結婚して10年、私47歳、妻30歳、娘8歳、そして52歳の義母の4人家族です。
私と妻の出会いは、もう20年前になります。
当時27歳だった私は、32歳のとても美しい女性と交際を始めました。
妻は、彼女の娘さんで、当時小学4年生でした。
5歳年上の彼女との交際は、後に結婚を見据えてきたので、当時子供だった妻にも気に入られるようにふるまっていましたから、妻も私に懐きはじめました。
あれは、妻が小学6年生の頃で、私と彼女が結婚に向けていろいろと準備を始めた頃でした。
連れ子がいての結婚でしたから、予行演習に同棲を始めたのですが、私と彼女のセックスを妻に見られてしまったのです。
てっきりネタと思っていた妻は、寝室のドアを開け、私の勃起した陰茎が彼女の膣港に好きささり、彼女が淫らに喘いでいる姿を見てしまったのです。
小学6年生の女児と言えば、性教育を受けたばかり、生々しい母親の性行為を目の当たりにして、かなり動揺したようでした。
しかしその時、彼女は思いもよらぬ行動に打って出たのです。
呆然と立ち尽くす妻に向かって、
「おいで・・・」
と言って、濡れた膣港と勃起陰茎を晒す私たちの布団へ妻を呼んだのです。
そして、妻のパジャマを脱がせ、思春期に差し掛かり女として発育し始めた裸身を私と彼女の間に寝かせ、
「ママと彼は愛し合ってるの。ほら、ママのアソコ、濡れてるでしょ。彼のチンチン、硬くなってるでしょ。触ってごらん。」
と言って、私の勃起陰茎を握らせたのです。
小6女児と言えば、既に陰毛が生え始めて、身体も女性らしくまろやかになり始乳房も膨らみかけていて、ロリコンでなくても不思議な興奮を覚えてしまいます。
この日、妻を交えて彼女とセックスしましたが、小6少女の膨らみかけの乳房を揉み、純情すぎる淫裂を広げてクンニしながら妻の膣を抉るという不思議なセックスでした。
しかし、まだ小6とは言え、妻は男性に女性器を舐められる快感を覚え、毎回私と妻のセックスに混じってくるようになりました。
そして、中1になると、それまでの赤いランドセルではなく、公立中学の純情そうなセーラー服を身にまとうと、ゾクッとするような高貴なエロスを感じました。
それは、まだ中1だった妻が見せた、私を一人の男として見つめた女の目でした。
彼女との同棲が続き、なかなか結婚に至らなかったのは、彼女が妻の恋心に先に気づいたからでした。
妻は、母親の彼氏に恋をしていたのです。
鈍感な私は、妻は可愛いとは思いましたが、ロリコン的興奮も感じましたが、美しい彼女の艶めかしい女体の虜になっていて、妻の幼い恋心には気づきませんでした。
そして、妻が中1の夏休みに、彼女に生理が来て彼女のフェラで抜いてもらっているとき、彼女が妻に、
「やってみる?」
と言い、私は中1少女にフェラされて、あまりの興奮に暴発させてしまいました。
すると妻は、私の精液をゴクリと飲み干し、にっこりと微笑みました。
それ以降、彼女に生理が来ると、時には中学のセーラー服姿のままの妻にフェラ抜きされるようになり、危ない関係が構築されていきました。
更に、妻が中2になる前の春休み、彼女とのセックス中に生理が来てしまい、シーツが汚れるからとセックスを中断すると、中1が終わったばかりの13歳の妻が、淫裂を弄りながら濡れた膣を広げ、
「私にもチンチン入れて欲しい・・・」
と言いました。
私は、彼女に促され、彼女の経穴と愛液にまみれた陰茎を、13歳の妻の膣港へあてがいました。
既にヌルヌルに濡れていた妻の膣には、途中まではすんなり、そして支えに体重をかけると、13歳の処女膜がメリメリと裂け、妻は13歳で女になりました。
この日、彼女が私に言いました。
「この子が20歳になったら、この子と結婚してほしいの。私とではなくて、この子と・・・」
こうして、私は女子中学生と婚約しつつ、美しい彼女とも性生活を続けました。
この日以降、3人でセックスすることはなく、平日は寝室で彼女と、週末は妻の子供部屋で妻とセックスするようになりました。
女子中学生とのセックスは、強烈な興奮が伴いました。
時には上だけセーラー服を着てもらい、本物の女子中学生との淫らな性行為を動画撮影しました。
公立中学の純情そうなセーラー服を着た少女が、三十路になった私の生陰茎をおしゃぶりして、それを生のまままだ幼い膣で受け入れ、覚えたての快楽に戸惑いつつも喘ぎ乱れる様子は萌えました。
そして、翌日の朝は、飛び切りの純情顔で投稿していくのです。
美しい彼女の娘ですから、妻も美少女で可愛いので、学校でもモテていました。
男子中学生の憧れの的だったようですが、まさか、三十路男の陰茎を咥え、それを生膣で受け入れて淫らな快感を貪っていたとは思わなかったでしょう。
妻は高校生になると、膣内の感度が向上し、イクという感覚を覚えました。
広告のセーラー服は中学のそれと違い、清純というよりは清楚なイメージで、やはり上だけセーラー服をきてのセックスは、特に騎乗位は萌えました。
スカーフを揺らし、白いラインの入った襟をはためかせて喘ぐ様子は、ありえないほどのエロスを放ち、高校生にあるまじき淫らさでよがり狂いました。
高校を卒業し、結婚したときの20歳の妻の写真を見ると、嗣永桃子さんに似てて清純そうなお嫁さんですが、この時すでに処女喪失から7年が過ぎたセックスのベテランでした。
ももち顔の清純そうな新妻は、既に色づき始めた陰唇を夫の陰茎に絡ませて、高校時代のセーラー服を着て大好きな騎乗位で腰を振ってよがっていました。
新婚時代も、週に1度は義母を抱きました。
この頃、四十路になっていた義母の性欲は旺盛で、妻に生理が来ると喜んで毎晩股を開きました。
更に妻が妊娠すると、毎晩義母と派手なセックスを繰り広げました。
四十路の義母は更に艶めかしく、淫らに磨きがかかっていました。
若い妻と色っぽい熟女義母のハーレムは一見羨ましいでしょうが、現在私は47歳、52歳の義母の性欲は40代の頃よりは治まりましたが、閉経してもまだ現役です。
そして妻は30歳になり、子供も自分の部屋で寝るようになってから、妻の方から誘ってくることが多くなりました。
47歳の陰茎を握って勃起させ、跨ってくるのです。
30歳になっても可愛い妻ですが、47歳の私は、妻と義母、どちらかとはセックスするので性生活は毎晩です。
まだ毎晩でもできますが、義母を抱いてから妻を抱くような連発はきつくなりました。
数年前までは、義母を抱いて戻ると妻のやきもちが爆発して、そのまま妻も抱くときが良くありましたが、今は義母を抱いた後に妻を抱こうとしても勃起力がいまいちです。
そこで、妻はネットで調べて、樹脂製で弾力があるコックリングを私の陰茎の根元に装着して、強制勃起させられています。
また、義母には、勃起力が不足した時には、肛門からプラグを入れられて、前立腺を刺激されながらセックスしています。
ツーンとした刺激が勃起力を高め、同時に義母の閉経子宮に送り込まれる精液の量も倍増するのです。
私は、妻に陰茎を、義母に肛門を囚われ、セックスマシーンとして毎晩射精を強いられているうち、私にはマゾが芽生え始めているのです。
妻にコックリングを装着されているとき、義母に肛門を責められているとき、小さく「アァン」と声が出てしまいます。
その時、妻や義母が浮かべる笑みが、恐ろしいほど似ていて、ゾクッとさせられるのです。
もしかしたら、いずれ私は妻母娘の性奴零になっていくのかもしれません・・・