○3のころ近所の男の子とそのパパと遊ぶようになりました。こちらは仲良
し2コ上のマナちゃんと一緒でした。パパさんと一緒にドッチボールみたい
な遊びをよくしましたが、マナちゃんが「あついから」といって、パパさん
が出てくると必ず超ミニスカートをはくようになりました。最初は一応、キ
ュロットでしたが、わたしが対抗してミニをはくようになったら、マナちゃ
んもスカートになりました。なわとびでパパさんにおまたをきゅぅ、とされ
て、「パパさんえっち」と、よく言ってましたが、わたしたちのエッチな遊
びが本格的になったのは、近所の公園でマナちゃんが木登りをしてるときに
パパさんがマナちゃんのスカートの中をいたずらするようになってからで
す。マナちゃんは木登りが上手でしたが、結構高くのぼって大きく足を広げ
てるところに、パパさんがマナちゃんのパンツを触ったりにおいをかいだり
してました。マナちゃんのそのときの勝ち誇った顔でわたしをみる顔が今で
も忘れられません。木登りは毎週土日の日課みたいになりましたが、そのう
ちにまなちゃんが、木陰でパパさんのおちんちんをなめたりするようになり
ました。そして、すぐにマナちゃんのおしりにおおきくなった尾ちんちんを
抜き差しするようになり、そのころはよくわからなかったので「マナちゃん
だいじょぶ?」ときくと、「いいの、ちょっと待ってて」とかならずいって
いたのをよく覚えています。終わった後「キーちゃんみてごらん」とパパさ
んにいわれてまなちゃんのおしりをみると、灰色のどろっとしたものがまな
ちゃんのお知りのあなの下のわれめのはじからどぼどぼこぼれていたのを今
でもよく覚えています。そのうち、こっそり耳元でぱぱさんに「明日マナち
ゃんが塾いってるときひとりで遊びにきな」といわれ、それから毎日のよう
にぱぱさんのだれもいないおうちで裸になり、隅々までなめたりなめさせら
れたり、されるようにされました。セックスも4年生になってからするよう
になり、6年生のとき妊娠してしまい、いわれたとおり両親に「公園で怖い
人におちんひんいれられた」といったら警察にも言わず病院に通っただけで
すみました。今のダンナはそのときの男の子で、もちろんパパさん(いまで
でもセックスするときはそうよんでます)と一緒に住んでます。6歳になる上
の娘は間違いなく義父の子で、3人だけのときは今でも一緒にお風呂に入り
ますが、男の人ってほんと小さい女の子好きですね、私が○学校のとき中絶
で病院いったときも小太りの中年の先生に何度か「治療だから」といいなが
ら自分の固くなったおちんちんをいれて中でだされましたし、義父も私に咥
えさせながら長女の股間をなめまわします、だんなが単身赴任してからは夜
は3人とも裸のときがおおくなりました・・・・
時間がないのでつすきはあとで