昭和時代、ビニ本などのエロモデルの質は低く、おばちゃんがセーラー服を着ていたりした。
そんな中、非合法のビデオが出回っていたが、中には信じ難い作品もあった。
本物の女子中学生や、女子児童の性行為を撮影した作品が多数リリースされ、作成者が検挙されてモデルが特定されたりもした。
俺が今でも脳裏に焼き付いて離れないのは、年端もいかない小学5年生の女子児童の夏休みを記録した裏ビデオだ。
まだ10歳の少女への鬱屈した性欲が記録されているが、男の顔にはモザイクがかかっていた。
ビデオカメラは固定されており、個人撮影と思われた。
黄色いTシャツに水色のスカートを穿いた、丸顔でおかっぱ頭の可愛い少女がとても愛おしく映っていた。
まだ小5の夏休みだというのに、この10歳の少女の処女膜は既に失われているようだった。
それは、スカートをまくり上げられ、ツルペタのタテスジを執拗に責め続けるバイブにウットリとする表情で分かったし、そのバイブをすんなりと飲み込んだ幼膣が経験値を物語った。
あどけなく未発育な少女の幼体に 男の肉棒が生のまま添えられ、湯クリと突き刺さった。
清純で無邪気なはずの小5少女の可愛すぎる幼穴が、野蛮な肉棒と一体化していった。
画面では、ギチギチと広げられた幼穴が痛々しいが、少女は気持ちよさそうな表情で、幼穴からは淫汁が滴っていた。
まだ華奢な幼体を貫く肉棒がに枯れると、幼壷に注ぎ込んだ子種汁がドロドロと溢れた。
カットが入り、ベッドの上で裸の少女がぺたんと座っていた。
まだ、ほとんど胸は膨らんでおらず、女らしい丸みは若干見られたが、確実に女児だった。
仰向けで足を広げられ、無毛の幼裂を広げられ、まだ純情そうな幼穴を晒した。
男の執拗な舌戯の前に、無垢な10歳の幼穴を捧げていた。
時折、幼クリを転がされて本気で感じた表情と、女らしい喘ぎ声を漏らした。
その後、小さく可憐な唇を開いて、肉棒奉仕していた。
可愛い丸顔と猛々しい肉棒のコントラストが非情だった。
生の肉棒が挿し込まれ、幼膣が淫汁を吐き出し、怪しくヌメった。
幼い粘膜をカリが削り、肉棒が幼い柔肉をメリメリと引き裂いた。
ほとんど膨らみのない胸を愛撫され、少女は敏感に反応していた。
まだ未発達な無毛の女性器と欲望に猛った男性器の組み合わせは、拷問にも似た痛々しさだったが、微かに聞こえる少女の声は明らかな喘ぎだった。
少女は、10歳にして性の快楽を知っており、幼穴を淫汁で閏わせ肉棒を咥えこんでヨガった。
大人の女のように淫らに反応して、快感を貪っていた。
少女の幼い唇から漏れたとは思えない、艶めいた喘ぎがどんどん大きくなっていった。
男は、自分の腰を動かすというよりは、少女の腰を持って少女を前後に動かす生オナホ扱いで、大量の子種汁を幼壷に注ぎ込んでいた。
この可愛い少女は現在48歳、俺の女房だ。
そして幼かった女房に鬼畜の所業をしていたのは、女房の父親だ。
女房は小4のまだ9歳の時に実父に処女膜を引きちぎられ、女の悦びを教えられた。
このビデオが世に流れ、女房の父親が検挙され、離婚していた母親へ引き取られた。
女房が高校2年の時、当時大学3年だった俺と知り合い、交際。
可愛い顔した清純そうな女房に処女膜が無いことに驚き、打ち明けられた話だ。
女房は高校を出ると母親から独立、大学を出て社会人いなった俺のアパートに転がり込んだ。
そして、女房が二十歳になって結婚、現在に至る。
女房のおぞましき記憶だ。