おじいちゃん達より、若輩な私は、先輩方がテレクラやナンだと釣り堀で養殖魚を釣って悦に入っている時、渓流や海岸線で天然稚魚(時には成魚)を生け捕りしていました。
何故、世間は金を使い お股処理をしているのだろうと不思議でした。
ロリのキッカケ(実行)は、タイトルにある宮崎○の頃、上京し、書店で見かけたロリ雑誌。一時期、際限無く行くまで行った過激な無修正が、一般書店(の、奥ばった一角)にある事にも驚きました。
もしかしたら数々のハンター写真本の中に宮○勤の作品もあったのかな....うん、あったろうね。
私は写真とか不得意なので、ソッチには行きませんでしたが、普通に道を歩いてる子や、隙のありそうな子に接触し、成果を上げていました。
さて、こんな前置きは終わりにし、少し趣向を変え、不同意のジャンル・痴漢の話をします。
(サブタイトル:こんな電車で校区外の中学生が)
上京し、短期はカウントせず、初めての職業の時、二子玉川住みの私は渋谷の職場通いの往復。
当時覚えたパチンコを仕事帰りにし、少し遅めの帰宅電車に乗った時。
二子玉下車の私は、下り最後尾の1号車の1番ケツのドア前に乗り込み進む。
普通でも激混みの新玉川線(当時の名)。当時は今と違い、渋谷駅乗車は左側、二子玉下車は現在の大井町線ホームと逆の右側下車。
車内の人をかき分け、少しでも二子玉下車に有利な左ドア側を目指す。
押し分けかき分けし、目的ドア前に着くと、目の前には制服姿の女子学生が。
『・・・・・?』
まず、この時間帯にいる女子中学生。単純に渋谷‐二子玉 間で、女子中学生の通学なんて まず無い。
などは、まぁ置いといて、この頃にはもう痴漢をやり始めていた私は、少し触手が働いた。
乗ったのはスシ詰めの急行電車。僅か15分足らずの時間だが、私は慌てなかった。身体は密着のベストポジションだが、途中の三茶で左ドアは開く。逃げたり、たまたま女の子の下車駅なら、ヤら無いでも同じ。
程なく三茶に着くが、女の子はドア横の手摺にしがみつき、下車しない。
私も女の子を庇う様に下車する人の体当りに耐ベストポジションをキープ。
ドアが閉まり発車。若干隙気味にはなったが、密着した姿勢は不自然では無い。
渋谷‐三茶間を耐え忍んだ反動で、私は一気に攻撃に出た。
まずはスカートの上からソフトにお尻をタッチ。すかさず擦る。その時、静かに女の子は片手を後ろに回し、私の手を払い除ける。そんなに強くは主調(拒否を)した感はない。
女の子の静かな抵抗も どこ吹く風と再度擦り、今度は手払いが無い溜め息、露骨に揉んでみる。
『・・・・・』
抵抗の素振りが無いので揉み解しを継続。
早朝の女子高生も最高だが、夜の女子中学生もオツなものだ。
しかし、尻ばかり揉んでいてもしょうがない。時間は限られている。
焦りは禁物ではあるが、少し早めにスカートをたくしあげて生パン、生尻へ・・と、そこで強めに手を払い除けられた。
『それはダメ』と?いや、時短とは言え、尻揉み攻撃を略無抵抗で受けてくれたのだから、ここは一押し。
再びスカートをササッ、と手繰り上げて今度は間髪入れずお尻のパンツを擦り、特にギャザー部分をなぞる様に指先を遊ばせた。
女の子の反応は無い。しかし、お尻から前に手を忍ばせると、パッ、と弾かれ元の木阿弥に。時間も無いので、懲りずにスカートを手繰り寄せ手をお尻に、前に・で叩かれ、を数回繰り返し分かったのは、お尻は(今となっては)セーフにしてくれている。
お尻を撫でたり揉んだりしながら、姑息ながら事故を装い(?)素足にも触れたりした。
でもやはり、前には手の侵入を許してくれない。ならばと、後ろから指をパンツのクロッチ部から侵入させた。
なんとも無理な忍ばせ方をしたので、アナル付近か、念願のマンコ付近なのか指先だけでは判別つかない。
私は全身全霊をかけワレメ付近を指でクチュクチュ掻き回した。わずかに湿り気を監事、彼女もコレはされるがままに許してくれていたので、そろそろイイかと思い手を脇から正面に回し腰のギャザーから手を差し込もうとすると、やはり手を弾かれた。
そのタイミングで二子玉川に着いたので名残惜しいが、私は人混みに紛れホームに出た。
もしかしたら、下車せず田園都市線(注釈:当時は半蔵門‐渋谷が、半蔵門線。渋谷‐二子玉が新玉川線。二子玉から先が田園都市線。と呼ばれていた。)まで乗り続けていたら、もっと女子中学生の お股も組解けていたかも知れない。
いや、そもそも捕まるリスクを忘れ女子中学生への痴漢に没頭していた、あの時の自分がヤバかった。