私の高校(商業高校)の修学旅行は、奈良と京都で2泊した。因みに私が通っていた高校は、殆ど「女子高」みたいなモノだった(今では男子生徒も多いが)。他の学年には、何人かの男子生徒がいたが、私の学年では男子は私1人だけだった。正確に書くと、入試や合格発表の時にはもう1人いたのだが、辞退して他の高校に行ってしまったのだ。
こう書くと「ハーレムみたいでいいなあ」と言われそうだが(中学の同級生には実際にそう言われた)、決してそういう事はなく、むしろ「蛇の生殺し」状態だった。パンチラ・ブラチラは当たり前、特に夏になると、人目も気にせずにスカートをバタバタと煽ったり、ブラウスの第3ボタンまではずして「見せびらかす」様な女子さえいた。中には「面白半分」でやっていた女子もいたが…。
修学旅行に話を戻そう。移動のバスでの私の座席は、進行方向左側の列の先頭の窓際(1A)であった。その隣(1B)に、旅行会社の添乗員・りつ子が座った。りつ子は、この高校の卒業生で入社3年目の21歳、背が高く色白で明るい、ポニーテールの似合う女性だった。年齢の近い男性が私だけという事で、担任が配慮(?)したらしい。これが、後で思わぬ「結果」を生むのだが…。
いつもの修学旅行ならば、ベテランの男性社員が添乗するのだろうが、今回は「女子高」という事や、経験を積ませると意味も込めて、りつ子に白羽の矢が立ったそうである。りつ子にとって、大人数の旅行の添乗は初めてという事もあり、移動の車内では、いつも会社からの資料ばかり見ていた。だから、せっかく隣に座っても、話らしい話は出来なかった。余談だが、私の担任はりつ子を受け持った事があったそうだ。
さて、ホテルでの私は、4日間「VIP待遇」だった。男性用の大浴場は、私だけの「完全貸切」(←先生は後から入った)、食事も、女子と一緒に「大広間で」ではなく、旅行会社が考えたのだろう、先生やりつ子と一緒に「別室で」食事をした。後で知った事だが、夕食の内容は、先生と生徒とでは極端に違っていたそうだ。先生の食事には、初日は「活造りの舟盛」が出たし、後日食べたすき焼きの肉も、霜降りの和牛肉が出た。
先生の食事には、当然「ビール」等も出るのだが、私も「今回は『黙認』するから飲め」と言われて、ある程度の遠慮をしながらも飲んだ。まあ、厳しくしている女子の手前、先生も強制的には飲ませなかった(それでも「いけないこと」だと思うのだが)。一緒に食べたりつ子もそうだった。
夜も、当然の事として「個室」で寝る事になった。奈良では、文字通りの「離れ」で寝たのだが、その晩から「動き」があった。
共学校みたく、女子の部屋へ「夜這い」に行くわけにもいかず、だからと言って、長い渡り廊下を介して私の部屋とは反対側にいるりつ子の部屋(りつ子の部屋は東別館、私の部屋は西別館)にも行けず悶々としていた夜の12時過ぎ、ドアをノックする音がした。「見回りの先生でも来たかな」と思ってドアを開けると、そこには、浴衣と丹前を着たりつ子がいた。
りつ子は、私の顔を見ると「昼間は『お話』出来なくてごめんね。私、初めての添乗だから、書類ばかり見ていて、とてもそんな余裕なかったの」と言った。私は「別にいいですよ。忙しそうだったし、『邪魔』するのも悪いかなと思ってましたから」と答えた。
すると、りつ子は「ねえ、『退屈』してない?」と言ってきた。当たり前だが、手元に資料があるので、私がここにいることは知っている。すぐに、りつ子の「意図」が読めたが、下心を出してはマズイと思い、「まあ、男子というか、誰も喋る相手がいないし、見たいテレビ番組もないので、退屈と言えば退屈ですが…」と答えた。すると、りつ子は「そうでしょ。私も『退屈』してたの。ねえ、先生は来ないだろうから、部屋に入ってもいい?」と言ってきた。幸いな事に、女子や先生が寝ていた「本館」と、この「離れ」は大分離れている。加えて、私は一応「模範生」だったので、先生の方も「こいつは大丈夫だ」と信じきっていた。だからかどうかは知らないが、4日間を通じて見回りには1回も来なかった。
私は、りつ子を部屋に入れると背後に立ち、浴衣の合わせ目から手を差し込み、りつ子の胸を揉んだ。今まで経験した事のない大きさに、私のチンコは直立した。りつ子も、最初から「そのつもり」で部屋に来たので、全く抵抗しなかった。そして、お酒くさいりつ子の唇に唇を重ねた。りつ子はヤケ気味に「生徒は『女』ばっかりだし、先生は先生で今頃盛り上がってるし、誰も私の事『相手』にしてくれないんだから」と言って舌を絡めてきた。これが男性の添乗員ならば「一緒に(お酒を)どうぞ」とかなるのだろうが、今回は21歳の女性が添乗、しかも初めてということで、乾杯の後すぐに「先にお休みになって下さい」と言われて「追い出された」そうだ。
そして、「今夜は一緒に過ごそうね」と言って、自ら全裸になった。りつ子は、俗に言う「着やせ」するタイプで、服や浴衣の上からでは想像できない程胸が大きかった(96のF)。オマンコの毛は茶色っぽく、中身は茶色と紫を混ぜた様な感じだった。真珠の玉の様なクリトリスを弾くと「いやあーん、りつ子の一番感じるトコなのよぉ」と、ラブジュースを溢しながら悶えた。
私は、寝巻として着ていたジャージを脱ぐと、チンコをしゃぶらせた。りつ子は、まるで風俗嬢の様なテクニックで嬉しそうにしゃぶってくれた。冗談交じりで「フーゾクにでも勤めた事あるの?」と訊いたら、りつ子は「やあねえ、高校出てすぐここへ入ったんだから、そんな訳ないでしょ」と、ちょっと不機嫌そうに言った。多分、雑誌か何かで学んだのだろう。もちろん、その巨乳で「パイズリ」もしてもらった。りつ子の方も、相手になった男からは「やって欲しい」と言われていたみたいだったので、上手だった。
そして、ぐっしょりと濡れたりつ子のオマンコに、私のチンコをぶち込んだ。お互い、妊娠が怖かったので、りつ子が用意したゴム付きだったが…。りつ子は声にならない声を出してよがり、それが一層私を興奮させた。結局、その晩だけで4発やってしまった。りつ子と私は、昼間でも「離れられない関係」になってしまった。でも、先生に気付かれたら困るし、相変わらずりつ子は資料と「格闘」しているので、バスの中で軽くお尻を触るくらいにした。りつ子も「欲求不満」だったので、気付かれない様に黙って触らせてくれた。
さて、奈良の夜は、これだけでは終わらなかった。1日目の「2回戦」を終えた後、りつ子が「私の部屋に来てみて」と、自分の部屋へ私を連れて行った。部屋に私を入れると「壁に耳を当ててごらん」と言ったので、耳を当てた。すると、微かではあるが、女の喘ぎ声が聞こえた。「えっ、まさか…」と私が囁くと、りつ子が「外に出て、覗いてごらん」と言った。言われるがままに外に出て隣の部屋を覗くと、閉ざされたカーテンの隙間から、夕方迄一緒だったバスガイドと運転手(5人ずつ・計10人)が、文字通りの「乱交パーティー」をしていた。特に、私のクラスのバスに乗った、清楚な感じのバスガイド・由紀が、浴衣をはだけ、ほの赤い素肌を晒して運転手の上に跨って喘ぐ姿に、目が釘付けになった。他のバスガイドも、運転手に組み敷かれたりバックで突かれたりして喘ぎまくっていた。それでいて、翌日には何事もなかったかの様に平然と乗務をこなすのだから、別の意味での「プロ」なんだろうと思った。りつ子は「凄いでしょ…。私の部屋、静かだから、どうしても(声が)聞こえちゃうのよ。でも『仲間』には入れないし、がまんできなくなったから、旅人君を『誘った』の」と言った。
翌日、よっぽど由紀に夕べの事を言おうかと思ったが、りつ子が「私だけの旅人君でいて」と言うので、言わないことにした。もしも「夕べ、見ちゃったよ」とか言っていたら、また違う展開になっていたかもしれない。因みに、この「パーティー」は、2日目の夜も行われていた。
3・4日目に泊まった京都のホテルでは、最上階の個室になった。部屋はりつ子と同じ階だったが、廊下の端と端に「離ればなれ」になった。しかし、その間にある客室は「空室」になっていた(1校だけの「貸切」だったが、人数が定員に満たなかったのでと、りつ子から聞いた)。本来ならば、そこに先生が陣取ればいいのかもしれないが、ホテルの構造の関係や、部屋を見回り易くする為に(予想されていたが、飲酒・喫煙とかがあって大変だったとか)こういう部屋割りになったらしい。旅行のしおりには、部屋割りのページがあるのだが、奈良・京都共に、各階の中央に先生の部屋があった。「まるで『刑務所』か『ナースステーション(病棟)』だね」と、りつ子と笑いあった。勿論、私の部屋やりつ子の部屋も印刷されていたが、遠く離れていたので、誰も「夜遊び」したとは想像していないだろう。参考までに食事の方は、奈良とは違って各部屋への「部屋出し」だったのだが、私は奈良と同じく、先生やりつ子と一緒に食べた。
ホテルに入る前には「同じ階だからと言って、間違っても『手』を出さない様に」と、担任にクギを刺されたが、もう遅い。仮に奈良での出来事がなかったとしても、同じ階になった以上「やるな」と言う方がムリなのである。それに、最初からそんな事を聞くつもりもなかった。りつ子だって、旅行会社の添乗員という「特権」を使って、空室を開けさせる事まで考えていた。いずれにしても奈良と同様、「堂々と」夜を共にした。4日間で合計16発やってしまった。それでも、誰も私達の「関係」に気付く人はいなかったのだから、この高校の先生は一体どうなっているんだろうと思ったりもした。
4日目・修学旅行最後の夜は、それまでの夕食みたいに、先生の部屋に呼ばれた。りつ子も呼ばれ、皆で「大宴会」となった。私は「最後の夜だから飲め」と言われ、付き合わされた。絶対に「そういうこと」をしそうもない簿記の美佐子先生や、家庭科の久美先生は、酒の勢いで「ヌード」になってしまった。その晩は、3時頃迄「大騒ぎ」したと思う。内心「先生も大変なんだな」と思った。
因みに一緒に寝たのは、全てりつ子の部屋だった(明け方には、私が部屋へ戻った)。その理由だが、もし、何か用事があって先生が部屋に来た時にりつ子がいないのはマズイのだ。でも、女性の部屋なので、いきなり入ってくることは絶対にない(マナーの問題として)。誰かが来ても、りつ子が「時間稼ぎ」をしている間に、私がベランダやトイレに隠れればいいのである。さらに、こういうホテルの場合、添乗員が寝る部屋には電話があり(通話はフロント経由で)、用がある時はなるべく電話で連絡する事になっている。そんな「緊急事態」が起こる事は稀だし、先生は私を信用しきっているから大丈夫だと言う「読み」もあった。
そして最終日の朝、りつ子は「ねえ、旅行が終わってからも逢ってくれる?」と私に言ってきた。「修学旅行の間だけ」と思っていた私は、予想もしなかった「告白」や「二日酔い」でボーッとしていて答えが出なかった。りつ子は「やっぱり『年上』よりも『同級生』の方がいいか」と言った。私は「そんなことないよ。ここだけの話、ねーちゃんと『関係』したこともあるし…」と答えた。私には、りつ子と同い年(4学年上)の姉がいるが、私が中学に入った頃から、時々「秘め事」をしていた。りつ子は驚いた顔をして「そうなの?じゃあ、付き合ってくれるの?」と言った。私は「うん」とだけ答えた。
結果として、出会いから4回目の秋に結婚、今は3人の子供と共に暮らしている。結婚式では、仲人を努めた担任が「まさか、お前達が結婚するとは思わなかった」と驚いていた。
りつ子の話では、男女を問わず「添乗員」が「お客(修学旅行なら、引率の先生)」と関係・結婚する事も珍しくないそうだ。今回の修学旅行では、相手は「先生」ではなく「生徒」だったが…。実際、同僚の社員は、ほぼ全員が、自分が添乗した旅行で知り合った人と結婚しているという。
宿舎の構造や生徒の構成と言う「特殊な条件」が重なったにせよ、今まで書いた中でどれか1つでも違っていたら、今の夫婦関係はなかったかもしれない。りつ子もそう思っている。この秋には結婚10周年になるので、子供達も連れて「思い出の地」へ行く計画も立てている。