現在50代の皆さんが中学生・高校生の頃には当たり前だったお話です。
今の若い皆さんには信じられないと思いますが、お付き合いください。
・身体計測
昔のクラスの出席番号は、男子五十音順→女子五十音順でした。
身体計測もその出席番号順で行われていました。
身体計測には当然担任も付き添っていました。まぁ担任が女性で男子生徒のパンツ一丁姿を見られることもありましたが、さほど抵抗感はありませんでした。
しかし担任が男性生徒の計測終了後、そのまま女子生徒の計測に付き添うということも当たり前でした。
男性担任が男子生徒の計測に付き添っているときは至って粛々と行われていました。お互いに男同士なので何も抵抗感がないのは当然です。
しかし女子生徒の計測になると、男性担任が女子生徒達を怒鳴りつけるケースが結構ありました。
「ノロノロするな!早く脱げ!」
「胸を隠すな!気を付けをして静かに整列!」
「体重測定が終わったら急いで先生(医師)のところに行け!走って行け!」
などなど…
私は男子でしたので、中の様子は全く分かりませんでしたが、当時はなぜあんなに担任が怒鳴っているのか知る由もありませんでした。
しかし今から思うと、まだ10代の女子達の気持ちを無視した管理教育がここまで徹底していたのだと思っています。
・下着検査
なぜか当時の校則には「女子の下着は上下とも白のブラジャーとパンティーのみで、飾りなどが付いていないものしか着用してはならない。」みたいなことが書かれていました。
男子も頭髪検査などが厳しかったですが、下着に関しては色柄物のTシャツを着用してはいけないといって程度でした。パンツについては何も決まっていませんでした。
さすがに女子の下着検査を男性教師が行うことはありませんでした。しかし女子が校則違反の下着を着けていると、下着は没収されていました。
制服が冬服のときにはまだ下着を没収されても目立たないので、女子にとっては耐えられるのですが、問題は夏服のときでした。
私が一番覚えているのは、半袖ブラウスのみの夏服から色柄のついたブラジャーを着けていた女子が男子の体育教師に見つかり、そのまま体育教官室に引っ張られて行ったことです。
体育教官室から戻ってきた女子は、当然ブラウスの下がノーブラでした。やや茶色がかった乳輪と小さいながらも硬くなった乳首がブラウスから透けていたことをよく覚えています。
その女子はちょっとヤンキーっぽい娘でしたが、ノーブラブラウス姿で教室に戻ってきたときには流石に涙目になり、うつむいていました。当たり前ですが…
・女子のほうが体を使わされる
今では女子も男子並みに大学に進学する生徒が当たり前の時代です。
しかし当時は、女子の大学進学率はまだまだ低く、大抵の女子が高校卒業後に進学するのは短大か専門学校というケースが多かったのです。
私の中学の担任が「女子はいい嫁になるのが一番の幸せだから、そんなに勉強しなくていいぞ」と言っていたのを思い出します。
逆に言えば、それだけ男子には厳しい勉強のノルマが課せられ、男子にとっては辛かったのです。
男子だけ補講とか課外授業などを課せられ、勉強をさせられていました。
その一方、女子は校舎周りの清掃とか花壇の草取り、廊下の雑巾がけや窓ガラス拭きなどをさせられていました。
運動部(うちの中学ではバレー部とソフトボール部)の女子は、入学式・卒業式の準備と片付け、職員室にあるたくさん書類の入った大量の段ボール箱運びなどの力仕事をさせられることが多かったです。
普通ならこんな力仕事こそ男子に任せるべきですが、「男子は勉強しろ!」という考えの中学だったので、女子運動部員の仕事になっていたのだと思います。
また職員室に来た女子に男性教師が「お茶を淹れろ」とか「床掃除しろ」とか「肩を揉め」とか、個人的な雑用も行わせていました。
やはり、まだまだ「女子はいい嫁になるのが一番の幸せだから、そんなに勉強しなくていいぞ」という意識が強かったことが、こういう点からも理解できます。
・女子の体罰
あの時代、教師の体罰は当たり前でした。あれを今やったら、すぐに教師のクビが飛びます。
私もゲンコツやビンタはよく教師から食らいました。当時は親も「先生から殴られるような悪いことしやがって!」と言って、家でも殴られるといったザマでした。
当然、女子にも体罰が与えられるのはよくありました。
しかし、男子とは殴るところが違うのです。
①尻
教室に置いてある竹製の1mの定規や黒板で使う木製のコンパスで、女子の尻をバシッと叩くのが定番でした。
中学の担任が言うには「女子の顔は嫁入り前なので殴ってはいけない。ケツなら肉がついてるから大丈夫だ。」とのことでした。
部活になると、女子への体罰は激しいものでした。
私が通ってた中学では、女子バレー部員は竹刀で尻を叩かれ、ソフトボール部員はケツバットでした。
その際、どちらの部活も尻を叩かれたら大きな声で「ありがとうございます!」と言わされていました。
②胸
ヤンキー女子が結構いた私の中学では、先生に反抗的な態度を取ると制服の胸倉を掴まれることがありました。
勢い余ってブラウスのボタンが取れることもときどきあり、胸の谷間が丸見えになっているヤンキー女子もいました。
また制服の胸倉を掴んでいるつもりの男性教師が、どう見ても女子の乳肉を鷲掴みにしているのを見たことがありました。そのときは、流石に私も「このスケベ教師!こいつはクズだな!」と呆れたのを覚えています。
③太股
よく廊下に立たせられたり正座させられたりすることはありました。
担任によっては、太股とふくらはぎの間に竹刀をはさんで正座させていました。
男子の制服はズボンなのでただ痛いだけなのですが、女子の場合はスカートなので、痛みで脚をずらすとスカートの間から太股やパンツが見えてしまうこともあり、羞恥的な体罰になっていたのかもしれません。
その上、女子には「姿勢を崩さず、ちゃんと正座しろ!」と言って、竹製の1m定規で女子の太股をバシッと叩く教師もいました。
今から思うと、当時の男性教師はドSじゃないのかと疑いたくなるほどです。
その他、女子のブルマ着用は当然ですが、必ずブルマにシャツインしないといけないという決まりがありました。
今ではあんな格好で体育の授業を受けさせること自体羞恥心を感じさせてしまいますが、当時の教師は1964年の東京オリンピックの女子バレー日本代表のイメージが強く、「ブルマこそ女子の運動にふさわしい」という固定観念があったのだと思います。
こんな学校、今の若い人達には信じられませんよね?