私が妻と知り合ったのは、大学4年の時です。
妻は高校受験生の中3、私はバイトで夏期講習の講師をしていました。
当時私には、同じ学年の女子大生の彼女がいましたが、卒業したら実家に戻る彼女とは期限付きのお付き合いでした。
一方、次男坊の私は、このまま大学のある県庁所在地の都会に残りました。
大学を卒業する少し前のバレンタインデーに、妻から本命チョコで告白されました。
夏期講習の時、妻は、中学生とは思えないほど幼い顔をしていたので印象に残っていましたが、まさか告白されるとは思いませんでした。
こんな幼い女の子とムフフな事が出来るかもと期待が膨らみましたが、まだ卒業前で彼女がいたので、時間稼ぎに私は、
「義務教育の女の子とは付き合えないから、中学を卒業したら付き合おうね。」
とわけのわからないことを言いましたが、幼かった妻はそれでもとても喜んでいました。
高校生になった妻は、制服の採寸で、
「私、身長が154cmだったんだ。全然伸びないなあ・・・それからね、スリーサイズも教えてあげるね。バスト82cm、ウェスト56cm、ヒップ84cmだよ。彼氏なら知ってていいよね。」
中学と違って、白いスカーフのセーラー服が大人すぎて、お姉さんからの借り物のようでした。
高校1年の妻の顔立ちは利発な感じでしたが、ストレートのショートカットがおかっぱ風で、色白の和風顔が実に子供っぽかったのです。
そんな小学生並の見た目でしたが、身体は15歳、既に生理もあるので、生陰茎での処女喪失でしたが膣外射精でした。
3月に卒業した彼女と入れ替わるように、中学を卒業した妻と交際が始まりました。
私は社会人になって、平日は会えないので週末だけのデートでしたが、ゴールデンウィークにアパートに遊びに来た妻に、目の前で脱がれて、
「処女、あげる・・・」
と言われて理性崩壊、未熟な子供女体を抱いてしまいました。
それからというもの、毎週末、セーラー服を着た妻をアパートで抱くようになりました。
幼い顔で喘ぐようになると、その様子を撮影したくなりました。
当時はまだ珍しかったデジカメで、妻の痴態を撮影しました。
恥ずかしがる妻に、
「将来のお嫁さんとの歴史だからね。」
と言ったら、凄く喜んで何でも撮らせてくれました。
結婚して13年、34歳の妻と新居を構えて引っ越すとき、18年前の童顔少女の痴態を収めたPCカードが出てきました。
128MBの容量に、250kB~300kBのデジカメデータが400くらいありました。
アパートに連れ込んで、セーラー服姿のままフェラする妻は、おちょぼ口でご奉仕する健気さが滲み出ていました。
制服を少しずつ肌蹴させ、スカートを脱がせ、膨らみかけの乳房がセーラー服のスカーフの間から見え隠れさせて、クパァと開いた純情そうな陰唇が丸見えでしたが、決してセーラー服は脱がないという、私のこだわりが感じられました。
華奢で細身の身体に、社会人1年生の陰茎が生でグサリ、小学生がセーラー服着てセックスしているような写真がズラリと並んでいました。
15歳の妻の膣は狭く、メキメキと軋むような感触だったのを思い出しました。
珍しく素っ裸でセックスする写真がありました。
写真を見て思い出しましたが、セックス中に生理が来てしまい、セーラー服を汚すといけないので脱いだのです。
対面座位で深く結合し、赤く染まった陰茎を出し入れされて、幼顔を虚ろにして感じる妻が写っていました。
腰を浮かせて喘ぐ妻は、データの日付から16歳でした。
生理が来ているので中出しで、幼い膣口から精液と経血が流れ出ている写真で終わっていました。
妻が後ろからPCを覗き込み、
「うわっ!懐かしいけど恥ずかしいわね・・・若かったなあ・・・」
「若い?いや、幼いだろう。これ、高校生に見えないぞ。」
「ホントね。この時からあなたのお嫁さんになるって決めてたから、高校生とは思えないこともさせてあげたよね。お尻の処女も高2であげたし、SMでバイブ責めされた写真もあったでしょ?」
SMは高校のセーラー服が痛むので、中学のセーラー服を着て緊縛していましたが、中学のセーラー服の方が幼顔に似合っていて、中学生がマゾ調教されているように見えて痛々しい仕上がりでした。
妻は高校時代にアナルもSMも露出もこなし、それらの写真が残っています。
高校を卒業してから、高校のセーラー服SMを撮影しましたが、それでも中学生のような感じでした。
今見返すと、高校時代の妻には小学生の格好をさせてランドセル姿で痴態撮影をしたら、さぞかしリアルだったろうなと思いました。
妻と昔のハメ撮りを見ていたら、お互いムラムラして、激しく求め合ってしまいました。