自演で反撃?日付の右にIPアドレスみたいな識別コードが書いてますよね。なにか反論めいた事いっている人と、私は明らかに私のコードと違うと思いますし、私がこのコードを変えてまで(つまりインターネット環境をかえてまで)反撃しなければならないような内容のコメントってありましたっけ?
とりあえず、何か勘違いされているようですね。
ともかく、別の話題を書いていきたいと思います。またよろしくお願いします^-^
今回は年齢を書きます。私が30歳ちょうどになった時のお話です。この話も、偶然というものがきっかけで、思わぬ展開になっていくストーリーとなります。そして一人称は僕→俺→私へと変化させます。
私はバイクが好きで、CBR900rrというバイクに乗っていた事があります。では早速、最初の衝撃シーンから書いていきます。
私がバイクで遠方に一人でツーリングに行った帰りの話です。夜の23時ころになっており、自宅へのバス通りを一直線に飛ばし、その左側の側道を入って自宅のほうに帰るのですが、その時、記憶では時速80キロくらい出していました。
そしてそのままスイスイと側道にはいり、ブレーキをかけ、今度は左折をするのがいつもの帰りみちなんですけど、疲れていたのかその時、ハンドルを切るというか、正しくは車体を傾ける動作が遅れてしまい、そのまま右ハンドルと、側道入り口の壁がぶつかってしまい、そのままハンドルがとられて、ギュオワ!!!!!!っていう音がしたかと思うと、私は意識を失ってしまいました。
次に意識が回復したところ、パトカーか救急車かの赤色灯がぐるぐると夜の街中を照らし、10数名くらいのギャラリーに見守られる中、私は体中の激痛とともに、地面に横たわり、「ヴ・・・・・ぉおおお・・・・」等と言ってました。
救急隊員が、「右手首、変形あり。左なんとか骨折の可能性」となにか言っていました。そしてストレッチャーという担架が運ばれ、私は数名の救急隊員にそれにのせられ、体を固定されたのです。
(事故ってしまった・・)といえば簡単ですが、この時のカラダの激痛といえば今まで味わったことのないくらいのものでした。救急車で救急救命センターへと運ばれる途中、救急車がブレーキをかけるたびに、その圧力が私のカラダ全体へと伝わり、腰、背中、を中心に、グオオオオオオアアアア!!!!って激痛が走るのです。
救急車は「救急車とおります。道をあけてください」とおなじみのアナウンスを鳴らして走っていました。事故のショックで意識が朦朧とする中、(今、車の人、俺の為に道あけてくれてるんだ・・・)と、いいしれぬ感謝の気持ちに満ち溢れてました。
そして俺はまた意識を失いました。そして次に目覚めたのは酸素マスクをつけた状態で、右手、左ひじ、をギブスでまかれた状態の、哀れな自分の姿をもって目を覚ましたのです。
結果、右手のトウ骨というのと、トウ尺骨の骨折、左肘に陥没骨折。背中の何番目かの部分の横突起骨折、医者がいうのは、この骨折した横突起が脊髄のほうに刺さっていってたら間違いなく半身不随になっていただろう。との事でした。
全治3か月。私はそれから最初の10日間は緊急救命室で生活をし、残りの2か月を通常の部屋で入院生活をしました。
もともと前置きが長いとご指摘を受けやすい私の文章でありますので、事故のシーンはこれくらいにして、では本題に入っていこうと思います。
次回へ続く
俺が(もう私ではなく、俺でいきます。そっちのほうが話しやすいので)入院して2週間くらいの時、やっと技師装具士に作ってもらったコルセットのおかげで、なんとか自力歩行ができたころの話。それまではずっとベッドの上での生活でした。やっと自分の自由に歩けるという事で、体の節々はまだ痛いけど、なんとかタバコを吸いに外に出たり、普段はお菓子等を食べない俺も、その時ばかりは病院の売店に行くのが楽しみになっていました。その日は歩行ができて2,3日目の頃だったと記憶してます。病院の売店に入り、定番お菓子のチップスターとタケノコの山を買いにレジで並んでいたとき、売店の隣に隣接している喫茶店のテーブル席で、なにか家族ずれと一緒に懇談している女がいたのです。その女はどうみても、俺が中学の時の同級生の藤めぐみ、にソックリなのでした。まず間違いありませんでした。その証拠として、この藤も、俺と目が合いさっきからチラチラと見てきていたからです。かといって15年ぶりくらいに会う相手なので、しかも家族ずれだし、またきさくに声をかけるという心境でもないし、また相手も足の骨を骨折しているのか右足にギプスをつけ、松葉杖が傍らに置いてありました。(また、今度遭遇したら声かけ見るか)と思い、その日はベッドへと帰りました。すると再会はすぐにやってきて、翌日、同じような骨折系の病棟というのか、同じ病棟のエレベータで遭遇したのです。俺は「藤やんな?」と聞くと、「りょうち君?」と聞いてきたので「おうw」と答えました。中学の時の印象よりも大人びた印象で(当然ですけど)ミホちゃんほど背が高く見える訳でもないし、人々が振り返るほどの美人ではありませんが、身長160センチくらいの細目の体系と、ボブっていうのか、あのありきたりな髪型、そしてちょとキツネ目の可愛らしさは以前のままでした。俺達はそれから仲良くなり、事故の体験、後どれくらい入院するのか等、世間話をしました。そして「ここで立ち話もアレだから、喫茶店でコーヒーでも飲まないか?」と誘い、一緒に2階の喫茶店まで一緒に歩いて行ったのです。俺は背中の骨折、そして手の大破があるので食事等は困りますが、コーヒー飲む程度なら手首のプロテクターがあるのでなんとか動かせます。それに比べて、足は無傷だったので歩行に関しては、(背中の痛みを除いては)なんの問題もありません。俺は藤の歩行速度に合わせて、一緒に喫茶店まで行ったのですが、病院に入院している患者さんというのは、けっこう服装が。。。あれなんですよね。病院に来てまでおしゃれしている人なんてまずいないっていうか、顔がすっぴんであるのは当然ながら、あのパジャマ姿。普通にパンツ透けまくりだし、ブラなんてしてないのか、乳首がツンと立っている人も、かなりの数がいるんです。藤もその一員でした。白に花柄のような模様があるパジャマの上下なのですが、そのパジャマの白い部分からは中の青いパンツが丸見え、いや丸透けだし、ノーブラなのでしょう、乳首がツンとパジャマから立っていて、どこに乳首がついている。っていうのが丸わかりでした。しかし、病院というのはあれは、妙に特殊な環境なんですね。こっちは2週間近くヌイてないし、女っ気に囲まれているという生活環境ではありません。俺はその藤と再会した日から、病院の天井を見ながら(藤は今、何してんのかな)なんて思ってました。で、それを思ったらすぐに実行が出来る時代でもありました。それは病院のベッドの上で、ケータイ電話のSNSで、藤に「なにしてる?」と聞くだけでよかったのです。すると藤からは、「テレビ見てる」「どんなテレビ?」「〇チャンネル」「俺も見るわ」等と、けが人仲間っていうのでしょうか、そんな感じで自然と、相手との距離が縮まっていくんですね。そしてお互い、骨折系という事もあって、歩く練習もかねて、とにかく体力を使わないと運動不足になるんです。俺達は一緒に病院内の探検とか、そんな子供に戻ったような感じで、一緒に病院内デートをする事も多くあったのです。そして、お互い酸いも甘いも知った30歳。。こういう関係になるのもすぐでした。俺は藤に、「結婚とかしてんのか?」とか、(してないと答えたので)「彼氏とかいんのか?」(これには居ると答えました)等と聞き、向こうも似たような質問を俺にやってきていました。そして「彼氏は見舞いにこないの?」と聞くと、「今は見舞いにこれないかな」と言ってたのです。俺は「なぜ?」と聞くと、「そもそも、このケガの原因がその人(彼氏)だから。家族とちょっとモメてんねん」と言ってました。この話はプライベートすぎるので割愛します。(俺は深く聞くのもな・・・)と思い、それ以上は何も聞きませんでした。俺はなにか明るい話題はないのかと思い、出てきたのが、「いあ、入院生活って俺の人生で初めてなんだけどさ、これ精神的に堪えるよなww」と言いました。「どういうとこが?」と聞いてくるので、「こっちはさ、何週間も発射してないんだぜ。その上、看護師がオムツ交換とか
...省略されました。