ちょっとヤバ目だけど、もう10年前の話しです。
当時大学3年の晩秋、学習塾で夏期講習の講師バイトで教えたことがあった、中2の汐里という女の子に、手紙で告られたことがありました。
折しも、夏に盛り上がった恋が、初秋に冷めてフラれて、寂しい学際を過ごした後で、あどけない中2の女の子に告られて、嬉しくて付き合うことにしました。
私は特にロリコンではありませんでしたが、13歳の少女に懐かれて、ベタベタされた時に匂ってきた、精米所みたいな甘い香りに理性崩壊しました。
それに、中学生のセーラー服って、高校生のセーラー服と違って、純情そうに見えますよね。
なんだか、ロリコンの気持ちがわかるような気がしました。
汐里は、大好きな講師の先生とと付き合えて嬉しくて、積極的でしたが、初めて中学生と付き合った私の方が緊張していました。
「先生のお部屋、行ってみたい。大学生の独り暮らし、憧れてるんです。」
なんて言われて、汐里を独り暮らしのアパートに連れ込みました。
「先生は、エッチしたことあるんですか?」
と言われたので、大学の2年まで付き合ってた専門学校生と、その後、つい初秋まで付き合ってた女子大生と、この部屋でセックスしてたことを話しました。
すると、汐里はいきなり脱ぎ始めて。エッチしてみたいと言いました。
13歳とセックスって、デキるものなんだろうかと思いつつ、二人でシャワー浴びて、ベッドに行きました。
いきなりセックスもと思ったので、まずは、中2の汐里に、フェラチオを仕込んでみました。
「恋人同士は、こうやって、オチンチンとオマンコこを舐め合うんだよ。」
と教えると、健気に舐めたんです。
膨らみかけの胸、くびれ始めたウエスト、そして、薄目の陰毛の下に割れた縦筋、仰向けに寝かせて、プクッと可愛く膨らんだ胸の先端を舐めて、縦筋を開き舐めました。
ピンクでビラビラがほとんど存在しない、超美麗オマンコ、毎日舐めても飽きないだおると思えた中学生のオマンコでした。
しかも、大人の女と同じように、濡れて感じて喘ぎました。
「汐里ちゃん。エッチってね、濡れたオマンコの中に、オチンチンをズブズブと出し入れするんだけど、知ってた?」
と説明すると、コクリと頷きました。
性教育を受けて、とっくに知ってるようでした。
出血に備え、バスタオルを敷いて、汐里を仰向けにして、ギチギチ処女オマンコにはなかなか入らず、もう一度クンニしてクリ責めでハアハアさせて、グリュン!処女喪失は正常位でした。
一人暮らしなのをいいことに、頻繁にアパートでセックスしまくってました。
冬休みに入った頃には、中で感じる中2少女になっていました。
年末帰省して、年明けの初売りでニコンのクールピクス買ってアパートに戻り、動画モードで隠し撮りしました。
正常位だけでなく、対面時や騎乗位、後背位や駅弁、逆駅弁もやってくれたし、セーラー服着衣セックスも、なんでも言うこと聞いてくれました。
超綺麗なオマンコ丸晒しで、危険な隠し撮りが増えていきました。
当時のウィンドウズ8のPCで、動画編集して、JC2年生の性をまとめました。
中学の清純そうなセーラー服着た女子中学生が、後背位でズコズコ生ペニスで犯されながら、アンアン喘ぎ、内股に本気汁を伝わせました。
再生して一番萌えるのは、セーラー服少女の対面座位ですね。
向かい合う二人の中央斜め上にカメラが仕掛けてあって、お互い後ろに手をついてるから、何ペニスが少女のオマンコにズッポリが良く見えました。
後ろに手をついてるから、セーラー服の襟が垂れ下がり、腰を打ち付けるたびに揺れているんですが、清純の象徴である中学のセーラー服の襟の揺れと喘ぎ声がシンクロしてて、萌えました。
清純そうな発育途中の女子中学生の汐里ちゃん、私のいやらしい手つきでオマンコを弄られて濡らすと、仰向けになってクンニのおねだりします。
口を吸い上げながら、剥けたクリを舌でナデナデ、痙攣しながらクリイキする中学3年生が出来上がりました。
「先生のチンチンください・・・」
と生挿入のおねだり、もう、セーラー服の視中学生生オナホな姿が、隠し撮りカメラに収められてしまいました。
汐里が中3の10月、
「お父さんとお母さん、離婚することになったの・・・」
と俯いて話だし、ポロポロッと涙、思わず抱きしめました。
道理で帰りが多少遅くても、叱られないはずです、ご両親、顔を合わせたくなくて、汐里は一人で夕ご飯を食べていました。
中3の10月なんて、高校受験の大事な時に、離婚なんてと憤りましたが、
「今月でお別れ・・・私、お母さんの実家がある秋田に行くんだ・・・」
汐里があどけなくて可愛かったのは、秋田美人だったのです。
最後のセックスは、隠し撮りしませんでした。
全裸で抱き合い、心から汐里を愛して抱きました。
女子中学生をあんなに愛情をもって抱けるなんて、思いませんでした。
さよなら、さよならと腰を打ち付け、最後の精液をかけました。
セーラー服を着て、玄関に佇んだ汐里に、結構お高めの万年筆とボールペンとシャープペンシルのセットを持たせて、
「高校生になったら、使ってね・・・さよなら・・・元気でな・・・」
「先生も元気でね。さよなら・・・」
玄関のドアが閉じられた瞬間、大粒の涙がポロポロ流れました。
女子中学生とのロリコン遊びのつもりが、心から愛してしまっていました。
翌日、朝10時発だと言うので、中古で買ったSRX400で汐里の家のそばまで行くと、汐里の家の前に小型トラックが停まってました。
ああ、荷物はトラックで、汐里たちは新幹線だと感じて、見送りは無理だと思ったら、走り去るトラックから汐里が私を見つけ、手を振っていました。
私は、ヘルメットをかぶったまま、片手をあげました。
汐里に、見送りに来てたことをわかってもらえて、それが嬉しくて、暫くヘルメットの中は涙でいっぱいでした。
それから4カ月後、2月下旬、私も大学を出て、故里へ帰りました。
汐里と別れてから、汐里を思い出して辛くていt度も見なかった隠し撮りデータを収めたDVD十数枚は、躊躇せずすべて叩き割って捨てました
故里へ帰って一月後、大学時代に住んでたアパートの住所から、封書が転送されてきました。
それは秋田の汐里からで、中を開けると、高校に合格した旨を記した短い手紙と、万年筆とボールペンとシャープペンを持った高校のセーラー服姿で写る汐里の写真が入っていました。
封書の差出人のところには、汐里の名前だけで、住所は書いてありませんでした。
現在私は32歳、結婚して4年の29歳の妻と、2歳の娘と3人で暮らしています。
先週、秋田に出張があり、私は、例の汐里の写真を携えて秋田入りしました。
この街のどこかで暮らしてるだろう汐里・・・25歳の汐里は幸せでしょうか。
汐里がくれた封書の消印がある郵便局は、市街地にあって、市内の郵便の大半がここに集積されるんだなと、汐里が暮らす街を特定できはしませんでした。
秋田駅からE6系のこまちに乗り、田沢湖を遠くに眺めながら、汐里の写真を眺めていました。
「あれからもう、10年過ぎたのか・・・汐里ちゃんは俺のこと、忘れないでいてくれっかな・・・」
なんて呟きながらビールを飲んでたら、汐里との思い出が溢れてきました。
そんな、あどけない美少女中学生汐里との思い出を、ここに記します。