がいました。
最初、亀頭部分だけゆっくり出し入れすると、同時にその様子を、ニコンの上記デジカメで撮影しました。
「胡桃を抱いて・・・。」
「どこでそんな言葉を・・・?」 母親と情夫との秘め事を平素から覗き見して居たに違い在りませんでした。
ローションで潤わせた亀頭を薄ピンクの窪みに宛がい、ゆっくりとめり込ませて行きました。
力を掛けて居ないと、直ぐに押し戻される応力に抗い、少しずつ体重を加えると、グリッという感触の後、長さ15cmの私のペニスが、三分の二ほど一気に収まりました。
「痛ッ! 痛い・・・、痛いよう・・・。」
ギチギチと強烈に締め付けられる豚児を、強引に前後に動かせば、小さな柔肉を引き摺る結合部は、痛々しく視えました。
「ヒッ・・・、ヒハ、ヒハァ!」
と痛そうな声と切なそうな顔に興奮し、幼膣内に大量射精して仕舞いました。
「胡桃チャン、まだ生理来てないよね?」
無言で頷いた胡桃チャンでしたが、
「中に出したの精子でしょ。赤ちゃん出来るんだよね。」
と、ちゃんと性教育を受けて居ました。
ペニ棒を抜き、幼膣から溢れ出るイチゴミルクを何枚も撮影しました。
小5少女とのセックスは、その後ろ暗さが、ある種の興奮を誘いました。
週末、私と彼女は、中出しファックに没頭し、次第に胡桃チャンは、幼い膣内に快感のエリアを形成し、陰茎の挿抜に喘ぎ乱れるように為って行きました。
金曜の夕方から日曜の夜まで、バイアグラ効果で週末は10数発ぐらいの中出し精液を幼い子宮に湛え、明くる月曜の朝は、赤のランドセルを背負って小学校へ登校して行きました。
丸襟のブラウスに紺の吊りスカートを穿いたその出で立ちは、生陰茎の挿抜に喘ぎ乱れる少女には、到底視えませんでした。
しかも、奥の小さな子宮には、、中出し精液がタップリと染み込んで居たのです・・・
彼女が6年生の夏休み前、
「お兄ちゃん、あんまり中に出さない方がいいかも。わたしもそろそろ生理が来るから・・・。」
と云われ、処女喪失1年を境に中出しを止め、膣外射精に切り替えました。
その頃の胡桃チャンは、おまんこのヴィーナスの丘に性毛が生えて来て、バストもちょっと膨らみ始めて居りました。
そして、舌を絡めるキスも、亀頭を舐めしゃぶるフェラも習得し、GスポットやUスポットにカリナも快楽を覚え、見た目の幼さとは裏腹に女の悦びを知る少女へと変貌を遂げて居りました。
そして、小学女児とのハメ撮りは、真正の児童ポルノがたくさん記録されて居りました。
全裸だったり、制服にランドセル姿だったりで、逮捕確実の画像のコレクションでした。