ボクは、数年前まで国際犯罪都市大阪で、裏物DVDの撮影助手を一に(いつに)して居た。無論、一万人を凌駕(りょうが)する全国最大規模のY組絡みの仕事で在りつる。で、具象的な仕事の内容は、返済期限を徒過してもなお返せなかった借金のカタに、最愛の愛娘を差し出して撮影料と販売料の一割五分(ごぶ)を受け取る仕組みだった。ボクは、そんな可哀そうな小中学生のロリっ子の面倒を看るのと両々相俟(あいま)って、どの子も最初は泣きを入れたりして取り乱し勝ちな撮影本番時の機嫌取りを組の若い衆から一任されて居た関係で、一通りの事は憶えて居る。取り分け幼いロリメコ(子供のオメコ)を大人ペニスで無残にも貫通されたロリの心のケアが、その後の撮影の成否を決めると云っても過言で無かったので、努めてやさしく接して上げる可(べ)く一意邁進(まいしん)して居たのを想起せずに居れない。芋関東系の腰抜けで根性無しの糞ヤクザと違って、天下の大阪の指定暴力団の息が掛かった撮影スタジオだったので、「シケ張り」と云って、覆面を筆頭とする警察車両と捜査員の動きには、殊の外(ことのほか)敏感に為らざるを得なかったし、大阪府警の二千八百台に上る面パト(覆面)の車両ナンバーとクルマの外見的特徴を纏(まと)めた極秘ファイルの内容を暗記するのもボク達撮影助手の大切な仕事でも在った。それにしても全国から親の身勝手で送り込まれてはじょじょを失(な)くしたあの子たちは、令和5年の今どんな生活相なり状況像で起居して居るのだろう?