まだ幼稚園児だった頃のことです。
私の母はシングルマザーでした。
今では珍しくありませんが、当時はまだ少なかったのです。
社会支援は乏しく、まして私がまだ幼かったため、パートでしか働けない母の収入は僅かなものだったと思います。
それゆえ当時住んでいたアパートは、母いわく家賃で決めたそうで、環境的にはあまりよいところではありませんでした。
隣に住んでいたのは水商売のお姉さん、その向こうは外国人。いわゆるファミリー層という世帯はおらず、一緒に遊べるような同年代の子供はひとりもいませんでした。
ですが私はもともと一人っ子なので、ひとり遊びには慣れていました。
暇になれば外へ出掛け、近所の空き地でタンポポを摘んだり、そこにいる野良猫に構ったりして、気ままに楽しんでいたのです。
仕事で家にいられない母は、私が1人になる時間のことを心配して、
アパートの大家さんに、事情を話し、私を気にかけて欲しいと頼んでいたようです。
そのため大家さんは私を見るにつけ、お菓子やジュースをくれたり、たまにはお小遣いまでくれたりしました。
そして管理人室に私を呼び入れ、膝に抱き、身体を撫でてくれました。
ところで、私は本が好きでした。
本を読むことがひとり遊びのひとつでした。
おかげで、周りより字を読めるようになるのが早かったのです。
漢字でも、物語の中でよく使われるものなら読むことが出来ました。
だから大家さんに、漫画があるよと勧められたものも、読むことが出来ました。
勧められた漫画は、成人漫画でした。
男の人と女の人が裸になる。
女の人の股の間の隙間に、男の人がおちんちんを入れる。
そうすると女の人は汗をかいて苦しそうな顔をして、なのに気持ちいいと声を上げる。
それが一体何をしているのか分からないけど、とてもドキドキして、食い入るように読んだことを覚えています。
大家さんは、そんな私を膝に抱き上げ、スカートの裾から手を入れて、パンツの上から股の間を、すりすりと撫でていました。
そのうちに私は、自ら管理人室を尋ねるようになりました。
漫画を読むためにです。
大家さんは管理人室を模様替えして、入ってすぐの応接間の奥に、小さな休憩室のようなスペースをつくり、
そこにコタツのテーブルセットと、たくさんの漫画やグラビア本を置きました。
ゴロゴロしながら本を読めるようになって、私は大家さんと並んで横になりながら、漫画を読みました。
大家さんは私の背後から背中を包むように前に手を回し、股の間を撫でます。
クリトリスという単語を覚え、それが自分の身体にも存在することを知り、そこを触られるとなんとも気持ちがいいことに気付くころ、
私の股は、幼いながら、また僅かながらに、ヌルヌルした液体を分泌するようになっていました。
大家さんの手は、次第にパンツのなかに入ってくるようになりました。
太い指が、私のおしっこの出るところを、ヌルヌルと、ゆっくり、何度も、行ったり来たりします。
読んでいる漫画のなかの女の人が、切ない表情でお願い、止めないで、もっと、と強請っています。
私も同じことを考えながら、だけど口にするのも、身体が動いてバレてしまうのも恥ずかしくて、
どれだけ気持ちよくてもけっして動かないように
耐えていました。
小学生になると、学校からの帰り、ランドセルを背負ったままで、管理人室へ向かいました。
夏にはアイスを、冬には暖かい缶のコーンスープをもらいに行くためです。
だけどそんなのは建て前で、そこに入ればすぐさま、奥の小部屋に直行していました。
その頃には布団まで置かれていて、私はその上に横たわりながら、漫画を読みました。
大家さんは私の足を広げた間に胡座をかいて座り、腰を抱えて、パンツの上から、中から、股の割れ目を撫で続けます。
パンツの真ん中にシミが出来てくると、パンツを脱がして、割れ目を指で開いて、そこをじっとりと眺めます。
もう少し大きくなったら、ここに、おおきなおちんぽ入れてやるからな。
そう言って、ヨダレをたっぷり溜めた舌で、割れ目を舐めるのでした。
触られたり舐められたりする気持ちよさが、股の間にぐんぐん溜まっていき、膨らんだ風船のようにふわふわと腰の辺りが浮いて、盛大に弾けて、
割れ目の中がひくんひくんと縮まる、のを経験したのは、
小学校2年生だったと思います。
漫画の中で女の人が、「いく」と言っていたのはこういうことだったのかと、そこで理解しました。
自分でそこを触ってイクことも出来るようになりました。
裸の女の人が、こちらを見て脚を開いて、ポーズをとっているグラビアを見るだけで
ソワソワした気持ちになるようにもなりました。
けれど一番惹かれたのは、
裸の女の人が、赤い縄で腕や足や乳房を縛られて、眉間に皺を寄せ、切ない顔をしているグラビアでした。
とても美しいと感じたからです。
その行為が緊縛というもので、それを施す人がいて、施される人は快感を得ており、相互に愉しんでいると知ったのは、もっとずっと後のことですが
私が縄に憧れ、その世界に憧れ、今では苦痛や痛みも受け入れるようになったのは、
その一枚のグラビア写真が始まりです。
オナニーに耽ったある年の夏休み、洗濯ばさみに手を伸ばした時のことは、またいつか機会があれば、書いてみたいと思います。